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日仏エコノミストフォラム「トルコ共和国のEU 加盟を廻る諸問題」

日仏経済交流会(パリクラブ) 主催
在日フランス商工会議所(CCIFJ) 共催

日仏エコノミストフォラムは、在日フランス商工会議所会頭ユベール・ドメスティエ氏のご出席もあり、討論の皮切りにコメントを述べられ、また CCIFJ 総書記、THALES International Japan 社長、ミシェル・テオヴァル氏の特別参加を得て非常に盛り上がりました。27名の参加者が詰めかけた、定員30名の会議室は熱気に溢れ、定刻を超えて熱心 な討論が行われ、有意義な実りの多い会合になりました。 主発表者増淵文規氏執筆の報告書を以下挿入します。

日時 2005年3月3日(木)19時~21時
場所 恵比寿 日仏会館 501号室
発表者 増渕 文規氏 パリクラブ常任理事、三菱商事(株)監査室長

【2005年3月3日のフォーラムについて】

3月3日に「EUとトルコ」というタイトルでフォーラムを開催しました。参加者総勢26名で、前半は増渕がプレゼンを行い、後半の討論部分ではタレス・インターナショナル日本のテオバル社長にco-chairをして頂きました。

遅まきながらアジア地域経済圏の重要性に目覚めた日本にとって、各国主権の一部までも担うに至ったEUのあり姿は、ある意味で羨望の的です。様々な難関を乗り越えてさらに機能進化を図るEUですが、一方で加盟国が増え肥満による動きの悪さも出てきました。

同じような経済力や、同じような社会的背景・歴史を持った国々の集まりだから出来たことが、ヘテロの集まりになっても可能なのだろうか。これが増渕 の基本的な問題認識です。加盟国が多く、国の大小・経済力に関係無しの一国一票で、機能不全に陥っている国連の二の舞にならないかという危惧です。25カ 国でも、これまでのような「親戚同士の会話」というわけには行かないでしょう。トルコはさらに特に文化面で欧州から遠い国です。

そこまで拡大して、EUは本当に機能するのか、第2の国連になってしまうのではないのかという問題提起に基づき、出席者間で活発な討論が行われまし た。トルコの歴史を踏まえた文化的特長についてのテオバル氏のコメントは、議論の進行の大きな助けになりました。トルコに造詣の深い方が多かったことも印 象的でした。トルコは大国にして、アラブ・イスラム世界との架け橋になるという点を強調する意見も出ました。議論の結論は勿論ありません。On verra.

2005年3月10日 増渕文規 記

酒蔵を訪ねる会

毎年この季節に行われる恒例の酒蔵訪問ですが、このところ埼玉県久喜にある名門寒梅酒蔵の訪問が続いております。今回も2月5日(土)の午後、日仏の有志12名がここを訪れました。

日時 2005年2月5日(土)
場所 埼玉県久喜 寒梅酒蔵

1821年創業の寒梅酒蔵、昨年秋の関東信越地区鑑評会では、同社の自信作「飛翔天」が見事に最優秀賞を獲得しております。そんな結構なお酒を是非 賞味したいとの期待もありました。 いや、それ以上に毎回鈴木社長、星野杜氏が直々に酒造りについて説明をされ、その上蔵の中を隈なく見学させて下さるこ とが大変な魅力、つい寒梅酒蔵さんに足が向いてしまうのでした。

初めて参加された方の素朴な疑問に対し、お二人はニコヤカニ説明をして下さいました。「お米の60%も削って勿体ない」「何故寒梅を社名に、椿では 駄目」「冷たい水なのに素手で磨がねばならぬのか」「ミキサーを使えば」「何故蔵の中は女人禁制だったのか」「タイ米では駄目か」等々。

ワインも同じでしょうが、酒造りは愛情をもって接しなければならないのです。幼児が風邪を引かぬよう絶えず気を配り、はだけた布団をかけてやったり、汗をかいていれば薄いタオルに変えてやったり、それと同じことですよ、と星野さんは目を細めて説明されました。

何時の間にか日もとっぷりと暮れました。一同は近くの和食レストラン「おかの中央店」に場所を変え、楽しみにしていた品評会に臨みました。注目の 「飛翔天」を始め6種類の銘柄が持込まれました。一本一本鈴木社長のご説明を受けながら、一同は神妙にチビリチビリ味わい始めました。

