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【レポート】第18回パリクラブ輝く会「和会席料理をいただきながら学ぶ和食の戴き方と美しい所作の実践」と「英国の上流階級のマナー講座」

8月23日に「銀座サンミ高松本店」において、この日のために用意していただいた特別メニューを堪能しながら、和洋のマナーを学ぶイベントが開催されました。講師を担当されたのは、松平洋史子(よしこ)先生とコーシア郁実先生。松平先生は水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔で、祖母・俊子さんがまとめた教本『松平法式』を受け継ぎ、茶道、華道、「おもてなし」などの分野で数多くの要職を務められています。
英国在住12年のコーシア先生は、ご主人が歴史と伝統を誇る名家の出身で、義母の薫陶を受け、英国上流階級のマナーを体得されました。教育者歴15年以上を誇り、英国ボーディングスクールのコンサルティングも手掛けられています。
なお、松平先生のお話については、第16回輝く会のレポート(www.parisclub.gr.jp/event/2018-07-26-1-sp.htmlを参照)で詳しく紹介していますので、スペースの都合もあり、今回はコーシア先生のお話を中心にまとめさせていただきます。

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【開催済】第18回パリクラブ輝く会【パリクラブ緊急コラボ企画】「和会席料理をいただきながら学ぶ和食の戴き方と美しい所作の実践」と「英国の上流階級のマナー講座」同時開催。

美しく・優しく・逞しく限られた空間と時間を共有する人間同士が美しく自分を磨き優しく人の為に尽くし、逞しく、謙虚に感謝の心で生きていく事は、万国共通の願いと思います。
皆様と美味しい和会席料理を「銀座サンミ高松本店」の個室でいただき、「松平先生の和食の所作とおもてなしの心」と「英国の上流階級のマナー」を学びます。
開催にあたり、サンミ高松本店様には特別な ご厚意を戴いておりますことを 感謝申し上げます。
松平先生・コーシア郁実先生に伝授いただきます。

日時 8月23日luncheon会 11時30分~14時30分
場所 銀座サンミ高松本店 和食会席料理(個室) 
住所 東京都中央区銀座6-3-9
TEL:03-5568-3300 FAX:03-5568-3310
最寄り駅 銀座線・丸の内線・銀座駅・日比谷線 徒歩2分(C2 出口)
有楽町線 有楽町駅 徒歩6分(A7 出口)
定員 20名
会費 ・パリクラブ会員7000円
・協力団体会員7500円
・一般8000円
(全員和会席料理一人前)
※ 事前振込とし、お支払いが完了した段階でお申込確定となります。
 お申込を頂戴した順に、送金先のご連絡をメールで差し上げます。
締切 8月17日(金)
※ 定員に達した際には、期日に関係なく締め切らせていただきます。
 申し込み期限後のキャンセル、当日の不参加の場合、
 参加費用の全額を頂戴いたします 。

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松平洋史子

松平洋史子先生

1949年京都生まれ。水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔。
祖母・松平俊子が昭和女子大学の校長時代にまとめた松平家に代々伝わる生き方教本『松平法式』を受け継ぐ。
大日本茶道協会会長(三代目)、広山流華道教授、茶懐石・宋絃流師範、一般社団法人日本おもてなしコンシェルジュ協会名誉理事を務める。
おもてなしの講師として講演活動を行っている。

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コーシア郁実先生

コーシア郁実先生

英国在住12年。夫は英国上流階級をはじめとする歴史のある家系で、義母から英国の伝統的なマナーを学び伝授している。
大学時代に教員免許書4種類(中学・高校の英語、フランス語)を取得。英国の大学院で修士号(教育学)を取得。大学の博士後期課程(教育学)を経て、英国のダラム大学で約10年間教鞭を取った。教育者歴約15年。華道の草月流師範と書道の大同書道院の書道教員免許取得。

