イベントカレンダー

【レポート】第6回「たそがれ時の談話室」のご案内 波乱の2019年をパリ中心に展望する

3月8日、恵比寿の日仏会館でTMF 日仏メディア交流協会主催による恒例の「たそがれ時の談話室」が開かれました。磯村尚徳TMF会長兼パリクラブ名誉会長を司会に毎回多彩なパネリストが、和気藹々と日仏情勢を語り合う談話会も6回目を迎えます。今回のパネリストは、朝日新聞編集委員の大野博人さん、WOWOW のテニス番組ナビゲーターとして知られるフローラン・ダバディさん、元警察庁皇宮警察本部長でもある五十嵐邦雄パリクラブ副会長の3人。議論は、昨年末より今年頭まで我が国のメディアの注目を独占した感の強いカルロス・ゴーン事件に始まり、世界を騒然とさせたジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動、近年におけるヨーロッパと日本のポピュリズム情勢、さらには欧州議会選挙の行方にまでに及び、所々で我が国のメディアがほとんど報じないニュースも飛び出しました。大変興味深い内容だったため、今回も昨年の磯村名誉会長講演会に続き、ほぼノーカットにて掲載します。

カルロス・ゴーンの欲望は、
毎年ジャンボ宝くじの一等を当てたいという底なしの欲望だ

磯村氏

磯村氏

磯村 いわゆるフェイク・ニュースは、特にドナルド・トランプの登場以来、ソシアル・メディアを通じてPost véritéなどといわれるようになり、隆盛を極めております。ワシントン・ポストによりますと、ドナルド・トランプ大統領は、就任2年目に1日平均16.5回嘘を言っているという。そんなふうにソシアル・メディアにおけるニュースでは事実が軽視される傾向にあるわけですが、それでは、片やコメントが意見活発かというと、SNSのようなソシアル・メディアだと自分の意見がいつでも書けるわけですから、フリーなはずなんですが、結局千差万別の意見の中で、簡単なキャッチ・コピーのようなものが際立つ結果となり、そうした短い言葉に左右されてしまって、意見というものが単純化・画一化されちゃってですね、今回そんな状況に対して、自由闊達な意見を言おうということで、皆さんにお集まり頂いたわけです。さて、今日出席頂いた3人のパネリストですが、まず大野博人さんは、現在朝日新聞の編集委員をなさっています。これは余談ですが、朝日新聞だけは、フランスに公平なんですよね。大野さんは、そんな朝日新聞のパリ支局に勤務していたのですが、私がパリにいたときは日本に帰っておられて、外報部長になり、ヨーロッパ総局長になり、そして論説主幹も務めました。次に五十嵐邦雄さんは、警察の最高峰を務められた方でございます。Sciences-PoとENAで勉強され、パリの在フランス日本国大使館の一等書記官を経て、帰国されてからは外事課長だとか国際的なポストにも就いておりますが、最後に就いたのが皇宮警察本部長でして、これは皆様もう御存知の通り大変重い責任のあるポストです。そして、フローラン・ダバディさん。ダバディさんがサッカー元日本代表のトルシエの監督の通訳をしてらっしゃったとき、私はパリにいて生憎サッカーはあまり見ていなかったのですが、トルシエ監督のことは忘れてもあの通訳の面白い方のことだけは忘れないというくらい印象に残っていました。軽井沢のフレンチフェスティヴァルで偶然ご一緒したこともあり、今日は久々にお話出来ることを光栄に思っております。……というわけで、まずゴーン事件について皆さんのお話を伺いたいと思います。私など外報育ちの人間からみると、これはもう三面記事以外の何物でもないのですが、この事件が日仏関係にどういった影響を与えるかが本日の視点となります。人質司法とか国策捜査とかいわれているこの事件について、五十嵐さん、個人の意見を含めて是非宜しくお願いします。

五十嵐氏

五十嵐氏

五十嵐 今回の事件に関しては、国策捜査が行われたとよくいわれますが、基本的に、捜査というのは全て国益のために行われるものです。捜査というのは、それが詰められて、証拠がそろうなど万全の体制が出来る流れになってから逮捕などの措置が始められるものですから、そのタイミングからたまたま国策というふうにみられて、国策捜査と言われているのではないでしょうか。それから人質司法の問題ですが、これは昔からよくいわれているわけでして、たとえば衆議院議員をなさっていた鈴木宗男さんは437日拘留されていました。佐藤優さんが512日、村木厚子さんが164日拘留されていた。特に村木さんは無罪になりましたのでやはり長い勾留は問題じゃないかといわれるわけです。一般論でいいますと、容疑を認めれば証拠などもそろってすぐ公判にいきます。ですから大抵早保釈が認められます。しかし否認していると捜査に時間もかかり、一般には拘束が長びくというのはありうる。もちろん、今回のことをきっかけに見直しが進むのではないかと思います。

磯村 ダバディさん、フランスではゴーンさんのことは話題になりますか?

ダバディ フランスでは、どちらかというとジレ・ジョーヌへの関心が高いと感じます。フランス人は気まぐれですので、ゴーンさんが悪いときにはここぞとばかりに叩くということはある。一方で、一時期ゴーンさんの人気が凄まじく、次の経済大臣に上り詰めるのではないか、というほどの評価だった。ところでその時から、当時経済大臣だったマクロン大統領とのライバル関係にありました。

大野 私は昨日保釈のときの報道で、ゴーンさんが黄色いベストを着ていたのを見て、何か深いアイロニーがあるのかと(笑)。今回のゴーン事件なんですけど、私は確かに日本の企業とフランスの企業の対立という面はあることはあると思うのですけど、ちょっと別のことに関心を持っていまして……。今回の事件で、ビジネス・コミュニティの中のエリートとそうでない人とのコントラストのようなものが浮き上がったな、と思いました。また、エマニュエル・トッドというフランスの人類学者が言っていたことも思い出したのですが、彼によれば、月給が10万円の人がもう少し増やしたいというのは経済的に説明が付くと。しかし、月給2千万円の人がもっと増やしたいというのは、もはや病気であると。たとえば20億の年収というのは、1億6千万円ぐらいですかね、月給でみると。これは、いわば毎月ジャンボ宝くじに当たりたいという欲求があることになる。(笑)たしかに問題ですよね。司法上どういう結論になっていくかとか、日産という企業がどのようになっていくかということももちろん大事なことだと思いますけど、そちらのほうにも関心を持っていきたいなと私は思っています。

