21世紀の欧州の新産業地図と経営戦略(5)欧米多国 籍企業の本国回帰現象

  • 2012年5月26日
  • パリクラブ通信 瀬藤澄彦

概要

日本以外の先進工業国の間では本国回帰が真剣に模索され始めたようであり、特にドイツや米国ではこのような動きが顕著である。しかし本国回帰現象は1950年代以降、4回ほど発生しており、近年5回目となるこの動きがドイツや米国だけでなく、他の国にまで波及していくのかどうか注目する必要がある。

<中国ブームの終わりを予感させる>

企業のグローバリゼーションに新たな波が訪れようとしているのだろうか。ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)による「中国、揺らぎ始めた『世界の工場』5年以内にコスト優位は消える」と題したショッキングな報告が関心を集めている1。ドイツやフランスで、生産拠点を本国に復帰させる動きが本格化しつつあるという調査報告が発表されているのだ。中国ブームの終わりが近づいていることを予感させる動きである。海外進出の動きに拍車が掛かっている日本とは対照的だ。

米国の有力な戦略研究所Booz Allen Hamiltonが実施した中国進出外資系66社の調査によると2、54%の企業は人民元高、賃金コスト急上昇、インフレ加速、生産現場改革の遅れなどの理由により中国の競争優位性が崩れつつあると考えており、17%の企業が近隣のベトナムとインドに生産の一部を移転することを検討しているもよう。それでもまだ83%の企業は中国市場の「規模の経済」の重要性から中国にとどまるとしている。この時点ではまだ本国回帰の動きは顕在化せず、第三国移転を考える一部の企業が出てくるだけである。これに本国の競争優位改善という条件が加わると、海外移転の減少と在外企業の本国回帰が本格化する。

現在のドイツがこれに該当する。ドイツのフラウンホーファー研究所の調査3によれば、海外への進出が8社につき1社だったのが11社につき1社に減少しており、少なくとも2000~2001年に海外進出した企業の20%、金属・化学部門では3,500社がドイツに復帰したと報告された。今では海外進出企業の4分の1から5分の1が進出後2年で本国に帰っているという。本国へ帰った理由は、72%の企業が現地での経営管理の自由裁量の欠如を挙げ、以下、インフラの不備(15%)、労働力の質の問題(9%)などが上位となっている。そして、ドイツの賃金コストの低下と質の良い労働力によって海外進出は骨折り損と感じられるようになり、ドイツ国内の方が魅力的であると再び感じられるようになってきた。360社に対する同研究所のアンケート結果によれば、4分の1から6分の1の企業が海外進出を中止しているという4

<米国製造業復権の動きと本国回帰で空洞化現象の潮目に変化か>

オバマ大統領は今年1月24日の一般教書演説で、米国の産業空洞化防止に強い決意を表明した。かつて大統領は、当時アップルの社長だったスティーブ・ジョブズ氏に「米国内でiPhoneを生産できないかね」と質問したという。また、同社の最高経営責任者ティム・クック氏はロサンゼルスのメディア・イベントで、iPhoneの米国内生産復帰の可能性について「そう望んでいる」と発言した。政府は、国内雇用優遇の税制策を背景に「2014年までの輸出倍増計画」を掲げ、自動車、宇宙開発、金融といった部門のように他の産業にも国内で再生させるという期待を掛けている。米国の労働生産性は中国の4倍であり、このまま中国の賃金上昇が続けば、米国企業の7割が中国から本国回帰するとされる5。特に、輸送機器、電子設備、家具、プラスチック・ゴム製機材、金属、コンピューターなど米国の対中国輸入の約7割を占めるこれらの分野では、その可能性が高まっているようだ。BCGの調査によると、人件費について米国の比較的安い州と中国を比較すると中国の方が55%コスト優位であるが、年率15~20%の人件費上昇が続けば3.9%となり、これに輸送費、関税、サプライチェーンリスクなどを勘案すると中国のコスト優位は消えると予測されている。

フランス企業の46%は海外へ移転したが、家具、スキー用品、スポーツウエアなどの分野をはじめとした15%の企業がすでに本国回帰している6。現地調達、生産組み立ての有利性によって海外進出したものの、物流輸送コスト面や本国の「暗黙知」のノウハウを重視してフランス本国に回帰するようだ。