【開催済】第17回パリクラブ輝く会と第3回乙女倶楽部と協力講演会のご案内「今田美奈子先生の夏のティパーティー」

今田美奈子先生を囲み、特別ゲストのパフォーマンスや今田先生のスペシャルメニューで優雅なティータイムを過ごします。
パリの香りが漂うひとときになりそうです。
ゲストは、元タカラジェンヌ三宅直生様がシャンソン歌って下さいます。後半は今田先生の御講演です。

日時 8月17日(金)11時〜13時(受付10時30分)
場所 サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ(新宿髙島屋4階)
定員 パリクラブ会員のみ10名。
定員になり次第締め切りとさせていただきます。
参加費 5000円 今田美奈子先生を囲み、や今田先生のスペシャルメニューで優雅なティータイムを過ごします。

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今田美奈子先生

ヨーロッパ各地の国立の製菓学校やホテル学校で学び、「今田美奈子食卓芸術サロン」(今田美奈子お菓子教室)を主宰。
世界遺産第一号フランスのシャルトル大聖堂の修復基金チャリティパーティーや食卓芸術展覧会開催など文化活動への支援、新聞・雑誌・テレビ・著書執筆などを行う。
主な著書
「貴婦人が愛した食卓芸術」(角川書店)、「正統のテーブルセッティング」(講談社)、「お祝いのシュガーケーキデコレーション」(柴田書店)、「天使に出会った不思議なお話」(テア)、「365日のバースデーケーキと星占い」(東急エージェンシー)、「新・セレブリティのテーブルマナー」(主婦の友社)、「お菓子と食卓のファンタジー」(角川学芸出版)他多数

【レポート】第16回パリクラブ輝く会 講演会「松平家から学ぶ和のおもてなし」

7月26日、東京有楽町の保険サービスシステム・セミナールームにて、松平洋史子氏による講演「松平家から学ぶ和のおもてなし」(主催・パリクラブ輝く会)が開かれました。松平氏の祖父は讃岐国高松藩松平家と井伊直弼の血筋で、祖母は、鹿鳴館の幹事長として欧州文化の移植に尽力した鍋島直大の娘である、松平俊子(元昭和女子大校長)です。まさに氏は、近現代における海外との政治外交や文化交流の開拓者たちの薫陶を全身に受けて育ったといっても過言ではありません。松平家直伝“和のおもてなし”哲学に、来場者もじっくり聴き入りました。

関係性から広がる、作法の美しさ・心の優しさ

この日、松平氏の講演は、森由美子パリクラブ副会長の開会の挨拶のあと、紹介者である山木美香氏による松平氏の略歴紹介の後始まりました。

司会を務めたパリクラブの岩間初音理事

司会を務めたパリクラブの岩間初音理事


開会の辞を述べる森由美子副会長

開会の辞を述べる森由美子副会長


松平氏のプロフィールを紹介する山木美香氏

松平氏のプロフィールを紹介する山木美香氏

「私たちはまず、美しくなくてはなりません」松平氏が開口一番発したのはそんな言葉でした。美しさの中で最も大切なのは、立ち居振る舞いとも言う松平氏。「美しい」という彼女の言葉には身体的な姿勢という意味合いと同時に、常に他者との関係性というニュアンスが込められています。たとえば、複数の「お客様」に対する挨拶の手本を、弧を描くような動きと共に見せるとき、確かにそれは、誰もが“ああ、これが武家のしきたりの中で培われた美しさか”と納得してしまう所作なのですが、その一挙手一投足は、一人でも目線から外れてしまう「お客様」がないようにという心遣いの顕れでもあるのです。
それは、人間の営みの中で最も個人的なものである「食」について語るときも変わりません。松平氏は幼少時、「私は、家の主人がお代わりをしたとき以外は、けっしてお代わりをしていけないと教えられて育ちました」といい、松平家ではそのことを、「腹八分目」と呼んでいたそうです。これは、“残りの二分は人のためにお残しなさい”という意味であり、 “自分の人生の二分を人のために役立てた喜びは、渡した以上の喜びとなって自分の元に戻ってくる”という教えである、といいます。同様に、「無駄なものを買わない」という教えについても、それは我慢することで、「本当に必要なものを見付ける」ことであり、そうすることで「人にも物にも余裕を持つことが出来て、優しさが広がるのです」と話します。