磯村 ちょうど私はその頃パリに行っておりまして出発の日に飛行機の中でゴーンさんの事件を知りました。その月の終わりのほうで、パリの日本文化会館の支援協会の理事会がございまして、それが終わって、審議運営委員会があったのですが、そこに日仏を代表する10名の代表がおりました。フランス側の代表は、議長がゴーンさんを日本に送り込んだルイ・シュバイツァーさんといって、自身もルノーの会長を長くやっておられた人でした。またロベール・ピットさんという地理学者もいた。昼間はシュバイツァーさんがいるから、出席者はみんなゴーン事件のことを聞きたくてしょうがないんだけど、なかなか聞く雰囲気ではなかった。その後、夜は大使公邸で御馳走になったんですね。今の大使公邸のワインは、なかなかいいものが諸先輩のお陰もあって出されるようになっているわけですが、そんな中で私は誰の話が聞けるだろうかと思っておりました。すると、何とすぐ横にシュバイツァーさんがいたんですね。そこで、早速ゴーン事件について、「一体あれはどういうことですか?」と聞いたら、シュバイツァーさんはもう答えを用意をしていました。「まず20年というのはどんなに名経営者でもちょっと長すぎます」と彼は言いました。さらに、「ゴーンは任に答えて、2兆円の負債を抱えて破産寸前であった日産を救って4兆円の総売上を上げるようにした。彼の功績は認めていこう」と。しかし「やっぱり長かったなぁ」と呟きました。一方、事件が明らかになってからフランスのメディアの反応は、「おかわいそうに」ということと、もどかしさとの両方ありましたね。国際空港にゴーンさんの乗った特別機が着いたときにカメラから何から全部セットされてて、報道陣がわーっと行ってですね、これは、Un complot massive ――、つまり「大量の陰謀」であったと。ひとことでいうと、長い間フランス人の社長に頭を押さえられていた日産内部の告発によって逮捕して、待ちに待ってという形でわーっとやったんだと。そんなこともあって、大使の公邸で出席者の皆さんが言ったことは、「かわいそうじゃないか、あれだけの功績のある人を」「日本らしくない」「スマートじゃない」ということでした。親日派の方たちでさえ、ちょっとそんな感じでしたね。そういうふうに三畳間に拘束されて「おかわいそうに」ということでした。ル・モンド紙でも、ジャン・マリー・ビュッソーさんが最初に言ったことは、NHKも含めて、リンチをした、lynchageと。長い間問い詰めて自白させるということは人間以下である、ということでした。

ダバディ 日本がゴーンさんを生け贄にささげたとフランスの一部のメディアに書かれました。フランスはデモクラシーが根本ですから、まだ有罪となっていない者に対しては、いかがなものかという考え方なのです。ですから、ゴーンさんが逮捕された瞬間の映像を使って、フランスのメディアは遠藤周作の「沈黙」のように、日本が鎖国だった頃の江戸時代に戻っちゃいましたと、センセーショナルに伝えました。小菅の刑務所の映像を過剰に使って、フランス大企業のCEOたちも危機感を抱いた方がいい、と煽るようなところがありました。とはいえ、フランスでは、根本的にゴーンさんを最初から二重スパイ的存在として扱っていましたね。八方美人の彼は日本とフランスにいい顔をし、器用に両国の橋渡しをしていたのに、どこかでバランスを取れなくなりました。いわば東ベルリンと西ベルリンで器用に立ち回ってきた老獪な二重スパイが、一体どこで間違ったんだろう?というサスペンス映画のようなフランス・メディアの見方もありました。

磯村 それまでは、フランスのメディアでゴーンさんのことを呼ぶときは必ずfrançais、フランスの経営者というふうに言っていたわけですね。あの事件があってからは、何故か必ずfrançais libanais - brésilien と言うようになった。つまり、フランス人の心情というのは、“あれはフランス人なのね”というようなニュアンスに変わってきた。それから、これは若干アンティセミティックな見方になってしまいますけど、昔から「レバシリ」なんていう言い方がありましてね。ユダヤ人というのは相当がめついなどと言われてますけど、それをさらに二乗するとレバノン人になるというような意味でして……。ダバディさん、それについてはいかがですか?

ダバディ ゴーンさんの家族は、子供たち全員100%フランス人です。ですから最終的に、ゴーンさん自身のルーツはレバノンにあったとしても、心の中では育ててくれたフランスのグランゼコールやフランスへ感謝しているはずです。

磯村 左翼の目から見ると、特捜に日本の左翼系の人は昔から散々痛めつけられていてちょっと恨みがある。そこにもってきて、厚労省の局長の村木厚子さんが郵便不正事件で逮捕され、その後無罪になりましたけど、村木さんに対しても人質司法じゃないけど国策捜査が行われたということがあったといいますね。裁判所が勾留延長を却下したことは特捜にとっては驚天動地のことであった、などと週刊誌なども散々あおっておりますね。でも、本当に特捜は自白させるまで何のかんのして勾留したかったのか、その辺の御感想を五十嵐さんに承りたいと思います。

五十嵐 延長を申請して却下されたということですが、やはり日本人が被疑者であれば却下されなかったのではないかと思います。最終的に今回保釈が認められましたけど、公判は6月ぐらいになるといわれますが、それも始まっていない段階で認められたというのはやはり……。かなり裁判所も特別扱いといったら怒られるかもしれませんけど、印象としては私はそう思いました。裁判所もやはり評判とか批判とかを気にされることはあると思うので、やはりそういう部分はあったのかなと思います。

磯村 ダバディさんはいかがでしょうか。

ダバディ 多分、これで日本の司法手続きについての問題は、世界から注目を浴びて批判されるかもしれませんね。実際にニューヨークタイムズの社説はそうでした。司法手続きの公平性というのは、全体をみて判断しなければいけないと思うので、簡単な比較はしにくいところがあると思うのですが……。

