イベントカレンダー

【開催済】織あい展

プルーストの避暑地

プルーストの避暑地

フランス政府著作権画家
ハプスブルグ宮廷芸術会員
サロン・ド・トンヌ会員
ウィーン芸術名誉市民

プルーストの避暑地
マルセイ・プルーストが愛した“ガブール”

今年は日仏イノベーション年を意識して
私の友人映画監督のラウル・ルイスが大好きだったガブールでプルーストの時間の庭を描いてみました。
ルイスはプルーストがとても大好きでした。バルザックかプルーストかと云われたり、プルースト(失われたひと時)をバレエ化するのに、ジャン・コクトーの支持を得て、いかにもフランス的なエスプリにあふれた作品を上演してきました。
プルーストは永遠に絵画の中に描かれた思索の風景がカブールにありました……あのパノラマが人生を豊かにしてくれるでしょう。

織 あい

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【レポート】輝く会 第6回「フランス人を魅了する京町家再生プロジェクト」

京都の伝統的な建物が生まれ変わる「京町家モナムール」を手がけた建築デザイナー金子文子さんが語る夕べ

第6回輝く会「フランス人を魅了する京町家再生プロジェクト」

第6回の輝く会のテーマは「京町家再生」。京町家とは、1950年以前に伝統的木造軸組構法で建てられた木造家屋と定義されています。京都に残る町家造りの建物で、京都には二万軒もの町家が残っていると言われています。しかし、世代交代が進む中で空き家のままに放置される町家も増えている現状の中、建築デザイナー金子文子さんは、この京町家を再生するプロジェクトに取り組んでいます。

そのプロジェクト名は「京町家モナムール」。京都の町で時代に取り残されたままに放置してある京町家は、伝統的な建築デザインを残しつつも物件によっては、現代のライフスタイルに合わない設計でもあるのが現状です。そんな古い建築物が金子さんのアイデアと創意工夫によって和とモダン、そして詩と音楽が融合した新しい空間に生まれ変わります。

今回のセミナーでは金子さんが手がけた京都モナムールシリーズの改築事例を写真や図面などを見ながら詳しく紹介していただきました。

近い距離で金子さんのお話を聞けるチャンス。会場には多くの方が集まりました。

近い距離で金子さんのお話を聞けるチャンス。会場には多くの方が集まりました。

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【開催済】第6回輝く会「フランス人を魅了する京町家再生プロジェクト」

<京町家モナムール> by Fumiko Kaneko

第6回輝く会「フランス人を魅了する京町家再生プロジェクト」

東京を拠点にCiel Rouge Creation代表として<グットデザイン賞>や<世界の最も美しい100のホテル>に選ばれたShu Uemuraの海洋深層水を使用した世界初のタラソテラピセンターホテルなど 数多くの話題作を手掛けてきた建築デザイナー金子文子さんは3・11東北大震災後、直感的に新たな可能性を感じて京都に居を移し,以来、京町家の再生の革新的プロジェクトに取り組まれています。

戦後、利便性を求めて新建材で改築された中途半端な町家や、路地奥に残る築年不詳の土台も傾き、廃墟寸前の空き家町家など行政にとって頭の痛い大きな問題となっています。そんな町家が金子さんの手によって、『和』と『モダン』の融合する新しい建築空間へと生まれ変っています。

もともとフランスと縁が深かった金子さんは、千年の古都、京都の伝統文化に圧倒されながらも、単なる建築設計やデザインを超えた、深い精神性と哲学的思考を原点に、非物質性、精神性を表現する人間空間ととらえています。月光、緑、光の陰影にフランスの哲学者レオタールの非物質性を、古都の住居に、オーギュスタン・ベルク氏『時代、世紀とともに変容する社会と住居』<人類の起源、住まい歴史>の数々の思索の実践を体感しながら。

