- Paris le 7 oct. 2013
パリクラブの皆様
今回のテーマは「フランスの”世界化”」です。
友人にフランスのグローバリゼーションを話していたときに「モンディアリザシオンだよ」と言われたことが動機です。
フランスの世界化に対する態度ははっきりしています。TPP問題をきっかけに日本もしっかりしとしたスタンスを見せたいものです。
綿貫
パリ通信(7)「下からみたフランス」フランスの“世界化”
(globalisation ou mondialisation)
綿貫 健治
パリに着くと必ずすることがある。まず、体調をととのえるためにシャンゼリゼを散歩し、景気づけのシャンパンをサン・ジェルマン・デプレのカフェで飲むことだ。シャンゼリゼはコンコルドから凱旋門まで傾斜のある坂道を早足で歩くと心地よい。サン・ジェルマン・デ・プレはぶらぶら散歩にちょうど良く、立ち寄る店は「フロール」か「ドウマゴ」にしている。一種の定点観測もかねていて、パリを1994年に離れて以来ほとんど毎年やっている。立ち並ぶ店舗や行き交う人を眺めているだけで、すっかりパリに溶け込んだ気になるから不思議である。旅の疲れが一気にとれると同時にフランスでおこっていることや国際性の変化がよくわかる。
観光客のプロファイルも変わった。1980年代は固定客の欧米人に交じる「いちげんさん」は圧倒的に日本人が多かった。今は景気のいい中国を筆頭とするアジア、ブラジルを中心とする中南米、旧植民地からの中近東・アフリカ人が多くなった。シャンゼリゼもシックでハイクラスな極楽浄土通りではなく商業通りになり、文化の香りの漂うサン・ジェルマン・デプレも観光的なスポットになった。
シャンゼリゼは国際化の「汚れと疲れ」症状が出ていてちょっと気になる。EUの進化でEU内では誰でもビザなしで自由にパリに来られるようになり、気取った人より普段着の人が多くなった。マナーも変わり路上のごみも目立ち、前にはいなかった物乞いも増え路上で無心をしている。マックなどのファーストフード、ギャップのようなファースト・リテーリング、路上に突き出たファースト・カフェが目立ち老舗の「リド」、「フーケ」などは目立たなくなった。日本人に代わって中国人が忙しく写真を撮っているのが印象的だ。
時代の流れか店舗の栄枯盛衰も目立つ。本やディスクを買いに行っていた総合エンタテイメントストア「ヴァージン」が店を閉め、家電・書籍専門店「フナック」はまだ経営しているが昔の輝きがない。日本全盛時のソニーのショールーム、JALのオフィス、サントリーなどの日本レストラン、日本人会オフィスなどもない。今はわずかトヨタのショールームだけががんばっている。日本のプレゼンスはオペラ地域と美術館に移った。オペラ地域ではギャラリーラファイエット前に最近進出した大型店「ユニクロ」や昔からの日本食レストランが外国人客でにぎわっている。メトロでは「RAKUTEN(楽天)」子会社の広告、日本をテーマにした美術館の広告、日本語のアナウンスが目立つ。
一方、「新しいジャポニスム」的現象も起こっている。毎年夏に開催される「ジャパン・エクスポ」には今年23万人の若者が集まり、マンガ、アニメなどを中心とした日本の新しい文化が急速に浸透している。美術館ではカジュアルな憩いの場所として日本名の「パレ・デ・トーキョー」のテラスが大人気で特に若い女性やカップルを集め、その近くのギメ美術館もユニークな展示で多くの外国人を引きつけている。マドレーヌのピナコテック美術館も私立ながら斬新な企画で最近では「広重とゴッホ」ですっかり有名になった。ケ・ブランレー美術館の隣の日本文化会館が日本ブームと内容の充実で来場者が急増している。今まであまり目立たなかったアルベール・カーン美術館(ブローニュ)の伝統的日本庭園・茶室も観客が増え、日本人有名建築家により2017年に向かって近代化的な大改修が始まる。
日本文化が「世界のニッポン」になり始めた。パリの街を歩いていると時々「I love Japan」のT-シャツを着た若者を見かける。アルベール・カーン日本庭園ではコスプレ衣装を着た数名の女子高校生にあった時にはびっくりしたが不思議 と違和感はなかった。マックと同じようにスシショップが立ち並び、スーパーや総菜屋のショウインドーにはスシセットが展示されている。日本食だけでなく最 近では「サケ(日本酒)」も人気が出てワイン屋さんでもみかけるようになった。トヨタ、ホンダのような日本車も増えて日常的になり、成熟した日本と日本文 化はもはや異質ではなく欧米並みにフランスの風景に溶け込んでいる。