日本人も招かれていた、ルノー+日産による
ベルサイユ宮殿の大宴会

磯村 次の問題に移って行きたいと思います。ゴーンさんが貰っていたという報酬の件なんですけどね。報酬を隠した隠さないという問題は、たとえば皆さんも御存知だと思うのですが、ゴーンさんは給料が不当に高いということを言われましたが、GMの社長のメアリー・バーラさんと比べたら、実は半分以下なんですね。ディディエ・ルロワというトヨタ自動車のフランス側の社長も報酬が10億なんですよね。それに対して本社の豊田章男さんは3億8千万。つまり、世の中にはそれほど高い給料を取っている人がいるということなんですが……。これから話すことは良い話題ですから、あまりニュースになっていませんけど、トヨタがバランシエンヌの工場で自動車を作っていますけど、先般、施設を拡充するということでわざわざマクロン大統領が駆けつけたんです。他の会社の社長は車のことしか考えないけど、日本企業の中で働いているディディエ・ルロワはちゃんと日本人のよい点を守っていると。心の意味でも、そこで働いている日本人とまるで一緒だと。そうした態度は経営者として大変素晴らしいと言って、マクロン大統領はその後エリゼで、レジオン・ドヌールのシュヴァリエの徽章を渡すわけです。そのとき、日産とルノーだけでなくてトヨタも含めてフランスと日本が工業的にも一緒になって貰わなくてはいけないという挨拶をルロワにしたんですよ。これは公式にマクロンがルロワに敬服しているからですね。レゼコー誌では、ゴーンの後任には本当はルロワが一番いいんだと。そしてトヨタと日産と三菱と、場合によってはルノーが一緒になれば“GM何するものぞ”というようなことも言っていたわけですけど。……ところで、報酬を何億も貰うというのは、果たして当たり前のことなんでしょうか。

大野 さっき申し上げたように、報酬を何億も貰うことは、いわばジャンボ宝くじに毎月当たりたいということで、そんなことに果たして何か意味があるのかということですね。しかし、そんなゴーンさんでさえ、まだまだモデレートだというような世界は、一体何なんだという……(笑)。“程がある”という感覚が、どっかなくなっちゃっているという感じが私などはするんです。ゴーンさんが捕まった直後に、あの経済学者のトマ・ピケティが、「報酬に限界がないとか、ロープで繋がっている登山パーティのようにリーダーが大事だとかいうイデオロギーの行き着く果てがこれだ!」とツイッターでコメントしました。彼の言う“登山パーティのリーダーが大事と”いう考えは、マクロン大統領がお金のある人に一種の減税みたいなことをやって批判を受けたときに、「リーダーに石をぶつけるとみんなが転落するから、石を投げてはいけない」と、企業のトップを登山パーティのリーダーにたとえたところ、逆にあちこちから批判されたことが念頭に置かれているのですけど……。まぁ経営者とふつうの社員の報酬に差のあるっていうのは当然だとしても、昨今はちょっと激しすぎる。このことについては、考える必要があると思うんです。

大野氏

大野氏

磯村 最近、オプスという左翼雑誌によるスクープによりますと、ベルサイユ宮殿で100何人の宴会があったそうです。そのお金を日産とルノーが払ったということですが、どういう人が呼ばれて行ったかというと、日本人ではユニクロの柳井さんとその他何人か。フランス人で呼ばれたのは、実際に行ったかどうかは確認が取れていませんが、元駐日大使のモーリス・グルドー=モンターニュさん、あとはダボス会議の主催者などでした。レバノン人がやたら多くて、ブラジル人も多くてアメリカも多いという感じだったらしい。フランス人は103人のうちの13人ぐらいしかいませんでした。そんなわけで、オプス誌にも報酬面とか贅沢面で日産とルノーは書かれているんですけど、もし公私混同しているところがあれば、完全な会社法違反になるわけですから、これはやっぱり相当ゴーンさんにとっては不利ですね。

五十嵐 そうですね。やっぱり商法の特別背任とか、かなり実質的な犯罪ですので。ただ捜査にしても、国際的な中でやらなければならないので難しいというのはありますが、完全な無罪にはならないんじゃないかと思います。

ゴーン勾留の裏舞台でどのような「密約」が交わされていたのか?

磯村 ところで、日本のメディアに“選択”という雑誌があります。これはなかなか真面目ないい記事も書いてる雑誌なんですけど、最近出た号でびっくりしたのは、「フランスの国策会社ルノーの黙示録」という記事です。この記事の基本にあるのは、フランス政府はルノーを使って日産を支配しようという野心があるんだという、私たちの見方とはかなり違うところを出しているわけですね。しかし、たとえばル・モンドが挙げている数字ですけど、一昨年の総売上でいうと、日産が926億ユーロ、これに対してルノーが588億ユーロ。330億ユーロの差があって、実力的な意味ではむしろルノーが、日産を手放したら成り立たない状況になっている。だから「ルノーは終わり」というような見出しを付けていることからして何かおかしいのです。やっぱり日仏両国政府はあらゆる手段を使って、ルノーと日産とのアライアンスをきちっと守っていくほうが、両国の関係は巧く動くと思うんですけど、そこらへんの見方が、”選択”ではルノーが徹底的に支配しようとしているという考えに凝り固まってしまっているんですね。もうひとつ、私がよく分からないのは、「私立がよくて官が悪い」という日本人の考え方であります。これは非常にアメリカ的な考え方です。フランスはあくまでも官尊民卑ですからね。つまりフランス政府が、ルノーの手綱を取るのは、フランス人にとっては良いことなんですね。一番頭のいい人がテクノクラートになってやっていくわけですから。そういう人が天下って立て直しに力を入れるということは、日産にとっても良いことだと私は考えるのですが、このアライアンスについてダバディさんは、何か意見はありますか?