そしてその自宅『萌文庵+見晴亭:空中茶室・浮遊する見立ての森』はフランス人を中心に世界中から文化人が集い、文化交流の国際的なサロンとして機能しています。金子さんは意欲的にこの<京町家モナムール>シリーズを手掛け、現在5部作目清水五条<詩宝箱>に挑戦しています。
今回の輝く会では金子さんに「京町家モナムール」でのご自身の取り組みについて紹介していただき、その建築空間に秘められた日本人とフランス人共通のエスプリ・精神性についても語っていただきます。 suite »

【レポート】セミナー「ラベルから見るフランスと日本のワイン」

日本のワインの明日を読み解く新しいワインラベルのルール

2016年8月10日に、セミナー「ラベルから見るフランスと日本のワイン」が開催されました。今回のワインセミナーも神宮前にあるルアール東郷という素敵な会場での開催。ワインラベルの勉強という座学もありながら、ワインのブラインドテイスティングもあるという盛りだくさんな内容のセミナー。今回の講師を務めるのは、明治学院大学法学部教授でワイン法を研究している蛯原健介氏。ブルゴーニュワイン騎士団シュバリエでもある蛯原先生が、ラベルから読み取れる日本とフランスのワイン事情の違いについて解説しました。

蛯原先生の「はじめてのワイン法」は日本初の「OIV賞」が授与されました。

蛯原先生の「はじめてのワイン法」は法学部門では日本初の「OIV賞」が授与されました。

まず、蛯原先生が書いた「はじめてのワイン法」が、2016年度「OIV賞」を国際ぶどう・ワイン機構(OIV/The International Organisation of Vine and Wine/L’Organisation Internationale de la Vigne et du Vin )より受賞したことを発表しました。OIVは、ぶどうとワインに関する国際機関で、現在45か国が加盟している国際的な団体です。日本はまだ加盟していません。OIVでは、1930年以降、ワイン産業への貢献と国際的意義を認められた出版物に「OIV賞」を授与していたのですが、法学部門では日本初となる受賞を獲得したのです。

講義の内容は、そんなOIVの重要性から。
消費者とワイン産業のために、真正なワインのためのルールづくりを進めているOIVは、ワイン関する様々なテーマを扱っています。

  • ワイン市場、ワイン産業の持続的な発展
  • 消費者保護
  • 国際的な協力体制の強化
  • ワインの品質
  • 健康と安全
  • 環境保全
  • 適切なワインの表示

などです。OIVの加盟国で全世界のワインの85%の量を生産しているそうです。このOIVの団体があるからこそ、世界のワインが統一した規格で作ることができているそうです。

会場となったルアール東郷

会場となったルアール東郷

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【開催済】セミナー「ラベルから見るフランスと日本のワイン」

2016年8月10日(水)18時30分~21時30分
セミナー「ラベルから見るフランスと日本のワイン」

ワインのラベルには、産地名、生産者名、年号、ブドウ品種名など様々な情報が書かれています。今回のセミナーでは、日本とフランスのワインラベルを比較しながら、両国のワイン産地やブドウ品種の特徴、そして、ラベル表示のルールを学びたいと思います。
参考文献:蛯原健介『はじめてのワイン法』(虹有社)

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【レポート】講演会 「東京裁判〜忘れられたフランス人判事」

素評

日時: 2016年7月27日(水) 18時30分より
会場: 日仏会館501号会議室
講師: 大岡優一郎 テレビ東京放送番組審議会事務局長兼編成局番組審査長

禁じられた仮説が今、蘇る

驚愕と戦慄が会場にはしった。戦後レジームが根底から覆される。極東軍事裁判、いわゆる東京裁判がなければ今日の日本は異なった国になっていたかもしれないという禁じられた仮説がもたげてきた。勇気ある論考である。リヨンに祖先の歴史的刻印を携えた大岡氏は、ベルナール判事の痕跡をフィールド・ワークで追求した。歴史はカール・ポッパーの言説通り反証可能でなければ科学たりえない。これほどの批判的反証が示された以上、現代史の行方はデリダ型の脱構築による解体作業を待っている。その方法はいくつかある。

