モンレアル便り

第10号

カナダの経済(つづき)

バッテリー開発競争

モントリオールから100kmほど北上した所に本社を構えるケベックの黒鉛製造会社が、2022年10月、日本の電機業界トップ企業との間で、電気自動車(EV:electric vehicles)用の電池材料となる黒鉛の長期供給契約に関する覚書を締結し、これに日本の商社を交えた3社での協業を発表しました。そして2024年2月、同じ黒鉛製造会社は、長期契約を締結した日本企業と米国の大手自動車会社が黒鉛製造プロジェクトに巨額の出資をしている内容を発表し、地元紙や業界紙が一斉にそれを報じました。
また、2024年3月には、別の日本企業が、カナダの鉱山探鉱会社と合弁でリチウム鉱山の開発事業を展開するニュースが報じられました。鉱山開発だけではなく、現地に精製拠点を設けて鉱石の製錬までを行うとのことです。2027年から生産が開始される予定だそうです。

現下の国際情勢を見るに、安全で安定したサプライチェーンを確保することが、国家の存亡においてますます重要になっています。重要鉱物の供給元が一部の国や地域に偏っていることは、エネルギー安全保障の観点から健全とは言えません。民主主義、法の支配、自由貿易といった価値観を日本やその友好国と共有する資源大国カナダは、日本にとって不可欠な資源の供給源としても極めて重要な存在です。カナダ政府は、環境に配慮した電気自動車(EV)の動力源となる EV バッテリーや風力発電のタービンを製造するのに必要なリチウム、黒鉛、ニッケル、コバルト、銅、希土類元素(レアアース)といった重要鉱物を重視し、2022年12月に「需要鉱物資源戦略」を発表しました。この戦略では、重要資源の研究開発、技術展開のために38億加ドルを拠出するとされています。また、その中で、「グローバルなリーダーシップと安全保障の強化」の一環として、具体的な国名は挙げられていませんが、「非市場的慣行を行っているいくつかの国に重要鉱物生産が集中していることが、サプライチェーンの混乱と鉱物資源価格高騰というリスクになっており、それが地政学的な問題によって一層深刻化している」と指摘しています。翌23年3月に、天然資源大臣は、3億4400万加ドル以上の資金を投じることを発表し、助成対象として、カナダにおける温室効果ガスを排出しない、いわゆるゼロエミッション車(ZEV)のバリューチェーンの開発を支援する新しい処理技術の商業化準備を進めることを表明し、EV バッテリーのリサイクル事業を含む複数のプロジェクトを列挙しました。この実施地域の1つであるケベック州となっています。ケベック州の電力のほぼ100%は水力発電でまかなわれています。クリーンなエネルギーを使ってゼロエミッション車を製造し、バッテリーをリサイクルする、という環境重視な発想は、いかにもカナダらしいと思います。ケベック州の政府関係者は、ケベック州には豊富な水があり、重要鉱物資源があり、製造技術もあり、また輸出のための港もある、つまり、バッテリー製造・輸出を上流から下流まで全ての工程を州内で完結できる点を強調しています。
2022年8月、米国では、過度なインフレを抑制すると同時に、エネルギー安全保障や気候変動対策を迅速に進めることを目的とする「インフレ削減法案(IRA:Inflation Reduction Act)」が可決されました。同法では、EV 購入時の税額控除の適用条件として、北米域内で車載リチウムイオン電池部材が一定割合以上製造されること、リチウムイオン電池の原材料となる重要鉱物資源が米国との自由貿易協定締結国から調達されることが求められています。従って、カナダの EV バッテリーのサプライチェーンが一層注目されるようになってきたのです。

燃料(ガソリン)ではなく、電池(バッテリー)で走る電気自動車(EV)には2種類のバッテリーが搭載されています。1つは、車を走らせるための駆動用バッテリーです。もう1つは、ライトの点灯やオーディオ用に

電気を供給するための補機用バッテリーです。駆動用バッテリーは、いわばエンジン車の燃料タンクと動力源としてのエンジンの役目を担っています。EV バッテリーのほとんどは、リチウムイオン電池です。ちなみに、日本でもかなり見かけるハイブリッド車の電池はニッケル水素電池ですが、最近ではリチウムイオン電池が使われるようになってきているようです。電池の開発で重視されるポイントの1つが、「エネルギー密度」というものです。密度が濃い方が、電力を多く貯めることができます。リチウムイオン電池は、ニッケル電池や鉛電池と比べても高密度です。当然ながら、製造において、より高度な技術が求められ、その分コストがかかります。つまり、高価格になりますが、将来技術が進歩すれば、価格も落ち着いてくるかもしれません。EV バッテリーの寿命については、一般に、8年間の使用または16万kmの走行をしたときに、バッテ リー容量が70%以上あることが保証されています。
電池には、正極と負極と呼ばれる2つの極板があり、負極から正極にイオンを流すことで、電気が発生します(電気の流れは、イオンの流れとは逆に正極から負極へ)。リチウムイオン電池の正極材料には、コバルト、ニッケル、マンガン、またはこれらを合わせた三元系(NMC)や、ニッケル、コバルト、アルミニウム酸(NCA)などがあります。負極材料には、炭素系、チタン酸などがあります。一般的な炭素系材料には、黒鉛(グラファイト)が使われます。冒頭のニュースは、この負極材としての黒鉛の生産を指すものです。