ダバディ氏

ダバディ氏

ダバディ 冒頭にも申し上げましたが、マクロンさんとゴーンさんは、昔から非常に仲が悪いんです。ゴーンさんはその醸し出す雰囲気が横柄に取られる部分があり、マクロンさんはそうしたところがあまり好きではないように感じる。しかし、科学技術のフランスというイメージで考えたとき、一番国民の身近にあるものというとやはり車ですし、そのスピリットを最も体現しているのはルノーですから、フランス人の心に近いこの会社を進化させるのはゴーンさんしかいなかったわけです。CEOたちが貰うボーナスという理由だけで、フランス人はゴーンさんを悪玉化しない。実際にマクロンさんも、天才経営者のゴーンさんをフランスの経済のために必要としていた。ただし、この先あまりにも日本との関係悪化に繋がるということであればと、かばうことが出来なくなったのではないでしょうか。

磯村 (来場者に向かって)みなさん、ルノーというと何を思い出しますか。ポルシェというドイツの天才はポルシェを作り、あの国民車のフォルクス・ワーゲンも開発したんですが、丁度ナチス・ドイツがフランスを占領していたときに、フォルクス・ワーゲンの影響を受けて作られたのがキャトルシュヴォー(4馬力)ですね。(会場に挙手を求めて)タクシーのキャトル4を覚えていらっしゃる方はいますか?……(会場を見渡し)やっぱりお年を召した方が多いですね。1958年に私が最初にパリで乗った車がキャトルでした。大変個性的な車で、人によって故障する所が違うような……(笑)。まぁルノーというのは、そんなふうに大変日本と繋がりが深いわけです。ですから、ダバディさんがおっしゃったように、ルノーでもって日産を食って潰してしまおうという考えは、マクロンさんにはないと思います。もうひとつですね、これは先頃朝日新聞で報道されたことなんですが、2016年には、日産のほうが技術的にも生産量的にもルノーを上回っちゃったわけですね。そんなこともあって、日産内においても、株は15%しか持っていなくて、議決権も何もなくておかしいんじゃないかという声が上がり始めた。それで色んな提言があって、その結果出来上がったのが秘密協定だったというのです。Restated Alliance Master Agreement(RMA)という秘密協定を結んだと。今回のゴーン追放劇にあたって日産側は、秘かに、パリに法律事務所を持っているアメリカの法律家に意見を求めたんだと。私のようなアメリカ嫌いは、そこまで日本はアメリカ依存なのかと本当に不愉快な思いをしたのですが(笑)。要するに密約とはどういうことかというと、表立った改訂は出来ないけど、日産の取締役会で決めたことについてルノー側は拒否権を発動しないという密約だったわけです。ですからゴーン追放の日産の決定で、ルノーから輩出された2人のフランス人も追放に賛成票を投じていますね。このことは、朝日が報道する何年か前の2016年に、既にフランスのカナール・アンシェネというインテリが読む暴露記事を売りにした新聞に書かれていました。まぁ、いずれにせよ、日産とルノーとはそういう微妙な関係にあるので、一方的にどちらかがどちらかを潰すというような関係ではないわけです。ルノーやフランスが徹底的に支配しようとしているという報道は、今後の日仏関係を毒する以外何物でもないということを、私としてはここではっきり言っておきたいと思います。

ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動の参加者たちの正体

磯村 それではジレ・ジョーヌの話題に移りたいと思います。レクスプレスという雑誌がこの運動のことを報じた記事の最初はNon, rien de rien Non, je ne regrette rienと、エディット・ピアフの「水に流して」の歌詞で始まっているわけですが、これはどういうことかというと、ジレ・ジョーヌに際して、マクロンさんの心境を代弁したもので、つまり Je me fous du passé でやるんだというふうに書いているわけです。実は私がパリに行っていたときに、大げさに言えばジレ・ジョーヌのデモ隊が何かを投げるというようなことがあったんです。……まぁ「私の耳元をかすめた」ということは私は民間放送ではありませんから言いませんけど(笑)。しかし、これにはちょっと薄気味悪い感じがしたというのも確かです。何故薄気味悪いかと言いますと、ジャン・ダニエルという私が仲良くしているジャーナリストがいます。いわばフランスの加藤周一というような人ですね。その人がオプス誌のオーナーでもあるんです。その人が先頃エディトリアルで、「革命の戦慄」という一文を発表したんですね。それを読むと、彼のような左翼の大立者にとっても、今度のジレ・ジョーヌの運動は、ちょっと戦慄を覚えるような不気味なところがあるようです。リーダーが誰だか分からないし、どこに組織があるのかも分からないし、何を目的としているかもはっきりしない。他の大きなデモンストレーションというのは、労働組合や共産党などの大組織が組織して、バスを連ねてやってくる。やるところもバスティーユ広場とか革命にちなんだところでやる。しかし、今度のことについては、極右なのか極左なのかそこら辺すらも分からない。私は先のフランス滞在中、朝から晩までホテルでずっとテレビを付けっぱなしにして見ていたのですが、色んな人が色んなコメントを言っていた。それらを総合すると、ジレ・ジョーヌの運動に参加しているのは、車に関係する人が多いということが分かってきた。タクシー・ドライバーとか、トラックの運転手とか、あるいは車を使って夫婦共稼ぎで郊外から通っている人。そういう人がガソリン税に対して反撃して、どうやらああいう運動をするに至ったらしい。もうひとつ非常に面白かったのは、ディーゼルエンジンが環境に悪いというのは科学的にも証明されているので、そのディーゼルに対して税金を多く課せば、消費者はプリウスのようなハイブリットにするとか電気自動車に切り替えるはずだと政府は考えたはずなのですが、ちょうどマリー・アントワネットが、民衆が日々のパンにも事欠いていることを聞いて、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったという有名な話がありますよね。あるフランスの雑誌には、そんなマリー・アントワネットの逸話と同じく、今回フランス政府は国民を甘くみていたと書いてありました。こうした運動が起きた背景には、仲介すべき政治家や労働組合の代表が全然ダメだということなんですね。フランスの有名な政治家でメランションという左翼の方が、デモに参加した人々から野次られたり罵倒されちゃっているんですよ。リーダーとして全然機能していない。そして、待ってましたとばかりに、「議会制民主主義というのは、このソシアル・メディアの時代にはやがて神話と化すのであろう」と言う人たちも出てきた。大体、議会が今妙なことになっていて、民主主義というのは本当にいいことなのか?というような人もいるのですが、その辺りの感覚を大野さんに聞いてみたいと思います。