成る程「飛翔天」は澄み切った大空に舞い上がる心地、空きっ腹も手伝ってか、五臓六腑に染み渡りました。次々と味合う美酒に、いつしかホロ酔い加減 となった一同、時の経つのも忘れて話の花を咲かせました。星野杜氏は酒蔵に帰るべく席を立たれました。母親が留守居の赤児を気遣うよう、早足で立ち去られ た後ろ姿が印象的でした。

造る人がおれば、飲む人あり。暖かいお座敷で美味しいお酒が飲めるなんて、何と幸せなことでしょう。まだ参加した事のない皆さん、是非次回はご一緒しましょう。

文責 蘆野

Salon de janvier Qu’est-ce que le Chocolat?

皆さんは子供の頃から、チョコレートに親しんで来られたことでしょう。ところでチョコレートって何時頃から、どのようにして作られたのか、ベルギーは何故昔からチョコレートで有名なのか、ご存じでしょうか。

日時 2005年1月24日(月)
講師 和光チョコレートショップ エグゼクテイブ・シェフ 上野博史氏

0124-chocolat-1好奇心旺盛な方々が寒い北風をものともせず、飯田橋のフレンチダイニングレストランにお集りになりました。 会場の関係で先着順42名の方で締め切らせて戴きました。会場はまさに大入り満員の大盛況でした。

チョコレートに関する多くの疑問について、和光チョコレートショップのエグゼクテイブ・シェフである上野博史氏が、明解に説明して下さいました。Salonシリーズで多くのイベントを企画したパリクラブのマニグリエ理事が、今回も自ら通訳を買って出ました。

質問も多く出ました。大好きだが太りそうで心配だ、太らぬ方法は。チョコレートは直ちにエネルギーに変わる。せいぜい食べたら運動すること。様々なチョコレートがあるが、特許の申請が出来るのか。製造に関しては出来る、製品について特許の申請が行われたことはない。

0124-chocolat-2楽しい一問一答が続きましたが、お料理の準備も出来たようで、一先ず中断しブユッフェに入りました。日仏半々の参加者達は、しばし美味しいワインと食事を楽しみました。いよいよ今夕のメインイベント、チョコレートのデグユスタシオンが始りました。

4種類のチョコレートが美しく並べられました。Truffe Nature, Rocher Noir.Framboise, Earl Greyです。不思議なものです。チョコレートに関する知識が身につくと、チョコレートを見る目も異なり、より一層味わい深いものになったようです。

上野氏の説明はさらに続きました、ワイン同様、温度も大切です。相性もあります。成る程、ごもっとも。いままで漠然としていたチョコレートの知識が深まりました。早速家族や友人に吹聴しよう。ウキウキしながらレストランを後に、飯田橋の駅まで早足に歩きました。

文責 蘆野

Salon de novembre「東京のコンテンポラリーアート名所への案内」

日時 2004年11月16日(火)19:30~
場所 恵比寿のレストラン”のみの市”

1116-tokyoart-12004年11月16日(火)19:00~恵比寿のレストラン”のみの市”でクリステイーヌ・シベール女史の講演が行われました。 これはパリクラブのマニグリエ・真矢さんが企画をされたものです。

当日は今にも雨が降り出しそうなお天気でしたが、日仏半々の40名が参加致しました。 現代アートも、フランス語にも自信のない私でしたが、クリス テイーヌさんが日仏両国語で自ら説明をされ、大変興味深く拝聴することが出来ました。 ソルボンヌ出の美術修士号をもつ女史、と聞かされていたので、神経質な恐ろしいおばさんを想像しておりました。 何と私の子供と同じような年頃の若い気さ くなご婦人でした。

新しい六本木の森ビル53階のアートセンターや駒場の日本民芸館、恵比寿の写真美術館など、身近な場所で優れた現代アートが鑑賞出来ることを教えられました。 東京以外の見所としては、香川県にあるイサム・ノグチ庭園美術館などの紹介もありました。

1116-tokyoart-2クリステイーヌさんは冒頭、外国から訪れると、東京の街は一見「滅茶苦茶」な印象を受けるが、その中に世界の先端を行く現代アートの宝庫が隠されている、と いう説明が大変に印象的でした。 東京に生まれ育ちながら、これらの宝庫を知らずに過ごして来た自分を、些か恥ずかしく思った次第です。