温室効果ガスの排出をゼロにするカーボンニュートラルの潮流や再生可能エネルギーの普及、それに EV 化の流れを背景に、リチウムイオン電池の世界市場規模は拡大傾向にあります。2023年の世界の市場規模は推計459億5000万米ドルで、2030年にはその倍以上の1062億5000万米ドルに達するという予測もあります。EV バッテリーが、今後さらに注目される分野であることは間違いありません。2024年4月に、フランスのパリに本部がある国際エネルギー機関(IEA)が発表した報告書 によれば、2035年、つまり10年後には、EV が世界の新車販売の5割超を占めることが予測されています。今後、ヨーロッパ(EU)や米国の一部の州において、ハイブリッド車を含むエンジン車の販売が禁止されていき、EU では EV 比率が85%、米国で70%となる見込みです。EV で現在トップを走るのは中国ですが、ガソリン車よりも安価な EV を生産し始めています。
冬には摂氏マイナス20度にもなるモントリオールでも電気自動車を多く見かけます。道ばたの充電ステーションもあちらこちらに。私はタクシー(Uber)を良く利用するのですが、EV 車(特に TESLA)に当たる確率が非常に高いです。

モントリオールの町中でよく見かける充電中のEV

モントリオールの町中でよく見かける充電中のEV

2023年9月、日本の経済産業大臣がカナダの首都オタワを訪問し、カナダ政府との間で蓄電池サプライチェーン及び量子・AI 等の産業技術に関する協力覚書を締結しました。加えて、蓄電池サプライチェーンに関する官民ラウンドテーブルも行われました。

カナダ政府は、2024年4月に新年度の連邦予算を発表しました。その中で、既存の(温室効果ガス)排出量ゼロ自動車促進(iZEV)計画を通じた消費者の EV 購買促進のために、新たに6億800万加ドルの融資に言及しました。iZEV 計画では、排出量ゼロ自動車(ZEV)を購入するカナダ人や法人に対し、車種に応じて最大5000加ドル(軽量車両:通常の車両、SUV、ピックアップトラック等)から20万加ドル(中・大型車両:トラック、シャトルバス等)の補助が受けられることになります。また、EV 組立、バッテリー製造、正極製造の EV サプライチェーン企業に対する10%の EV サプライチェーン投資税額控除の新設も含められました。
同じタイミングで、日本の自動車メーカーが150億ドルを投じてカナダのオンタリオ州に EV 組立工場、電池工場、電池部材施設を設置すると発表しました。カナダの連邦・州政府も、50億ドルの公的支援を行うと呼応しました。バッテリーの生産開始は2028年とされています。

グリーンでクリーンな経済を目指して

東アフリカのケニアの首都ナイロビに本部を構える国連環境計画(UNEP)では、グリーン経済(Green Economy)の定義を、「環境問題に伴うリスクと生態系の損失を軽減しながら、人間の生活の質を改善し、社会の不平等を解消するための経済のあり方」と定めています。環境に配慮した世の中を実現するための経済・社会活動を指すものと理解します。日本とカナダが共に掲げている目標に、2050年までの「カーボンニュートラル(脱炭素)」があります。それまでに産業構造や法的枠組みを整えて行く必要があります。GX(Green Transformation)、つまりグリーン転換が求められています。日本政府は、2023年2月に「GX 実現に向けた基本方針」をとりまとめ、「脱炭素」と「GX 投資」の促進を進めることとしています。

三色の水素とアンモニア

カーボンニュートラルに向けて、石油や石炭といった化石燃料の燃焼による火力発電に変わるクリーンなエネルギー源が必要になってきます。現在、日本は電源の7割以上を化石燃料に頼っています。そこで注目されているのが、水素とアンモニアです。子供の頃に理科の実験でやったように、水(H2O)を電気分解すれば、水素を取り出すことができます。
アンモニア(NH3)は、水素(H)と窒素(N)の化合物です。例えば、天然ガスを燃焼する火力発電の場合、天然ガスの主成分であるメタン(CH4)は、分子式のとおり炭素原子と水素原子で構成されています。メタンを燃やすということは、メタン1単位に酸素2単位加えることで、CH4+2O2 となり、二酸化炭素水が発生します(CO2+2H2O)。この水を電気分解すると水素が取り出せます。つまり、天然ガスを燃焼させることにより、二酸化炭素と水素が得られます。既に実用化が始まっている家庭用燃料電池も、ガスを燃焼して得られる水素を活用しています。
その水素と窒素を合わせると、アンモニアが作られます。水素もアンモニアも、排出量ゼロの燃料として次世代のエネルギー源として注目を集めています。天然ガスからアンモニアを生成する過程で CO2 が発生しますが、こうやって作られた(CO2 の発生を伴う)アンモニアをグレー(灰色)アンモニアと呼びます。少し汚れたイメージです。この CO2 を分離、回収して地下に貯留することで、大気中への発生を防ぐことができます。こうした過程を経て作られたアンモニアはブルー(青色)アンモニアと呼ばれます。天然ガスの代わ