マンハッタンに住んでいた時もそうだったが、パリにいると外国人が多いせいかグローバリゼーションの最先端にいる気になる。フランスは外国文化をすぐに吸収する不思議な力を持っているので余計にそう感じる。その同化力はすごい。特にパリは新しく異質な外国文化をものの見事にパリ化あるいは世界化してしまう。かつて異物と思われたエッフェル塔がパリの景色になり、シャンゼリゼもマックなしに考えられなくなった。フランスはまさにグローバリゼーションの「チャンピオン」である。
しかし、最近、フランスのグローバリゼーションは十分でなくその政策に疑問を突き付ける国が現れた。今度はイギリスでなく米国である。米国の有力新聞「ニューヨークタイムズ」(8月24日付)は、長期にわたって失業率も高く経済がなかなか回復しないフランスに「構造的な問題あり」と警報をならした。タイトルは「A Nation Ponders How to Halt its Slow Decline」とソフトだが内容はハードでフランスの政策当事者とエリート層を震撼させた。
かなりの長文を費やし現在のフランスの問題を的確にそして深く分析しているので紹介したい。要約すると、「ヨーロッパは、かつてのお荷物として”ドイツ問題”に悩んだが、今は”フランス問題”に悩んでいる。現在のフランスは、国が衰退しているのに学生にはもはや1968年5月当時の革命的情熱はなく、オランド新政権はフランスの二流国への衰退を止められそうもない。長い間フランス人の高い生活水準を支えてきた“民主社会モデル”がグローバリゼーション、老齢化、財政逼迫が悪化した時代には有効でないことをフランス人は気づいていない。新しい変革の強い意志は見えず、いまだに過去の栄光からくる論理、“フランスは欧州のリーダーでグローバル・パワーを依然保持している”と信じている。組織率が低い割に強力な労働組合に守られた快適な生活を享受し、最後の審判の日がまだ遠いという自惚れや自己イメージから抜け出ていないのではないか?」と現政権に対して厳しい疑問を投げかけた。
そして、さらに具体的に現在のフランスの社会制度に言及して、「フランスは、現在の“フランス社会モデル”である60歳定年制度、長期夏季休暇、定職者の週35時間労働制、難解な解雇制度などを死守しているが、もはや構造改革なしにはそれらを維持することは出来ない」と非難した。
そのアナロジーとしてイタリア貴族で作家のジョゼッペ・ディ・ランペドウ―ザのベストセラー歴史小説「山猫(Le Guépard)」(1958年)の没落貴族の有名な言葉「Il faut que tout change pour que rien ne change (Everything needs to change, so everything can stay the same)」を引用している。フランスが「今の状況を守りたいなら、(改革をおこして)自分が早く変わるべきだ」と早期の改革を促す。この小説は、1963年にヴィスコンティ監督による伊仏合作映画で二大スター、バート・ランカスター(米)とアラン・ドロン(仏)が共演して話題になった。余談になるが、かつてあのごついバート・ランカスターがフランス語を話しているのをTVで見てびっくりしたことがあるが、かれはこの映画を通じてフランス語をマスターしたのである。
フランス批判はさらに具体的に続く。「フランス経済の危険兆候はいたるところにある。政府支出はGDPの57%(ドイツより11%高い)、公務員は1000人につき90人(ドイツは50人)、時間単位の労賃は高く社会保障費はGDPの32%で国家の財政負債がGDPの90%と高い。新規雇用は正規雇用でなくほとんど期限付き雇用(82%)で5年前より70%増加しフランス産業と中産階級の生活を危険なものにしている。IMDの国際競争力報告書では60か国中28位、OECDEの“仕事のやりやすい国のランキング”では34位(イギリス7位、ドイツ20位)と低い。国営企業が多く農業官吏と書類量が多い」。読んでいて嫌になるほどである。もちろん、この記事には当然フランスの優秀性やメリットなど列記しているがここでは省く。最後に言っていることが将来の取るべき道を示唆している。「同じように社会民主主義政策をとり労働組合が力を持っているドイツは、シュレーダー元首相(社会民主党)が改革に挑戦した。フランスはこの事実から学ぶべきだ。本当の改革は左派しかできないのだ」と現在のオランドの政策を批判している。