講演後のbuffet dinnerは、お料理も豊富で大変に楽しい雰囲気でした。

ワインを飲むうちに、いつしかフランス語が優勢になって参りました。 フトここはパリじゃない、東京なんだと気付き時計を見たら、既に10時半を過ぎておりました。 話に夢中な人々の腰を折らぬよう、そっとクリステイーヌさんにお礼の挨拶をし、静かに退散致しました。

文責 蘆野

幕末の日仏関係史を訪ねる日帰り横須賀ツアー

日仏経済交流会(パリクラブ)、在日フランス商工会議所、(財)日仏会館・日仏協会 共催

日時 2004年11月14日(日)
集合 10:00 JR横須賀駅

1114-bakumatsu-12004年11月14日(日)、日仏経済交流会(パリクラブ)+在日フランス商工会議所+(財)日仏会館・日仏協会 は、横須賀方面日帰り旅行を共催しました。総勢73名の参加を得ました。「最後の幕臣小栗上野介忠順(1827-1868)とフランスの造船技師フランソ ワ・レオン・ヴェルニー(1827-1908)が関わった、フランスの日本向けクレジットと横須賀製鉄所(造船所)建設の事績をたずね、併せて、横浜日仏 友好会、横浜日仏協会、鎌倉日仏協会、かながわ日仏協会の皆さんと交歓する」ことが目的でした。

【プログラム】

10時JR横須賀駅に集合、ヴェルニー記念館で往事使われたスチームハンマーを参観後10時半~11時にヴェルニー公園から造船所跡地を望みつつ、横浜日 仏協会会長西堀昭横浜国大名誉教授の幕末の日仏経済交流史に関する講話。11時~13時半に園内で横須賀市によるヴェルニー・小栗祭(式典+レセプショ ン)に参加。横須賀名物海軍カレーも楽しんだあと、午後、3方面に分かれて行楽。

【西堀教授講話要旨】

横須賀造船所建設によって、フランスから当時の先端技術に加え多様な文化が、ポリテクニシャンのヴェルニーと彼が伴った45名のポリテクやミーヌ出身の技 官、ノルマリアン、パリ大学弁護士達の手で移転。造船所建設費用240万ドル(1865年当時)に関するフランスの幕府向け政府借款交渉は、ロシュ公使離 任を機に不調に終わり、60万ドル程度の延払い信用に移行。この債務は、新設ドックでの新造船10隻と修繕船263隻の売上げ代金で、たちまち完済。

【行楽】

  1. 1114-bakumatsu-2横須賀猿島コース:ヴェルニー公園から記念艦「三笠」へ徒歩、艦内見学後、三笠桟橋から連絡船で猿島を往復、フランス積みのレンガ堡塁(遺構)など、郷土史家でかながわ日仏協会理事の山下詔一氏の解説で見学、三笠桟橋で16時半解散。
  2. 鎌倉コース:紅葉スポットなど鎌倉日仏協会の方と一緒に知られざるスポットへ。きわめて好評につき場所名公表ををあえて遠慮。照会先:鎌倉日仏協会の宇田川潔氏。
  3. 横浜コース:某所を横浜と読み替えて、横浜日仏友好会の方ときわめて有益な歓談のひとときを過ごされた趣。

横須賀市(沢田秀男市長)のおもてなしに心から感謝します。和・洋・中のオードブル、巻きずし+ギャレット、デセールをたっぷり頂戴しました。

横浜日仏友好会(田村絢子会長)横浜日仏協会(西堀昭会長)鎌倉日仏協会(佐野昭三会長)かながわ日仏協会(清水邦男会長)の皆さまのご協力に厚く 御礼申し上げます。西堀教授は、同教授が監修された絵本「横須賀開国物語」を寄贈して下さいました。ご覧になりたい方は、事務局にご連絡下さい。

関本勘次 記

日仏シンポジウム『自由が丘の景観を考える』報告

Jスピリット社主催、パリクラブ共催

1019-jiyugaoka-1美しい町並みとは一体どういうものか。快適な都市空間を作っていくにはどうすればよいか。自由が丘が10年来友好関係にあるエックス・アン・プロヴァンス市 市長代行ブリュノ・ジェンザナ氏の来日を機会に、都市景観についてのシンポジウムをJスピリット社(*)主催、パリクラブ共催で去る10月19日、日仏会 館で開いた。台風接近の悪天候にもかかわらず、多くの聴衆の参会があった。
(*)自由が丘地区の企業や振興組合などが株主となり、中心市街地活性化法にもとづいて、街づくりの一元化をすすめている第3セクター特定会社。目黒区も株主の一。