りに、CO2 を出さないクリーンな再生可能エネルギーを使用して作られたアンモニアをグリーン(緑色)アンモニアと呼びます。
水素も同様で、化石燃料から取り出された水素をグレー、CO2 を分離、回収したものをブルー、電気分解で生成されたものをグリーンと色分けします。GX の取組としては、上記3色のうちのグレー以外の2色、特にグリーンを目指すことが求められています。
なお、日本の企業が支援したカナダ東部のノバスコシア州のベンチャー企業は、CO2 をコンクリートに注入することで、脱炭素に貢献するだけでなく、コンクリートの強化にもつながるという一石二鳥の取組を行っています。この技術は、北米中に浸透してきているのだそうです。

なお、アンモニアは、常温では気体ですが、冷却すれば液体アンモニアとして運ぶことができます。つまり、アンモニアを運ぶことで、気体である水素(原子)も同時に運ぶことが可能となります。日本の企業も、カナダにおけるブルーアンモニア事業に参画しています。
アンモニアで注意すべきは、危険物として扱う必要がある点でしょう。例えば、引火しやすい、高圧ガスとして爆発の危険性がある、毒性があるため吸引すると健康に影響が及びうる、といった点です。

日本の英知が水素を運ぶ

日本企業が2015年に始めた世界初の国際間水素サプライチェーン実証事業が、2020年のクリスマスの日に所期の目的を達成し、完了しました。具体的には、東南アジアのブルネイに水素プラント、日本の川崎市に脱水素プラントを建設して、ブルネイで調達した水素を「SPERA 水素」という技術を使い、液体の形で日本に海上輸送し、脱水素プラントで気体の水素に戻して発電燃料として供給するというものです。10か月運用して、水素100トン以上を安全かつ安定的に供給することが確認されました。SPERA 水素は、アンモニアと違って、常温・常圧下で輸送できるところが優れています。
SPERA 水素とは、どういった技術でしょうか。その鍵は、トルエンという有機化合物にあります。この無色透明の液体と気体の水素を化学反応させると、メチルシクロヘキサン(MCH)という液体になります。MCHは、同量の気体状態の水素と比べると、約500分の1の体積に縮小されます。このように、安全に水素を貯蔵し、輸送できる MCH を「SPERA 水素」と呼んでいます。MCH は、インクの修正液に含まれるなど、日常生活にも広く使用されている物質です。
水素キャリアとしての MCH を使った水素サプライチェーンの仕組みについて、実証実験では、ブルネイで水素とトルエンを混ぜて MCH を生成し、これをタンクに入れて船で日本に輸送します。MCH は、摂氏350~400度に加熱すると、水素を吐き出してトルエンに戻ります。日本で水素を取り出した後、残ったトルエンは、ブルネイに戻る船に積んで送り返すのです。これを繰り返すことで、MCH をキャリアとしての水素サプライチェーンができる訳です。トルエンの扱いは消防法上はガソリンと同様であるので、既存の石油関連の流通システムを活用することができる点も良いですね。

世界初の水素旅客列車がケベックを走り抜ける

私が着任してすぐの2023年2月初旬。1つの現地紙の記事が目にとまりました。「北米初のグリーン水素旅客列車」と題するその記事には、フランスのアルストム社との共同開発による、グリーン水素で走る旅客列車がケベック州内で約150kmの試運転をすることが書かれていました。ケベック州政府のトップであるルゴー州首相は、「ケベック州がグリーン・エネルギーにおける世界のリーダーとなり、北米でのカーボンニュートラル競争に勝つための計画である」と誇らしげに紹介しました。この列車は、コラディア・アイリント(Coradia iLint)という、水素燃料電池を搭載した新型モデルで、世界初の水素を動力源とする量産型車両です。最高速度は時速140kmに達し、走行距離は水素満タンで約1000km)に及びます。2022年の9月には最長の1175kmの走行に成功しました。2017年に時速80kmでの走行実験を開始して以来、ドイツでの実験走行が進められてきましたが、2023年夏には、北米初の路線の実験走行を、カナダのケベック州で実施しました。水素を動力源とするため、運行中に排出するのは CO2 ではなく、水のみです。このクリーンな列車は、ケベック州での実証プロジェクトにおいて、2023年の6月中旬から9月末までの間、セントローレンス河沿いのシャルルヴォワ鉄道網(Réseau Charlevoix)で、1万人以上の乗客を運びました。
従来この路線を運行しているディーゼル列車と比較して、約8400リットルのディーゼル燃料を節約し、22トンの CO2 排出を回避することができたそうです。
実際に旅客車両として通常運行するようになるのは先になるでしょうが、夢のある取組で楽しみです。

(つづく)

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