大野 民主主義の危機ということがよく言われるようになっていますが、それが何を意味するかというと、代表制の危機といいますか、代表制というものが本当に私たちを代表しているのか?という問題に行き着くわけです。民主主義の国の投票率はどんどん落ちていて、我が国も全有権者の25%の支持を集めれば政権が取れる状態になっているわけですけど、何故人が投票に行かなくなったのか?もちろん投票には行かないといけないわけですが、誰も投票が重要なことだとは思っていないから投票に行かないんです。先程磯村さんがおっしゃったように、労組とか業界団体とか、色んな中間団体があって、皆そこに所属しているという感覚を持っている間は、そこを通して主張をしていたわけです。またそうした中間団体が、そこに所属する人たちを代表してくれていたわけです。ところが、今は人がバラバラになって、中間的なまとまりを持つ組織が力を失ってしまっている。御存知のように、労組も組織率がどんどん減っています。それだけではなく、アメリカなどでいうと、教会に行く人も減っている。つまり、国家と組織の間にあった小さなコミュニティがかなり消えている。実際民主主義というのは、一見、国家と個人との間にあるもののようで、実際は中間団体があってはじめて実質的な機能を持つものなんですが、それが消えてしまっている。そうなったのは、グローバル化やネットの影響もあるのでしょうけど。磯村さんもおっしゃったように、これまでであれば、政府を批判する運動であっても組織する主体があったのですが、今はその主体そのものがはっきりしなくなっている。これは政治家にとっても非常に不気味なことであるわけです。民意がどこにあるのか分からないわけですから。そうするとどうするかというと、ビッグデータとかネットでのチャットだとかそういうものを見て何かを掴もうとするわけですが、それが本当にいいやり方かどうかも分からない。うまく民意がつかめないから、とりあえずビッグデータなどの形で見えてくるものを民意だということにしている。そんなふうに、今民主主義は迷走状態に陥っているわけです。ジレ・ジョーヌの場合も、グローバリズムへの不満というよりは、“自分の声が政治に届いていない”という不満がある。その不満を誰もすくい取ろうとしていないのではないか、というのが政治への抗議活動として出ている。さらに、選挙を通しても何も変わらないので、街頭に出る。たとえ組織されていなくても選択肢として、街頭に出るということが人々の頭の中にあるのです。

磯村 今大野さんがおっしゃったように中間団体が機能しなくなっちゃって、メランションたち左翼の支持者が18%もジレ・ジョーヌの運動が起きてから減ったんですね。ルペンさんと競争する母体がジレ・ジョーヌの運動の中にあるのかなと思うのですが……。ダバディさん、大野さんの話を補足することで何かありますか?

ダバディ ジレ・ジョーヌでは、最初の頃だけは極右も極左も、うまく運動を利用し、若い過激派たちを派遣して参加したんですけど、すぐに排除されてしまいました。ジレ・ジョーヌの人々は、自分たちはアポリティク(無所属)を強調しました。1789年のフランス革命のときは、怒りが富裕層へ向けられていたわけですけど、今は必ずしもそうではない。1968年の五月革命は、ド・ゴールによるある意味父権的な抑圧への怒りだったわけですが、今はデモクラシーの危機ではあっても、アナーキー的になっているわけではないんです。今国際社会には経済的な秩序がもうない。経済的な秩序を取り戻したいということではありますが、それが核になるかというとそうでもない。最近私はジレ・ジョーヌに関する「hypothèses sur un mouvement」という本を買ったのですが、このタイトルは、日本語に訳すと「運動に対する推測」というような意味で、いろんな哲学者や政治学者に聞いてもジレ・ジョーヌは推測でしか語れないということなんです。

磯村 フランスの警察による一番最初に行われた調査では、極右のアクティビストというのは一番よく組織されていて、大体1000人参加した。極左というのは、1000人ぐらいと、シンパが3000人ぐらいいたんですね。メランションさんはロベスピエールの崇拝者だということですが、オプス誌ですら、ポピュリスト左派というのは存在しないということを言ったために、18%減ってきている。それはそうと、今度のデモを見ていますと、やはり警察がデモ隊と衝突するということになりました。フランスの警察は日本よりも乱暴なんですね。そんな中で、フランスのボクシングのチャンピオンが機動隊の警官を転がすというような場面もあったんです。今ではソシアル・メディアの時代ですから、一時はそういうのを見て皆喜んだんですが、フランス人は秩序を重んじるところがありますので、極右極左に嫌気が差して、やがて運動そのものが沈静化したという感じでした。五十嵐さんにお聞きしたいんですが、日本の警察だと、デモが起きた場合にもあまり手荒なことはしていけないというのはあるんですよね。

五十嵐 まぁ状況によるというのはあるのかもしれませんが、実力行使をする際には相手の出方に合わせて、向こうが激しくすればこちらも抵抗しなければなりません。そのために警察官が武器を持つことを許されています。以前私がパリにいたときに、イスラム系の若者が就職難で、フランス国籍を持っているにもかかわらず差別があって、デモが地方で行われたんです。バンリュー(banlieue)と呼ばれる、郊外の治安が悪い地域で。その時、日本とは随分違うと感じたのは、フランス人の中には商店のウインドーを壊して略奪する人がいることでした。そういうこともあって、向こうの警察がかなり強くデモに当たるのかもしれませんね。

現在の、ソリダリティを欠いた「ナショナリズム」を、
果たしてナショナリズムと呼べるのか?

大野 ここに面白い統計があるんです。パリ政治学院の先生たちが行った世論調査の結果なんですが、「デモをしたり街頭に行ったりすることが出来ることを民主主義の仕組みとして認めますか?」という問いに対して、ヨーロッパ人の82%が「認める」と答えています。日本はどうかと思って調べてみたんです。もちろん同じ質問ではないんですけど、「あなたは政治や社会問題についてデモで意見を表明することに共感出来ますか?出来ませんか?」という質問に、「共感出来る」が41%、「共感出来ない」が48%……それからこれは2011年の世論調査ですけど、「自分の意見を世の中に訴える手段のひとつとしてデモがあります。あなたはデモに参加することに抵抗を感じますか?感じませんか?」という質問に、「抵抗を感じる」と答えた人は63%。「抵抗を感じない」が33%。それから2013年、「あなたはデモに政治を動かす力があると思いますか?」という質問には、「ある」が28%、「ない」が60%。やはり全く同じ質問ではないので、ダイレクトな比較はしにくいですが、浮かび上がるのは、“街頭に出るということは、民主主義の一部である”という感覚は、ヨーロッパに比べて低いですね。けれども実は、代表制民主主義のかなめである選挙や議会を人はあまり信用していません。日本でもほかの国でも、各種の機関や組織についての信頼度調査をすると、たとえば警察とか裁判所とか病院とか金融機関とかへの信用が高いんです。一番低いのはどこかというと、議会、政党なんです。奇妙なことに、人々は自分で選んだ人を一番信用していない(笑)。にもかかわらず、日本の場合はデモへの抵抗感があって、そういうところに出ないんです。

