エルメスと老舗の精神
シーナリーインターナショナル代表
齋藤峰明氏
齋藤氏は、エルメスジャポン代表取締役社長、エルメス・パリ本社副社長を歴任され、現在はシーナリーインターナショナル代表として日仏企業へのブランド戦略のコンサルティングをされています。
講演は、先ず銀座にあるメゾン エルメスの話から始まります。建築家であるイタリアの巨匠、レンゾ・ピアノ氏によるデザインで、京町家、法隆寺五重塔を連想させる、四方に柱がないランタンをイメージされた作品だそうで、齋藤氏もひとかたならぬ思い入れを持っておられます。
続いて、19歳で単身フランスに行かれ、パリ大学で学ばれたお話を伺いました。その後、氏は、三越パリ支店が関わった年間200回もの展覧会のために、バイヤーの目利き役のような役割を果たされたそうです。その経験により、商品開発から販売まで手がけたいと考え、エルメスに移られます。いいものについて、どこがいいのかを説明できる仕事、これこそ自分のやりたかったこと、毎日楽しくて仕方なかったそうです。
エルメスは1837年パリで創業された馬具メーカーが原点。それは当時の最先端でしたが、1850年には機関車、1900年には自動車が発明され、これからは車が世の中を席巻することを見越していたと言います。ライフスタイルは変わりますが、良い職人が良い工芸品を作り、時流に乗ります。海辺のリゾート、ドービルまではパリから200キロ。車ができて行き易くなり、女性が仕事をするようになって、バッグ、スカーフなど商品ラインが広がっていきました。しかし、エルメスは常に、顧客のために何ができるかを考え続けました。職人の技術を使って、時代の変化に合わせて顧客に応える。エルメスはビジネスではなく、生業を考え続けてきた。自分たちで納得のいくものができたらサインを入れる。これがロゴでなくサインを入れるということなのだそうです。最大公約数のように、皆が欲しがるものは絶対に作らないという哲学が堅持されてきました。人が好きと言った瞬間ブランドができる。どういうブランドを作ったら売れるかを考え続けてきたと言います。いい生活をしたいという願望がある限りブランドは無くならない、等々。
講演では数々の名言、キーワードをいただき、参加者の方々からは質疑応答では消化しきれないほどの反響があり、講演終了後も長い行列が絶えませんでした。