<1950 年代以降の4 回の本国回帰の動き>

フランスのパリ第13 大学のエルムウ教授によれば、多国籍企業の本国回帰現象はこれまで四つの波があった7。 第1波がやってきたのは、1950年代初めにインドネシア、シンガポール、マレーシア、香港などの東南アジアに生産拠点を進出させた半導体、繊維、皮革、靴といった分野の米国企業が、1980年代初めになって米国本土に回帰し始めたときである。MOSTEC、National Semiconductor、Motorola、Dow Chemical、General Motorsなどの企業が米国内において生産をオートメーション化し、海外進出先とほぼ同等のコストで生産することが可能になったためである。

第2波は1980年代のドイツ企業のケースである。家電や電子部品の工場をメキシコとフィリピンに持っていたAEG、ビデオカメラや電子部品の工場を台湾、メキシコ、ベネズエラ、グアテマラに有していたBosch、電子部門の工場を台湾、ブラジル、モーリシャス島に進出させていたGrundig、Siemens、Paul Dauなどの企業がドイツ本国に回帰した。

第3波はフランスなど他の欧州諸国の企業にも本国回帰が見られるようになった1990年代前半である。特にエレクトロニクス、繊維、皮革、アパレルの分野で顕著であった。フランス企業ではNathanがブルターニュに、Groupe Bullがアンジェーに、Addxがグランビルに、SAGEM、KHT、Calorがビルフランシュに、Telemecaniqueがボドルーユに回帰。また時計のWIZE&OPE、アパレルのCAROLLやNAF NAF、眼鏡のEssilor、靴のKICKERS、事務機器のFRCharettなどの企業もフランスに回帰している。英国の電気ケーブル会社のElonex もスコットランドに帰っている。

そして第4波となる、サービス産業部門の海外進出を見直す動きが2000年代に始まった。いずれも進出先の国のサービス役務における欠陥や質の悪さによって国際競争力が喪失することを恐れた企業である。DELLやGeneral Electricは顧客と技術者との間のコミュニケーション上の摩擦によりコールセンターの一部を、Taxi Blueも同様の理由でチュニジアに作ったコールセンターをフランスに回帰させた。リーマン・ブラザーズも下請け企業との調整の難しさや消費者へのサービスの不完全さから本国回帰している。

産業空洞化とは企業の海外進出という現象にすでに価値判断を加えた表現であるが、フランスでは経常収支の観点から見て、海外からの企業収益送金などの所得収支や観光収支などのサービス貿易面の動きこそ重要であるという意見も有力である8。わが国では一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏が、国際収支の構造的な変化に伴い、成熟した債権国型の経済に移行しつつある日本経済においては、むしろ積極的に企業の多国籍化を推進すべきと主張している。英国では「ウィンブルドン現象」と形容されるように、本国の製造業の担い手を外資系企業に「委ねる」という経済政策が採択されている。

  1. “Offshoring is out, re-inshoring is the new fashon” FINANCIAL TIMES2012年5月11日付 社説
  2. “La vulnérabilité des TPE et des PME dans un environnement mondialisé”
  3. “Pourquoi l’Allemagne délocalise moins que la France” www.civitas-institut.com/ 2008年5月16日付
  4. 同上
  5. 「中国、揺らぎ始めた『世界の工場』5 年以内にコスト優位は消える」 http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-11062174605.html
  6. http://www.civitas-institut.com/ “La vulnérabilité des TPE et des PME dans un envirnnement mondialisé”
  7. “Mondialisation et délocalisation des entreprises” El Mouhoub Mouhoud 著 La Découverte
  8. “Arrêtons les faux débats économiques” Richard Vainopoulos:Les Echos

※なお、本稿で述べた意見は全て筆者の私見である。

(執筆者プロフィール)

瀬藤澄彦
パリクラブ(日仏経済交流会)会員
諏訪東京理科大学、リヨン・シアンスポ政治大学院(SciencePo Lyon)講師。
早稲田大学法学部卒業後、ジェトロ入会。アルジェ―、モントリオール、パリ、リヨンのジェトロ事務所長、次長。パリ ベルシー仏経済財政省・対外経済関係局・日本顧問。2001年度フランス国家殊勲(オルドル・ナシオナル・ド・メリット)シュバリエ賞受賞。著書多数。

※この記事は、三菱東京UFJ銀行グループが海外の日系企業の駐在員向けに発信している会員制ウェブサイト「MUFG BizBuddy」に2012年6月12日付で掲載されたものです。

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