磯村 フランス人はすぐ街頭に出ちゃいますよね。でも、このたびのオプス誌の巻頭論文には、“街に出ることがいいんだという進歩的な考え方は、もう世の中では通用しない”というような見出しが出ています。それと、今私は、民主主義の危機を煽っているのは、ソシアル・メディアではないかと思うんですよね。フランス人は、ニュースを知るのは通常のメディアが多いんです。フェイス・ブックなどソシアル・メディアでニュースを知る人は僅か8%ぐらいしかいない。ところがアメリカ人は、70%以上もいるんですよね。ソシアル・メディアの可能性というのは、どんな人でも意見が言えることです。でもこれが行き過ぎちゃうと、いわゆる床屋政談になる。素人が意見を色々言うということは、一見民意が反映されているようにみえて、あまりにも多くなり過ぎちゃうと、どうしても偏りが出て来る。今、ジレ・ジョーヌの運動は終焉に向かっています。マクロンさんの表現によれば、デモによる器物破損などが色々あって、“自分たちがやったことは正しかったのか”と考え始めた。彼自身も冷たい刃が喉元に触っている感じがしたと。そして側近たちを呼び集めて、ブレイン・ストーミングをして、その結果、フランス人は grand débat が大好きだと。討論が大好きだと結論付けるわけです。そうして、マクロンさんは2月17日までの段階で、2500の討論会に出ています。ノルマンディーで一番最初に開いた集会では、600人の市長を集めて、6時間15分討論をやったわけです。答えるのはマクロンさん一人です。しかし流石は秀才で、どんな問いが出されてもどんどん即興で答えていった。それに対する反響をフランスの色んなメディアが出していますが、いずれも grand débat をやって良かったと。ジレ・ジョーヌを契機にして、大統領も反省をして貰って良くなったという回答が世論調査で67%もあったんですね。そして今やマクロン贔屓のレクスプレス誌だけにとどまらず、オプス誌も含めて彼を支持している。ある記事では、マクロンさんをギリシア神話のイカロスに例えて、彼は太陽に近付きすぎたため、地上に降り立ったと書いています。そんなわけで、今のところマクロンに代わる人はいないですね。まぁ一番近いのはルペンですけど……。どうですか皆さん、このマクロンの grand débat は?これから3500の grand débat をやろうというわけですけども。6時間15分の討論の後マクロンさんは、参加者のうちの熱心な30人を引き連れて、いわゆる飲みニケーションまでやったということです。その努力が功を奏して、ヨーロッパ・ルネッサンスが起きつつあるという希望的観測を、私などは持つのですが……。

ダバディ マクロンさんのgrand débatで思い出すのは、ジャック・シラクが、「優秀な政治家になるためには、教養でも教育でも頭脳でもなくスタミナだ」と言ったことですね。ようは、マラソン・マンにならなければならないと。少し心配なのは、僕も先週までフランスにいたんですが、マクロンさんは、休みも睡眠時間も取らないで討論していますから、テレビで見るとへとへとになっているんです。次の選挙では大胆な政策を打ち出すことが出来ないぐらい頭が回らなくなっているのではないかという。

磯村 大野さんの友人のエマニュエル・トッドさんなんかは、マクロンさんに対してはやや批判的ですよね。

大野 ややどころではなくて、トッドさんは完全にマクロンのことを否定しています。私はジャーナリストなので、どちらかということはありませんが。大統領選挙でたしかにマクロンはルペンとともに決戦投票に残って勝ちました。けれども第1回の投票結果を見ると、上位4人の候補がほぼ支持を四分割していました。マクロン大統領は30代でしたし、本人自身が初めての選挙だったし、しかも奥さんが高校の時の先生で……と随分新鮮なイメージだったのですが、主張していることはかなりオーソドックスなことで、支持も圧倒的だったわけではない。「正当性が弱いところから出発しないといけない大統領」という気がしていました。ただジレ・ジョーヌの運動が起こってしまったことをみると、その辺の慎重さがやや欠けていたのかなという気もします。

磯村 1月下旬の状況でも人気でいうと、マクロンは22.5%、ルペン17%、ジレ・ジョーヌの支持率は13%、メランションが8%となっていて、それまでの四等分から散らばってきていて、マクロンは急上昇している。彼のことを新約聖書の中のキリストに例えたエクスプレス誌の言葉を借りれば、「彼は水の上も歩けた男だ」と。「ジレ・ジョーヌで刃を突き付けられて、一生懸命やるようになっているのではないか?」ということです。そこで、最後の議題となりますが、5月23から26日に予定されているヨーロッパ議会の情勢について申し上げたいと思います。その問題は今、ポピュリズムというのは=ナショナリズムのことで、ナショナリズムというのは、マクロンさんの言葉を借りればハンセン病だというんですね。つまり、かつての死の病に例えられるわけですけど、フランスとドイツががっちりスクラムを組んで、ヨーロッパ統合のために、欧州議会選挙で中道左派が圧勝して押さえ込もうとしている。片やナショナリストでハンセン病とまで言われたルペンは、昨年ヨーロッパにザ・ムーブメントという組織を開いたスティーブ・バノンというドナルド・トランプの戦略補佐官だった人と合流しました。バノンは、ハンガリーのオルバンなどポピュリスト的な人に対して反EUを焚きつけていて、今後はナショナリズム対グローバリズムというよりは、むしろヨーロッパ極右主義者とそうでない人たちとの大きな戦いになっていくのではないかと思われます。ただ、今の状況をみる限り、緑の党はEU支持なのでポピュリズムが多数を占めるというのは、まず考えられないというのが私の見通しなんですが、それについてはダバディさん、何か意見はありますか。