第1は自然法が実定法よりも優先されるものである。人間の理性存在に法源を有する慣習法も含めた制定法が重要な意味を持つ成文法主義の大陸法系諸国は、判例を基本的な法源とする制定法の一元論的な立場に立つ英米諸国とは異なり、大岡氏が言及した「神」の法、すなわち自然法が歴史的解釈に優先するのである。氏の次の言葉を引用する。「法の歴史においては、不文法は明文法よりも重要なポジションを維持してきた。それは何世紀間にもわたり、世界を支配してきたのである。もし、殺人や窃盗などを抑止するために法が明文化されるのを待たなければならなかったのだとしたら、人類はどこに立てばよいのであろうか」と。

第2は戦争を法益に反する有害な行為であるとするための刑罰法規が事前に存在し、告知されていなければならない。この罪刑法定主義は憲法や刑法の大原則である。東京裁判はこの原則に逸脱する事後の解釈を行うことによって「平和に対する罪」が適用され、侵略戦争の共同謀議を遂行、行動した個人が戦争犯罪人としての責任を問われた。ここで侵略戦争と自衛戦争の定義は不問に付された。国際法ではたとえ侵略戦争が明確に定義されていても、その「侵略」戦争に訴えた国の指導者が個人として犯罪を犯し処罰されることにはならない。このことは当時の11か国の連合国代表さえも認めたところでもあった。4人の少数派判事の思いを講師の論文の言葉から引用する。
「我々は侵略戦争を開始することが犯罪行為である、とは思いません。戦争が個人の犯罪行為である、というならば、それは現行法を超えていると思います。将来、侵略戦争を開始した国家が道徳的・政治的な責任を問われるようになるかも知れません。だが、現行国際法上、そのように結論することは誤っている、と思われます。」

第3は刑法のよって立つ刑事訴訟法の観点において果たして犯罪の構成要件を兼ね備えていたのかどうか。講演内容から浮かんでくるのは強い疑念であった。東京裁判は、共同謀議は立証されず、裁かれる国、日本の法曹関係者の協力を占領軍は拒否、公平な裁判でなかった、国際法に基づかず占領軍政の特別法廷となった、などの点でニュールンベルグ裁判とも異なった。その不衡平な裁判については講演で大岡氏は次のようにいう。

「判決の中の事実の認定に関する部分はすべて起草委員会によって起草され、その起草が進むにつれて、まず最初に“多数”と呼ばれた7名の裁判官から成る委員会に提出された。この草案の写しは他の4名の裁判官にも配布された。後者は多数裁判官の討議のために、また必要が起った場合には草案を修正するために、自分の見解を多数裁判官に提出することを要請された。しかし、本裁判所を構成する11名の裁判官が判決のこの部分の一部または、全部を口頭で討議するために会合することは一度もなかった。本官は、日本におけるマッカーサーの立法権限にいかなる制限もないと肯定することに全く賛成できない。 (中略)  無条件降伏を手に入れた征服者があらゆる主権を行使できるなどと言い切るのは間違いなのである。」

「戦争」をどう理解するか

東京裁判の連合国代表判事11名は多数派7名と少数派4名とに2分された。インドのパル判事の被告全員無罪論はよく知られているが、ベルナール判事の反対論は戦後ほとんど人の口の端に上ってこなかったという。大岡氏はパリ西郊外の街ナンテールにある現代国際文書図書館におけるベルナール肉筆の史料、フォンテヌブローの現代史古文書センターの記録、ベルナールの一人息子と交流のあった研究者ジャン・エスマンへの直接会見、などを通じて「忘れられた過去」を追跡した。フランス語による裁判手続きを認められなかったベルナールは失意のなかで日本を去った。アフリカのコンゴというフランスの植民地から同じように植民地を持った日本に赴いたベルナールの主張は、私たちに今、問いかける。戦争と個人の責任、戦勝国と敗戦国、戦争の持つ意義、天皇の戦争責任。多くの質問が会場において投げかけられた。

瀬藤澄彦