イベントカレンダー

焼酎って何? Salon de novembre

日時 2003年11月11日(火)
講師 横浜焼酎委員会 井出 氏

1111-shochu-111月11日(火曜日)、終日雨に祟られた肌寒い日でした。 果たして何名の方々が出席されるだろうか心配でした。 今回のイベント「焼酎」については、企画 段階で悲観論、楽観論が入り乱れました。 フランスの方々が興味を示すだろうか。 焼酎って安酒のイメージ。 ガード下の赤提灯ならともかく、ヨーロッパ 料理のポールスターで開催するのはどうか、等々。 受け付け開始の30分前、何と池上会長が真っ先に会場に姿を現しました。 何故かフト土俵に上がる高見 盛関の姿を連想しました。 並々ならぬ気合いを感じました。 続いて会計担当の秋山理事、今回のイベントの立て役者、マニグリエ理事が緊張の面持ちで次々 に現れました。 受付が開始されるや、続々と参加者が到着されました。 イベント開始の19時には、何と58名全員が勢揃いしたのです。

満員御礼にイベントの責任者、芝辻理事の顔に笑みがこぼれました。 講師を務める横浜焼酎委員会の井出さん、酒焼けしたご年輩の方だと勝手に想像し ておりました。 何とニートでハンサムな若い紳士だったのです。 第一線でお仕事に励む傍ら、ある時からぞっこん惚れ込んだ焼酎にドップリとはまり込んで おられる方でした。 その解説はまことに判りやすく、焼酎への興味を嫌が上にも高めて戴けたようでした。 マニグリエ理事も事前に焼酎の勉強を相当にされ たようでした。 フランス語の通訳は淀みなく、見事なものでした。 10名程のフランス人参加者達も、皆時おり深く頷き乍ら、熱心に聞き入っておりまし た。 レクチャーが終わり、いよいよ今夜のメインイベント、試飲会が開始されました。 

1111-shochu-2セットアップは完璧でした。 テーブルが6ケ所、程よく配置されておりました。 それぞれが焼酎の産地、沖縄/奄美大島、鹿児島、宮崎、熊本、大分、長崎の テーブルに割り当てられておりました。 各々の産地別に数種類ずつ焼酎が置かれ、各瓶には整理番号が貼られておりました。 資料を参照すれば、たちどころ に産地、原料、酒造元、銘柄、コメントを見ることが出来ました。 58名の日仏の参加者達は、これが沖縄の古酒か、これが麦焼酎か、と各産地を渡り歩くに つれ互いに言葉のハンデイーも忘れ、饒舌になりました。 黒糖の焼酎がうまい、いや麦焼酎が飲みやすい、とワイワイガヤガヤ、時の経つのも忘れておりまし た。 気が付くと既に時計の針は10時を廻っておりました。 飲み残しの焼酎は希望者が銘々大切に抱え、互いに別れを惜しみつつ会場を去って行きました。  空になった会場には、焼酎特有の香りが一面に漂っておりました。 ポールスターの明日のご商売に差し障りないだろうか、そんなことを考えながら会場を後 にしました。

公邸Rendez-vous開かる

日時 2003年10月10日(金)
場所 フランス大使公邸

1010-kotei-110月10日金曜日は快晴の朝を迎えたが、午後からは曇り空に変わってしまった。 それでも気候は暑くも寒くもなく、心地よい夕暮れを迎えていた。 フランスの3色旗とEU旗が翻るフランス大使公邸は静まり返っていた。

午後6時を過ぎた頃、恒例の夜会に三々五々と集まって来る招待客の出現で、公邸は俄に華やいでいった。 スラリとした大使夫人のお姿を早くからサロンで見ることが出来た。 流石立派なホステス振りである。 ウエルカムシャンペーンは喉に心地よく、130人の招待客は上機嫌で開宴の午後7時を迎えたの である。 

1010-kotei-2冒頭、ベルナール・ド・モンフェラン大使はパリクラブ創立10周年記念にあたり、クラブ創設の背景からその後の活動状況まで詳しく言及され、暖かいお祝の言 葉を述べられた。 続いて池上パリクラブ会長から大使への答辞が述べられた。 謙虚なうちにもことパリクラブの活動については、並々ならぬ自信に満ち溢れ ていた。 これをパリクラブ理事の太田垣夫人が流暢にフランス語に通訳をした。 そして在日フランス商工会議所のオスタン名誉会頭の乾杯で、楽しい夜会の 第二部が開かれた。