ダバディ 今のヨーロッパの地図を、磯村さんが仰ったハンガリーの政党を含めて頭の中で何となく思い描いてみると、最も今話題に上がっているのがポーランドですよね。先頃、グダニスクで市長が暗殺されたのも、私はナショナリズム的な煽りの結果だと思っています。また、ブルガリアなども今、ポピュリズムが物凄く台頭してきていますよね。イタリアはちょっと治まっていますけど、バノンさんが行ったのはイタリアで、イタリアの極右と一緒に何か出来ないかということを彼は考えているようです。それに対して、ポピュリズムが割と治まったのがフランスとドイツで、オランダも今は安定しているといわれています。スカンジナビアの3カ国では、スウエーデンがデンマークと違って移民を受け入れている中で、南部のマルモでゲットーが出来て、一時はどうなることかと言われていましたが、何とか巧くやっているようなので、ヨーロッパ全体がポピュリズムによって破滅するとは思えないのですが、極右政府に、ロシアも含めて第三国が資金を流しているのは確かですね。

磯村 そうした脅威の中には、サイバー攻撃もあるわけですね。

ダバディ そうです。

磯村 先のアメリカ大統領選挙に関しても、ロシアの干渉が疑われていますし、そうした脅威はますます大変なことになっていますが、そのあたりは五十嵐さん、いかがでしょうか。

五十嵐 サイバー攻撃に対する危機は確かに大きくなっていますね。守るのが一番難しい部分が「サイバー」という部分ですね。私が現職だった頃は、テロといえば、テロリストが現場に近付いていって爆発物を置いて、逃げる――というようなものがテロだったわけですが、サイバーテロはターゲットに近づく必要もない訳ですから。こういう世界になってくると、どう守るかということが本当に難しくなってしまったな、と思います。

磯村 大野さんはいかがですか?

大野 このところ、「ナショナリズムの高まり」ということがよく言われますが、私は「ナショナリズムの高まり」という表現は正確ではないのでないか?と強く思っています。ナショナリズムは本当に高まっているのか?それとも衰弱しているから発熱しているだけなのか?その2つは違うと思うんですよね。たとえば移民の排斥についていえば、元々近代的な国家を形成するためには、お互いに異なる社会的文化的背景をもった多様な人たちを1つの「私たち」という主語にまとめる必要があった。そうやって「私たち」という主体がつくられることで 、民主主義も成立すると思うんです。しかし、今起きているナショナリズムは、どんどんどんどんナショナル・コミュニティを小さくする方向に動いているような気がしてなりません。移民を自分たちの力にしようというのではありませんし……。日本でいうと、たとえば沖縄です。沖縄は基地負担が重いので、ほかの都道府県にも負担を分け持ってほしいと訴えているわけです。けれどもほかの都道府県からそれに対する反応がほとんどないのです。つまりナショナル・ソリダリティがそこには欠如している。ナショナル・ソリダリティが機能しない状態を、果たして「ナショナリズムの高まり」などといえるのかどうか……。むしろナショナリズムが病んだ状態なのではないか。それと似たような状況はフランスでもあって、住んでいる人たちを統合しながら、皆で「私たち」という主語を作っていくという機能自体を、ナショナリズムが出せなくなっている。つまりフランスでも、果たしてあれをナショナリズムと呼べるのか私自身が聞いてみたいような状況が出てきている。たとえばマクロンがやっているような方法で、「私たち」で考えるという方法が果たして再現出来るのか……。これは、根が深いと思っています。

ドイツの経済力とマクロンの政治力が
ヨーロッパを変える

磯村 かつて、ミッテランはLe nationalisme, c’est la guerreと言ったんですね。L’ Europe, ce n’est pas seulement le passé, cela peut être notre avenirと言った。ナショナリズムの影響に任せるままにしていると戦争につながると。そして、唯一の希望はヨーロッパだと言った。先程ちょっと触れた、オプスの巻頭論文の中でかつての左翼の大立者であるジャン・ダニエルが言っていたのは、今予見しうる将来に、フランス人の理想を問い詰めていくと、マクロンの3月5日の演説というのは、ジャン・ダニエルによれば記録的な名演説だと。今、ドイツでは、先頃メルケルの後継者といわれ、AKKと呼ばれているアンネグレート・クランプ=カレンバウアーという女性が、CDUの党首に選ばれた。AfDという右翼より、むしろ緑の党が伸びていることがドイツではとても建設的なことであり、緑の党の勢いは、SPD(社会民主党)をも上回っている。もはや、緑の党までを含めてのエコノミックで住民と法を守るヨーロッパの統合しか、ヨーロッパが生きる道がないんだと。あのお粗末なるアメリカの大統領とか、中国の凄まじい台頭を考えるとやはり道はもうそこしかなくて、それにはドイツの経済とフランスのマクロンの政治力で乗り切るんだと。そんなふうに、ジャン・ダニエルが述べているわけですが、私も全くその通りだと思います。数だけのことをいいますと、欧州議会は今比例代表制でやっておりますが、イギリスの議席の46がなくなりますから、今後20数カ国で行われる選挙は705議席でやっていきます。今のところ、中道の勢力が50%以上あって、極右はバノンや何かの裏工作が成功した結果マキシマムで140議席だろうといわれています。ですから、アポカリプスが来ることはまだないと私はみております。最後になりますが、ダバディさん、そんな私の見方は楽観的すぎるかしら?

ダバディ ミッテラン元大統領の話も出ましたが、デモクラシーの中でどんな大統領が理想像であるか?好き嫌いを置いておいて、国の経済力を考えるテリーザ・メイとか、ドナルド・トランプみたいなパワー重視の大統領なのか?それとも、もうちょっとロマンチックな、昔のミッテランなど――彼は賛否両論ではありましたが――国の名誉だったり国際社会の中での立場を考える大統領なのか?僕はどっちでもないと思うんです。最終的に街を歩いている国民の声をちゃんと国のポリシーに反映していける大統領だと思うんですね。ところで、これは大野さんにお聞きしたいのですけど、なかなか理想的なリーダーが出て来ないのは、聞こえてくる声が多すぎて、全ての人々の声を集約出来ないということが問題なのか?それともリーダーさえも、まるでスポーツの監督のように2年3年で交代させられるから、自分のことを考えるだけで精一杯で、デモクラシーが機能するかしないか考えるまでに至らないのか?

