「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第21回 国境画定(その1:国境画定とは)

アフリカを直進する人為的な国境
アフリカには54の主権国家がある。アフリカ大陸を地図で見ると、国境が人工的かつ恣意的に定められていることを伺い知ることができる。国境線が所々直線になっていることに気づくだろう。その理由の1つは、地形が低地でしかも砂漠のような比較的平らであるからだ。例えば、アルジェリア、マリ、リビア、エジプト、ニジェール北部、チャド北部、スーダン北部あたり。また、ナミビア、ボツワナ、南アフリカ北部あたり(下図参照)。前者はアフリカ北部地域で、サハラ砂漠があり、また後者は南部のナミブ砂漠がある地帯である。遮るものが無く、見通しが良いと、真っ直ぐに線を引くことができるだろう。そして、もう1つの理由には、列強による植民地支配の歴史が関係している。
国境は、陸上だと山や川等の自然の障害物によって決まることがある。この場合、国境線は地形に沿って複雑な形になることが多い。または、隣接する国同士が話し合いで決めることもある。アフリカの場合は、この方法で国境の多くが決められた。19世紀、英、仏等の欧州列強がアフリカに進出し、その殆どを植民地化した。アフリカの植民地について、列強同士の利害関係が衝突した結果、19世紀末に、列強同士が話し合い、緯度、経度を測り、支配する地域(国)の範囲を決めることとなった。その際、線引きの基準は、列強の利益の妥協点を繋ぐことであって、現地住民の民族分布や文化は考慮されなかった。その結果、人為的な国境線によって、1つの民族が分断されたり、生活圏が制限されたり、異なる民族同士が無理やり1つの国家に含められたりするといった、無理な状況が生じた。

(真っ直ぐな国境線:筆者作成)

(真っ直ぐな国境線:筆者作成)

国境紛争への取組
アフリカの国境地帯では、多数の国境紛争が生じている(下図参照)。その原因の 1 つとして、人為的な国境の線引きによるものが考えられる。
現在、国連とアフリカ連合(AU)が主催し、国境地帯の紛争への対処に取り組んでいる。「アフリカ国境地域センター計画(Africa Borderlands Centre (ABC) Project)」と呼ばれ、日本(AU 代表部)も執行理事国の一員だ。他の国や機関からの支援に先駆けて、200万ドルの支援を行なった。2021年6月には、第1 回目の執行理事国会合がオンラインで開催された。国境地帯の開発を進めるには、過去50年の情報を集約したデータベースが必要であり、このビッグデータをまとめた辞典(Encyclopeida)の編纂の必要性が訴えられた。国境地帯が抱える課題がいかに歴史的に根深く、複雑であるかが想像できよう。

(国境紛争地帯を大雑把に図示:筆者作成)

(国境紛争地帯を大雑把に図示:筆者作成)

国境の「画定」と「確定」
国境を決めることを国境画定というが、国境確定と書くこともある。これらは大体同じ意味なのだが、厳密には異なる意味を持ち、英語でも異なる単語を当てる。国境の「画定」は「delimitation」で、「確定」は「demarcation」である。どちらも区画を分ける線引きをするという意味なのだが、国境画定(確定)の文脈では、異なる意味を持つことになる。厳密な区別をせずに、一般的な国境の線引きをいう場合には、「国境画定」と表記されることが多いように思われる。よって、本稿でも一般的な文脈では、便宜上「画定」を使用することとする。日本語の場合、発音がどちらも「カクテイ」で同じなので、ちょっと紛らわしい。
国家間の協議によって国境を決定する場合、その基準点となる緯度と経度の接点を図面に落として、点と点を繋いでいく。白地図上に線を引くイメージである。しか

し、実際に土地を2つの領域に分割するには、その地図上に引かれた線を地上に落として国境を設定する必要がある。具体的には、地図上の線に従って測量し、地面に杭打ちをしていく。
もうお分りだろうか。地図上の線引きが「画定(delimitation)」で、地上での杭打ち作業が「確定(demarcation)」ということだ。
地図上では一直線であっても、実際に杭打ちを行う段階で、自然の障害物や、人工的な建造物(村落、教会のような建物等)があって、どうしても直進できないことがある。その場合は、それらに沿うか、あるいは避けながら進んでいく。従って、地図上に引かれた線は定規で引いたように一直線でも、実際には多少ジグザグした線になることもある。

ビッグデータの必要性
現在の国境紛争の多くには、国境地帯の一部の地域の帰属を巡る争いが多い。そこが歴史的にどちら側にあったのか、を検証するには、上述のアフリカ国境地域センター(ABC)計画にもあるように、膨大な情報を遡って調査する必要がある。本来人々が生活していたり、行き来していた土地を分断するように国境線が引かれたために問題化したのであれば、国境画定そのものが原因ということになる。
しかし、それを言っては元も子もない。AU では、現在の国境自体を見直すことはやらない、と決めている。これをやると、パンドラの箱を開けることになるからである。既に紛争となっている個別の国境問題を解決するだけでも、十分大変なのである。
南北スーダン間のアビエイのように、資源が大きな論点になっている土地もあれ ば、エチオピア・エリトリア間のバドメのように、土地自体は特段肥沃でもないが(但し、鉱脈があると言われたことがある)、紛争のキッカケとなった象徴的な土地を巡る争いになったものもある。しかし、本質はそれ程単純なものではなく、そこに至る様々な要因を含めて検討する必要があって、やはりビッグデータを載せた大辞典を紐解いていく必要がある(日本が抱える国境紛争をみても理解できるだろう)。勿論、現地の人々の意見にも真摯に耳を傾ける必要がある。

●国境地帯の警戒度が高いのはどこも同じだが、例えば筆者は、エチオピアとエリトリアの国境を越境せずに近付いただけで、地元の自警団に取り囲まれ、厳しく誰何されたことがあった。次の回に、エチオピアとエリトリアの国境問題の概要を説明し、その次の回には、筆者自身の経験を共有したい。国境問題というものが、いかにビッグデータを背景に処理しなければならないものか、が分かると思う。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)


(エチオピア南部の国境近くから、遠くケニア(向かって左手奥)と南スーダン(右手奥)を臨む:筆者撮影)

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