突如拍子木と鐘、太鼓の音が鳴り響き、江戸里神楽の名人、松本源之助師匠一行6名が会場に現れた。 世界を股にかけ各地で日本の伝統芸能を紹介して 来たこの77才の名人、その飄々とした姿を現しただけで会場は、途端に祭りの雰囲気に包まれたから不思議である。 獅子舞、一人二役のおかめひょっとこ、 大黒様が次々と現れた。 松本名人は遂には大使と大使夫人を連れ出し、一座に加えてしまったのである。 鉢巻きに法被姿のお二人、拍子木と鐘を神妙に鳴ら しておられた。 そして最後に獅子の口からTous mes voeux!の巻き紙が出て来てお開きとなった。

1010-kotei-3すっかり日本の祭り気分に浸った招待客、お隣りのビュッフェ会場に入り驚いた。 そこには皆が大好きなフランスがあった。 生牡蠣をはじめ美味しそうなカンパーニュ風のご馳走がズラリと並んでいた。 そしてそれからは何時果てることもない楽しい祝宴の時が刻まれて行った。

大使ご夫妻、パリクラブ10周年をかくも楽しく祝って戴き、本当に有難うございます。

鏡獅子

日時 2003年9月21日(日)
場所 国立大劇場

0921-shishi-19月21日(日)国立大劇場において、藤間流2年に1度の藤彩会が華やかに開催されました。 午前中から午後にかけ、若いお弟子さん達の初々しい舞踊が披露 されました。 プログラムは段々と進み、舞台は円熟味を増して行きました。 そして17時30分、待ちに待った古木睦美さんこと、藤間藤藍さんが自ら野心的挑戦、と表現した長唄「鏡獅子」の幕が開きました。 正面壇上に21名の楽士が整然と並び、思わず襟を正しました。 一瞬の静寂を破り太鼓の音が会場に 鳴り響きました。

古木さんは当クラブの理事。 ご職業は弁護士で知的財産権のご専門。 超多忙なお仕事のかたわら、2年間にわたりこの難しい演目に備え、お稽古積ん で来られたのでした。 ご本人は謙遜され、前シテの弥生はともかく、後シテの獅子の精はあまり期待しないで下さい、と言われておりました。

0921-shishi-2重い衣装を身に付け、躍動する獅子の動きを舞台中ところ狭しと演じました。 その激しい動きに圧倒されました。 日頃にこやかな古木さんの何処にこの様なバ イタリテイーが潜んでいたのでしょうか。 50分の舞台に幕が降り始めるや、満員の客席から大きな拍手が沸き起こりました。

我々は興奮さめやらず、夢遊病者のような足取りで楽屋に向いました。 多くの友人達に囲まれた古木さんの姿がありました。 激しい舞台の直後、古木 さんは大きな息づかいをしながらも、大作を演じ切った満足感が前身に漲っておりました。 獅子のメークを通し、日頃のにこやかな古木さんがありました。  思わずエライヤッチャー、と口ざすんでしまいました。

柴又散策

日時 2003年9月20日(土)
場所 柴又

0920-shibamata2003年9月20日(土)は台風15号の本土接近に伴い、朝から生憎雨模様のお天気でした。 それにもかかわらず集合時間の正午には、柴又駅前の寅さん像周辺に は、参加者21名全員が集まっておられました。 パリっ子のアランさん(当会理事)の先導で、一行は寅さん映画でお馴染みの商店街を通り抜け、帝釈天(タ イシャクテン)に向いました。 実は今回の柴又散策を企画したのは、浅草に住み下町をこよなく愛するアランさんだったのです。

帝釈天でお参りを済ませた頃、そろそろお腹もすいて参りました。 一行は再びアランさんの案内で、柴又一と言われる川魚料理屋「川甚」に向いまし た.お座敷から見下ろす矢切りの渡しは雨に煙り、何とも言えぬ風情を感じさせてくれました。 一行はしばし景色を楽しんだ後、銘々お膳の前に坐りました。 その途端でした、いきなり震度4の地震に見舞われたのです。 流石江戸っ子のアランさん、何等ひるむ様子もなくニコヤカに談笑を続けました。 参加者全員 も大いに安心し、和やかな会食が始まりました。