日時 2004年10月19日
場所 日仏会館

パリクラブ会員でもある脇るみ子さんの司会で始まり、渡辺Jスピリット社長の挨拶があった。そのあと当クラブ副会長であり、自由が丘日仏協会会長の関本勘次氏が奨学制度などエクサンプロヴァンス市との緊密な関係を説明、歓迎挨拶をした。

つぎにジェンザナ市長代行が基調講演を行った。以下その要約:

『本日は地域開発といった直接の主題でなく、むしろ哲学的命題をお話ししたい。つまり市街地の魂の脆弱性についてです』ということで、中心市街地は 都市の心臓という機能的な象徴であるばかりでなく、都市の魂である。それが或るときは危機に瀕することもある。エックス市も例外でなく、多くの問題を抱え ていた。フランスの他の都市と同じく、19世紀末から20世紀初頭、驚くべき人口増加をみた。それ以前にあった中心地の住民の等質が崩れていった。財政的 余力のある中心地住民は、緑地や空間がどんどん狭められるのを嫌って、旧城壁の外へ移り住んでいった。中心地の社会的均衡が崩れ、窮乏化した。これに対し て最初は無干渉であった。その結果不動産商業財産の価値の低下が促進された。

これを回復するためには、あらゆる段階での協調、すなわち国と県と市の連合が必要であった。その具体的手段として『経済混成会社』Societe economique mixteを発足させた。一方アパート・商店主へも再生の試みを要請した。そして市の建物の改装や移転を率先して行い、国に対して高裁の移転拡張を求め た。地域上に明確な行動地帯を定め、建物の美的枠組みを規制することを建築専門家に委ねた。国からの援助を得て、個人所有の建物で近代生活に不適合なもの の改修には、さきの経済混成会社が担当した。こうして15年前には20%の空き家のあった中心地を回復出来た。

駐車場の完備(3000台)。ストリートイベントの開催。クリスマス期のマルシェ(市場)や音楽週間(多くのツーリストを誘致した)。

最後に商業地の質の改善については、看板や展示物などの問題を解決するために、関係者の間で『品質の憲章』Charte de qualiteを作り、個人主義の多い商店主との交渉・対話をしてきた。長い時間が必要。

市街地の衰微の不運を嘆くことなく、長い時間をかけて改善していくことが必要である。

青木英二目黒区長のあいさつ。地域活性化のための目黒区も株主となっている(株)J スピリットと国土交通省の肝いりで始めるトランジットモールについて言及があった。

1019-jiyugaoka-2休憩のあと、石川忠氏(一級建築士)のエックス市街地と自由が丘の比較を述べられ、いままでの都市計画のひずみ(道に沿ってファサードを揃えるalignement)や最近の景観法による看板規制などに言及された。

パネリストの長谷川博士氏(日本色彩学会理事、日本ペイントデザインセンター所長)は映像により、小布施町の各店が自己主張を控えて、色書体を統一 した看板をもって町作りに成功している例を示した。一方背景に日本アルプスを抱えていながら各人が目立ちたいと看板を掲げている白馬村のイメージダウンの 実例を示した。

次のパネリスト・舩橋晴雄氏(エコノミスト、元国土交通省審議官)は自由が丘の『自由』から発想して、都市を作るものは市民社会であり、市場経済である。それらが町に魂を吹き込むという話をされました。
そのあとパネルディスカッションに移り、以下の主題が話し合われた。

  • 歴史都市の景観問題。これはジェンダナ市長代行の話のなかに出てきている。
  • 現代都市の景観問題
  • 都市計画の多様性と混乱から秩序へ
  • 自由が丘の景観形成
  • 住民参加

議論は多岐にわたり、そのすべてを収録するわけにはいかないが、最後に住民参加が官と民、あるいは公と私について話し合われた。公権力がフランスの 都市を作り上げた例をオスマン男爵のパリ都市改造。これに対し舩橋氏は『今や源泉は市民にあり。パブリックを意識する市民こそが都市に魂を吹き込む』と発 言した。

小杉隆衆議院議員からシンポジウム閉会の挨拶。ビュッフェに移り自由討論。