「松平家の挨拶は、『これからあなたとお話するんですよ』と、相手を懐にお迎えすることなんです」と話す松平氏

「松平家の挨拶は、『これからあなたとお話するんですよ』と、相手を懐にお迎えすることなんです」と話す松平氏

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【開催済】第16回パリクラブ輝く会 講演会のご案内「松平家から学ぶ和のおもてなし」

日本人だから知っておきたいホスピタリティの技術

この度、徳川御三家の一つ 水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔である松平洋史子様による講演会を開催致します。

2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。
それは、全世界の人々に日本のものに触れ日本の心を知って戴き、日本伝統文化であるおもてなしの心を深く理解して戴くチャンスです。
美しく・優しく・逞しく限られた空間と時間を共有する人間同士が美しく自分を磨き優しく人の為に尽くし、逞しく、謙虚に感謝の心で生きていく事は、万国共通の願いと思います。
時代は進化していきますが、人と人との付き合い方はどんな時代でも創造力を持つ事が大切だと思います。

講演内容

  1. 和のおもてなしとは
  2. 日本人なら知っておきたいホスピタリティの技術
    • 美しい 立ち居振る舞い
    • 清らかな 食の営み
    • 優しく 感謝の心
    • 豊かな ものに触れる
    • 穏やかな 節度

皆様と、I for You 宙を通して、皆様と心の糸を結んでまいります事が出来ましたらそれもご縁です。
皆様のご参加をお待ちしております。

開催場所 千代田区有楽町1-1-2東宝日比谷ビル17階
保険サービスシステム セミナールーム
日時 2018年7月26日 木曜日 18時開場
 18時30分 開演
 20時    質疑応答
 20時30分 終了
募集人数 60名
主催 パリクラブ
共催 在日フランス商工会議所
参加費 パリクラブ会員 2,500円
一般 3,000円
(共に松平洋史子様の著書付き)
締め切り 7月25日 水曜日

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松平洋史子

松平洋史子:まつだいらよしこ

1949年京都生まれ。水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔。
祖母・松平俊子が昭和女子大学の校長時代にまとめた松平家に代々伝わる生き方教本『松平法式』を受け継ぐ。
大日本茶道協会会長(三代目)、広山流華道教授、茶懐石・宋絃流師範、一般社団法人日本おもてなしコンシェルジュ協会名誉理事を務める。
おもてなしの講師として講演活動を行っている。

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【レポート】講演シンポジム「ル・コルビュジエの浮かぶ建築」〜セーヌ川洪水による災害を克服しようとする桟橋プロジェクト~

さる7月11日、恵比寿の日仏会館にて講演シンポジウム「ル・コルビュジエの浮かぶ建築」が開かれました。世界救世軍の依頼でル・コルビュジエが設計した難民収容船アジール・フロッタン(直訳すると、「浮かぶ避難所」)。パリ市内の女性難民の収容を目的に1929年に完成、難民たちの居住施設となっていましたが、老朽化が進み、長らくセーヌ川左岸に係留されたままになっていました。2005年より有志による補修が行われ、今年、新たな“船出”となるはずだったこの船は、2月に起きたセーヌ川の氾濫で、川底に沈みました。引き揚げを経て、新たな局面を迎えたこのプロジェクトについて、再設計の担当者である遠藤秀平神戸大学大学院教授と、桟橋の製作を手掛けた株式会社アロイ西田光作社長、建築家でもあるマニュエル・タルディッツ明治大学特任教授の3名をお招きし、アジール・フロッタンを巡る興味深いエピソードや、プロジェクトの経緯と展望についてお話を伺いました。