宴もたけなわとなった頃、各人一人一人が自己紹介を始めました。 フランスとの関わり、パリの思い出、寅さん映画への思い、果はフランスの年金を如 何に取得するか、など様々なお話が飛び出しました。 お神酒も入りすっかり上機嫌になった一行、三々五々と柴又散策に散って行きました。

こうしたイベントでは、思わぬ人と出会い、思わぬことを知ることがあります。今回の新発見は、当会の池上会長ご夫妻が尋常ならざる寅さんファーンだったことです。 何と寅さん映画48作を洩れなく観ておられると言うのです。

今回柴又で念願の寅さんと対面し、記念写真を撮ることの出来たご夫妻、本当に嬉しそうでした。

日仏エコノミストフォラム「中国、ブラックホールか?救命ブイか?」

FORUM “La Chine, trou noir ou planche de Salut ?”

Forum は、一回行ったのみで、好評にも関わらず中断していましたが、パリクラブ常任理事増淵文規氏がお引き受け下さったので、再開の運びになりました。Forum は基調講演に続き、ご来会者全員の参加を得て討論を行う集いです。

日時 2003年7月3日
18:30 受付開始
19:00 Forum開始
場所 恵比寿日仏会館 501号室
(JR恵比寿駅、動く遊歩道出口からガーデンコートに向かって左方面徒歩5分)
会費 2,000円(飲食物は質素です)
お申し込み MAIL : anim@ccifj..or.jp  FAX : 03-3288-9558  吉田暢子氏気付

大変ショートノーティスになり、申し訳ありません。開始時間は、現役の方々にご参加頂きやすいように、遅めに設定しました。この催しは会員に限らず、どなたでもご参加頂けます。お誘い合わせの上お申し込み下さい。
使用言語 フランス語のみ(通訳無し)

今回は、この程、Bruxelles 支局長にご栄転がおきまりになった AFP 通信社東京支局長 Philippe RIES氏がご帰国前のご多忙にも関わらずご参加を快諾して下さいましたので、すこぶる異色ある催しとなるものと期待しています。尚、Forum 終了後、引き続き、ささやかながら Philippe RIES氏の歓送会を行いますので、奮ってご参加下さい。

テーマは、今や超大型台風の目になった中国の諸問題を、日仏企業人の視点から広く検証しようとするもので、増淵氏は下記のような切り口をお考えのようです。

  • 中国の挑戦は幸福をもたらすのか、それとも脅威なのか?
  • 共産主義帝国は民主主義国家に脱皮できるのか?
  • 中国が政治不安を惹き起こすことなく、経済成長を維持しながら西側のシステムに融合され得るならば、21世紀は中国の世紀となろう。
  • 中国は日本の将来のみならず、アジアの将来も左右するであろう。
  • 歴史的な対立はあったが、我が国は中国との良好な関係を維持し、日中韓三国協力関係を確立することがアジアの繁栄と平和の鍵になるであろう。
  • 20年後には、北東アジアが世界経済の活力の中心となるであろう。
  • 参加者の方々のご意見は如何でしょうか?
  • フランス人の方々にとって、中国及び中国人は何なのでしょうか?

Philippe RIES 氏の主要テーマは 19日に頂けることになっていますので、入手次第追加掲載します。

 

【RIES 氏論議の中心】

RIES 氏からお約束どおり、論議の及ぶ対象に関するメモを頂きましたので訳文を下記します。尚原文は仏語サイトのFORUM紹介記事に収録しました。

冷戦終結後、日中間の相対関係は二つの大きな出来事による影響を受けた。即ち :

  • 1997 年から 98 年にかけてのアジア危機と、中国が北東アジアの強国となる決意を示したこと
  • 2001 年 11 月 中国が WTO に加入したことである。

日本の地域的リーダーシップ(米国のグローバルな傘の下に於いてであるが)は今や挑戦を受け、日本の対応は、その矛盾した態度をあらわにするものになった。即ち :

  • 大企業と中小企業の関係、また国際競争に曝されている分野と、保護されている分野の問題
  • 国益(中国の挑戦を顕わにしようとする態度)と特殊利害問題(農業分や保護、歴史問題)

中国の挑戦(欧州に於いて、アメリカの挑戦が喧伝された如き)は日本を過去の矛盾から脱却させるのに役立つのではないか?或いは意思決定プロセスの麻痺を更に悪化させるものであろうか?