大野 人々の声が聞かれていないのか?という質問ですが、そうではないという見方もあります。政治家は人々の声を物凄く聞いてるんだけど、声が異常に沢山あって、それぞれ矛盾しているから分からないということだというわけですね。代表されていないという感覚と、代表しているはずの側が誰をどう代表したらよいのか分からないという感覚……。それが、先程言った、中間的な政党が麻痺しているということです。

ダバディ ナショナリズムは分かりやすいだけに、デモクラシーの試行錯誤的な、政治家たちとの葛藤が嫌になった人たちがそういった極端にポリティックな活動に走ってしまうのではないかと私は思います。

五十嵐 政治家が人々をどう代表したらいいか分からないということですが、それが昂じると国民投票をしたらよいと言う人が出て来る。その結果、もしかしたらブレグジットのようなことになるかもしれません。作家の塩野七海さんは、そもそも国民投票をやるくらいなら、代表である政治家の存在する意味がないじゃないか、ということを述べておられます。私も同感で、代表というものは、もっと自信を持つ必要があるのではないかと思います。

磯村 先程の大野さんとダバディさんのやりとりを聞いて思い出すのが、ハンナ・アーレントというドイツ人のユダヤ系哲学者のことです。彼女の書いたものに、「全体主義の起源」という大変難しい、ややこしい本があるんです。私も今日のために、もう一度読み直してここに来たんですが、彼女の言わんとすることは、民主主義的な手続きをしなくなった結果、民主主義が民意を反映しなくなっていき、簡略な大衆社会みたいなものになる、ということです。今のソシアル・メディアのような一見全体が繋がっているようで何かはっきりしないものがまさにそれだと私は思っているのですが、そうした大衆社会の果てに、アーレントは、やがては全体主義が興ると言っています。つまり、大衆社会の行き着いたなれの果てが、第二次大戦の頃のドイツだったと言うのです。アウシュビッツまで体験した彼女は、大衆社会が大変危ないものだとみているわけですね。日本の場合ですと「庶民」とか「大衆」というのは大変良い意味で使われますけど、フランスにおいては、非常に軽蔑した言い方であるということは覚えておいたほうが良いかもしれません。そんなところで時間も迫ってきましたので、ゴーン事件やジレ・ジョーヌなど色んな課題がのしかかっている中で、我らがフランスの健闘を祈って、今日の話を締めくくりたいと思います。

最後に磯村さんは、何年か前の軽井沢でダバディさんとの会食を振り返り、彼から「フランスのよい家庭では、bon-appetitという言葉は使わない」という話をはじめ、色々と敬聴すべき話を聞いたことにも触れ、改めて感謝の言葉を述べて談話を締めくくりました。

談話会の後はいつものように懇親会が開かれたので、参加者に感想を伺ってみました。ハンガリーの食材輸入を手掛けている藤井さんは、
「SNSやナショナリズムの問題は今、大変重要な気がする。私は商社に長く勤めていたこともあり、現在に至るまで130カ国ほど行っていますが、商社マンは生にコンタクトをして色んな人の情報を直接聞きながら結論付けていく。マスコミというのはあくまでサイド・インフォメーションに過ぎないんです。そうした情報収集の大切さは、SNSの時代の今、かつてよりもむしろ重要性を増しているのではないかと、今回の話を聞いて感じました。自分の経験からいっても、本当に重要な生の情報というのはSNSでは流れていませんからね」
と話してくれました。

藤井さん

藤井さん

会場には、ジュリエット・グレコやシルヴィ・バルタンを日本に招聘したコンサート・プロデューサー中村敬子さん(INFINI代表)の姿も。月一回、学習院のさくらアカデミーで「中村敬子」のシャンション・コレクション」という講座で講師をなさっているそうです。中村さんは、
「磯村さんは1929年生まれですから、今年90歳になられる。今日は座談でしたからお座りになっていましたが、一人でお話になるときはいつも最初から最後まで立ったままで姿勢を全く崩さない。本当に凄いと思います。しかも話がいつもとても面白い!」と話してくれました。
また、場内には中村さんの友人であり、バルテュスやリシャール・ボーランジェなどの著書の翻訳者でエッセイストとしても知られる鳥取絹子さんも。鳥取さんは、
「今日の話の中では、最後のbon-appetitの話がちょっと目先が変わってとても面白かったわ」
と言い、丁度近くにおられたマダム磯村こと磯村文子さんも呼んでくれました。マダム磯村は、首のところに手をやり、「フランスの上流家庭では、ここから下のことは話題にしちゃいけないのよね」と、良家においてbon-appetitという言葉が使われない訳を話してくださいました。

中村さん(左)と鳥取さん

中村さん(左)と鳥取さん

現在のナショナリズムに関する鋭い分析やヨーロッパの未来展望から、思わぬところで身近な生活習慣にまでテーマが広がった今回の談話会。フランスについて、ヨーロッパについて、もっと知りたい!と強く思ったひとときでした。

【開催済】第6回「たそがれ時の談話室」のご案内 波乱の2019年をパリ中心に展望する

「ジレ・ジョーヌ」・「ゴーン事件」近づく
「ヨーロッパ議会選挙」などを夫々の見方から伝える

会員各位

寒中お見舞い申し上げます。いよいよ本格的な寒さの到来ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?平素よりTMFの活動にご協力いただきありがとうございます。

さて、TMFでは第6回「たそがれ時の談話室」を開催する運びとなりました。
2019年は世界規模で波乱の幕開けとなりました。今なおフランス社会を揺るがし続けている「黄色いベスト運動」、カルロス・ゴーン日産・ルノー前会長の衝撃の逮捕の先行きもまだ不透明です。
国際報道の第一人者としてお馴染みの朝日新聞編集委員の大野博人氏(TMF副会長)、警察庁OBでフランスの内政、治安等についても詳しい五十嵐邦雄氏(パリクラブ副会長)、日仏のスポーツキャスターやジャーナリストとしてご活躍中のフローラン・ダバディ氏にご登壇いただきます。
ダバディ氏は「ジレ・ジョーヌ」の記事をNewsweekに発表したばかりですが、この2月にフランスに帰国しその後の状況や「ゴーン事件」に関するフランス国内の反響を取材される予定です。
司会はTMF磯村会長。最近の渡仏で現地のジャーナリストや財界人と話し合った際のコメントを交えながら進行役を務めます。会場の皆様との意見交換も予定しておりますので、奮ってご参加いただきたく下記のとおりご案内いたします。

suite »