以上、長い引用であったが最近では珍しい米国発の本質的な批判であった。なんとなく書いた記者の「フランス・ガンバレ」とも思える記事でもあった。 この記事が出る前にすでにル・モンドは「フランスの行政エリートはモンディアリザションを理解していない」と警鐘を鳴らしていたので、さっそく、グループの週刊誌「クリエ・アンタナショナル」とル・モンド電子版(8月21日付)で仏文版を取り上げた。仏文タイトルは「Économie:Pourquoi la France ne survivra pas à la crise(フランスはなぜ危機を乗り越えられないのか)」と英文よりきついタイトルになっている。 EU委員長のバローゾも外資の撤退の続くフランスに対して「フランス人は、モンディアリザシオンが何であるか理解していない」とまで言っていたのでことは重大であった。
この記事を読んだ後でフランス人の友人に、「フランスのグローバリゼーションについてどう思うか?」と聞いたら、即座に「グローバリゼーション?モンディアリザシオン(mondialisation)だろ」と直された。グローバリゼーションとモンディアリザシオンは、一般の人はほとんど同意語に使っているがエリートは分けて使っている。フランス人にとってグローバリゼーションとモンディアリザシオンは違うのである、学会などで何回かお会いしたことのあるフランスの経済学者ロベール・ボワイエ氏なども著書で、「モンディアリザシオン(世界化)はグローバリゼーション(国際化)ではない」と両者を分けて使っている。ポリテクニーク出身で新古典主義に対抗し人にやさしい資本主義制度や社会主義制度の調整と重要性を強調するフランス「レギュラシオン(調整)」学派の旗手であるボワイエ氏にとってみれば、グローバリゼーションは成長理論と市場原理を優先する新自由主義国アメリカゼーションで、多国籍企業を中心とした経済的国際化である。モンディアリザシオンは社会的連帯を尊び雇用や社会的安定なども含む「社会的ドメインにおける民主主義」によって実現する世界化を意味する。彼の考えを詳しく調べたい方はボワイエ著「ユーロ危機:欧州統合の歴史と政策」(藤原書店、山田鋭夫、植村博恭訳)が最近出版されたのでご参照願いたい。ちなみに、植村教授はフランス派でボワイエ教授と大変親しく私の横浜国大時代の友人である。
一般的に、フランス人はアメリカ型グローバリゼーションを嫌う。反グローバリゼーション運動が激しいのも、EU憲法が否決されたのもそういう理由による。また、アメリカの金融危機で新古典派の合理的経済論失敗の結果が欧州危機の原因の一つであることを知っているからなおさらである。一方、モンディアリザシオンと言うフランス型社会モデルは過去の歴史と経済制度に基づき、フランスは共産主義から脱皮して修正社会民主主義を掲げ市場主義を重視しつつも適度な政府介入や管理を認める調整的な政策(混合経済)に転換した。したがって貧富の格差を問題にし、その是正のための所得の再分配、福祉厚生の優先、雇用支援と労働組合の擁護など社会的バランスを優先している。
フランスはEC、EUの創設にその精神を反映させ、欧州の社会制度づくりにも貢献した。極端な思想や主義による「戦争を二度と起こさない」という精神を吹き込んだEC創設者ジャン・モネ、「欧州が生き残るためには市場の自由と社会的な連携を包括する社会制度が必要である」と強調したEUの創設者ジャック・ドロールの意思と精神を下敷きにして、1990年に「欧州社会憲章」(1990)を批准させ、「社会と個人のバランスのとれたヨーロッパ型社会モデル」を実現しのである。この精神に基づいてドイツのシュレーダー元首相が「ドイツ社会モデル」を実践して成長の基礎を作り今日のメルケル首相の成功につながった。
しかし、グローバリゼーションとモンディアリザシオンのどちらの方向に力を入れるかは、その国の事情により、コミュニティーを大事にし国民のコンセンサスで「下からの民主主義」を目指すアメリカと社会を大事にしエリートが導く「上からの民主主義」の欧州やフランスとの「せめぎあい」で決まる。フランスのインテレクチュアルでジャーナリストのギ・ゾルマン(Guy Sorman)が旅行ガイドの違いで分かりやすく説明している。ゾルマンは、フランスとアメリカの民主主義の違いを説明するのに、フランスの「ミシュラン・ガイド」はヨーロッパ大陸型の民主主義を象徴し、アメリカの「ザガット・ガイド」はアメリカの民主主義に例えるとした。すなわち、「ミシュラン」は専門知識を持っているエリートのグルメが評価を下すが、「ザガット」は一般読者の人気投票での格付けで決まる。「上から下への再分配」対「下から上への富の拡大」へのアプローチの差として説明したのである。
グローバリゼーションとモンディアリザシオン問題はすぐに片付く問題ではなく日本の問題でもある。日本は戦後アメリカ型のグローバリゼーションを基本として1990年代に金融危機を経験し未だにその後遺症に悩んでいる。事情は違うが、この記事の示唆することは大きい。
(2013年9月15日)