司会進行はパリクラブの瀬藤澄彦氏

司会進行はパリクラブの瀬藤澄彦氏

エコール・ド・パリの時代、人々の思いを繋いだ「浮かぶ避難所」が現代に甦る

「現在世界を水の話題が席捲しています」司会の瀬藤澄彦氏がそんなふうに切り出した今回のシンポジウム。確かに、タイの洞窟遭難や西日本の豪雨災害にまつわるニュースが世界を駆け巡った折も折り、セーヌ川氾濫の受難を被ったアジール・フロッタンのシンポジウムが開かれるのは奇遇という他ありません。まずは、2004年からアジール・フロッタンの修復プロジェクトに関わる遠藤教授による講演が行われました。元々アジール・フロッタンは、セーヌ川の石炭を運ぶ船だったといいます。第一次大戦の頃ドイツから石炭が入らなくなり、イギリスから石炭を入れようということになった際、戦時中で鉄が使えずコンクリートの平底船が導入されました。これらは大戦後、廃棄船となってセーヌ川に放置されることになります。そうした船を主に女性難民の救済のために活用しようというアイディアを出したのは、マドレーヌ・ジルハルドという女性でした。そして、船の改装資金が、彼女の同性パートナーであったルイーズ・カトリーヌの遺産であったこともあり、当初ルイーズ・カトリーヌ号と名付けられたのです。ちなみに、今一人の資金提供者は、シンガーミシンの創業者として知られるアイザック・シンガーの娘であり、芸術家のパトロンとして知られたウィンナレッタ・シンガー=ポリニャックでした。彼女は、自身の主宰するサロンの常連であるコルビジェをデザイナーとして指名したのです。船の改装が始まった1929年は、コルビジェの代表作であるサヴォア邸の工事が始まったのと同時期で(ちなみに、この時期のパリには、コルビジェの愛弟子である前川圀男も暮らしていました)、サヴォア邸同様、アジール・フロッタンにも、コルビジェが提唱した近代の建築における5つの理念(屋上庭園、ピロティ、水平連続窓、自由な立面、自由な平面)が濃厚に反映されているといいます。内部は、いかに沢山の人を収容するかを考えて設計されているといい、そんな徹底した機能性にも、コルビジェの刻印を感じさせます。このアジール・フロッタンには、普段作品に自身の署名を残さないコルビジェの署名が残されていたことでも知られており、それを、愛弟子の前川國男が書いたとも伝えられています。署名そのものは間もなく消えてしまったそうですが、その署名の写真を、遠藤教授はスライドで見せてくれました。

遠藤秀平神戸大学大学院教授

遠藤秀平神戸大学大学院教授

さて、こうして1960年頃までセーヌ川を季節によって移動しながら、また1995年頃まではルーブル美術館付近に係留されて、難民たちに寝所や温かいスープを提供していたアジール・フロッタンですが、老朽化による浸水の恐れがあるとして、パリ市より廃船または撤去の要請が救世軍に出されることになります。これを防ぐため、有志が救世軍より購入、修復を始めたのが、今回のプロジェクトの始まりでした。修復後のアジール・フロッタンは、展覧会など文化活動の拠点として新たな生命を得ることになります。工事中の船体を覆うために必要なシェルターそのものも、発信力のあるものにしたいというのが5人の有志の間における共通の希望であり、遠藤さんは、らせん状の帯が船を巻いた大胆なデザインを提案。こうして、リーマン・ブラザーズ・ショックによる中断を挟み、長い年月をかけての修復がようやく終わろうとしていた矢先の洪水でした。リノベーションがスタートした当時5人いた有志のうち2人は既に故人となり、残る3人が現在手を尽くして引き揚げ計画を進めているといいますが、作業自体は、さほど大変ではないとみられているようです。水中の杭にぶつかって穴が開いた部分さえ塞げば再び浮かび上がるという話ですから、不幸中の幸いという他ありません。

株式会社アロイ西田光作社長

株式会社アロイ西田光作社長

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