欧州は全体として、特にフランスはこの問題に、日本ほど曝されていない :

  • 欧州は強力な地域総合体建設を推し進めている段階であり、また遙かに自己充足的である。
  • 中国との国際的分業はずっと以前から開始されている。
  • 欧州の大規模産業は日本ほど直接に脅かされていない。(航空宇宙、エネルギー、奢侈産業等々。また、それら産業に対する中国からの需要は大きい。

中国に関する論議は日本に於いては一大産業に化した感がある。然し相対的な戦略的回答が那辺にあるかは極めて分かり難い。

  • アメリカとの同盟関係強化探求は充分なのだろうか?
  • 日本は根本的な自己批判を行うこと無しに地域的リーダーシップを行使することが出来るのだろうか?
  • 中国の政治的変革は失敗するものと決めてかかって満足していて良いのだろうか?

以上から考えますと、熾烈な論議が火花を散らすことが予想され、大変興味深い日仏経済フォラムの展開になるものと期待されます。

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6月のアウテイング・競馬観戦

日時 2003年6月7日(土)
場所 東京競馬場メモリアルスタンド

梅雨が心配された6月7日(土)、テルセン公使を始め、在京日仏関係諸機関の紳士、淑女32名は、府中の東京競馬場メモリアルスタンドに集まりまし た。 幸い薄日が指す絶好の競馬日和、馬場のコンデイションも良好、全員期待に胸を膨らませてレースを観戦しました。 そしてその期待は、見事に実現しました。

競馬は入場料さえ支払えば、誰でも観戦出来ます。 今回の日仏交流アウテイングはある偶然がきっかけとなり、企画されることになりました。

当会の文化委員の田辺理事が、ニュージーランドから成田行きのビジネスクラスに搭乗した際、偶然競馬国際交流会の北原理事長とお隣り合わせになりました。 

日仏親善交流についてお話をするうち、国際交流にご理解の深い北原理事長、東京競馬場の貴賓室に日仏関係者を招待しよう、と言うお話に発展しまし た。 それも幾つかある貴賓室の中で、最も格式の高いローズ1にご案内戴くことになったのです。 何と有り難いお話ではありませんか。

そして第3レースに、日本競馬会の史上4番目と言われる高配当が出たのです。 15番人気のアイアイキセキ、7番人気のスギノデトリアーノが1着、 2着とゴールに駆け込んで来たのです。 その瞬間、我等のお仲間の一人、E嬢は失神せんばかりでした。 何と200円の馬券で30万円の配当を手にしたの です。

この快挙で貴賓室は一気に盛り上がりを見せました。 今まで消極的だった紳士、淑女達も真剣に次のレースの勉強に取りかかりました。 パドックで我 と我が目で出走馬や騎手の毛並み、顔色を確かめました。W女史などは騎手のルックスで馬券を決めるなど、それこそ十人十色、皆忙しく馬券売り場に向いまし た。 そしてその結果は、後はご想像にお任せ致します。 

こうしたアウテイングでは、思わぬタレントが出現するものです。 テルセン公使とご一緒に重要なお仕事を担当されているプユイサン女史、双眼鏡を片 時も離さず、各レースの実況放送をユモア?たっぷりに行いました。 一同これには抱腹絶倒、笑いの涙で出走馬も霞んで見えたほどでした。

この間、テルセン公使急のご栄転が参加者全員に伝えられました。 公使初の離任のご挨拶は、このローズ1で行われました。 パリクラブのために種々のご尽力を戴いた、素晴らしいお人柄の公使をお送りするに、誠に相応しい、和やかな雰囲気でした。

お別れ、笑い、興奮、E嬢寄贈のシャンペーン、そして競馬国際交流会小山部長の肌理細やかなご親切なアテンドで、全員子供の遠足のように楽しく、賑やかに時を過ごしました。 気付いた時には、美しい緑の芝生の上に、既に西に傾くお日様の光りが指し始めておりました。 一同別れを惜しみつつ、競馬場を 後にしました。

文責 蘆野