イベントレポート 『アフリカと日本、映画文化をめぐって-ブルキナファソとアフリカ映画祭を中心に』

第一部 ブルキナファソの文化的豊かさ

講師の杉浦勉さん

講師の杉浦勉さんは、パワーポイントや動画などを使ってわかりやすくお話して下さいました。

第一部は、前(初代)駐ブルキナファソ特命全権大使の杉浦勉氏をゲストスピーカーとしてお招きし、「ブルキナファソの視点から」お話し頂きました。杉浦勉氏は丸紅ご出身で2009年に初代駐ブルキナファソ大使に就任。当時、商社マンからの大使抜擢ということで大変話題になりました。丸紅で経済調査研究所長を勤めた杉浦氏のもうひとつのご専門はアートで、丸紅時代はキュレーターとしてアートビジネスを数多く手がけ、また、パリ日本文化会館の開設準備や運営、日仏文化交流150周年記念イベントなどにも携わり、日仏間の文化交流にもご尽力されてきました。

ブルキナファソが有する文化的豊かさの背景について解説。ブルキナファソは、西アフリカの内陸に位置しますが、北側のサハラ砂漠の交易路を伝ってイスラム教が、南側の沿岸部からはキリスト教が伝来、両方の文化の交差地として多彩な文化が醸成されてきました。古くから交易地として繁栄し、世界遺産も数多く残っています。世界遺産の一つであるロロペニ遺跡については、実際に杉浦氏が訪れた際に撮影した動画を紹介、不思議な巨大な石造遺跡を実際に見ることができました。ブルキナファソの歴史についても概説。12世紀頃に興ったモシ王国の起源伝説に登場するイェンネンガ王女を称えるミュージックビデオや、現在のモシ王に杉浦氏が拝謁した時の映像、また、ガン王国の歴代の王様を模った人形を保管する聖域の映像なども交えながら、今なお残る王国文化を紹介。この地域は19世紀末にはフランスの植民地となり、20世紀初頭には近隣諸国も含めたフランス領西アフリカの一角を占め、その後1960年にオート・ヴォルタとして独立しました。現在の国名に改称されたのは1984年のこと。現在、国内には63の民族が共生していますが、民族間には「冗談関係」と呼ばれる関係性が存在していて、民族性の違いなどを冗談交じりの会話で巧みに表現する技を持っているそうです。調停や仲裁に長けているため、隣国のコートジボワールやマリなどで争議が起きると、その調停役となることも多いそうです。

ブルキナファソの国の概要を理解したところで、話はいよいよアフリカ全映画祭へ。ブルキナファソでは、「文化と観光」を成長戦略の要として位置づけ、「アフリカ国際工芸展」(SIAO)と「全アフリカ映画祭」(FESPACO)の2大文化イベントを開催しています。SIAOは偶数年の10月から11月にかけて開催されますが、2012年には日本が特別招待されており、その時の開会式の模様も映像とともに紹介されました。FESPACOは、1969年に、総経費の75%を政府による資金援助を得て第1回目が開催されて以降、奇数年に開催されています。杉浦氏は、2011年の開会式と閉会式の様子を写した映像を流しながら、FESPACOの概要について解説。大統領や首相も列席し、歌や踊りなど華やかな演出がなされた式の模様を見るだけでも、FESPACOがブルキナファソにとっていかに重要で、また世界中から注目されているかがわかりました。杉浦氏は、これまでのグランプリ作品リストや2010年に開催された第1回女性映画祭についても解説、FESPACO本部を訪れた際の様子なども紹介されました。FESPACO本部からは、2015年のFESPACOに名誉招待国として出品の要請や人的交流や技術・資金面での協力要請など、日本への大きな期待が寄せられているとのことでした。さらに現文部大臣から寄せられた『FESPACOは、植民地から脱却しアフリカ独自の表現の場を創造する場であり、アフリカ映画のさらなる振興を目指すものである』といったメッセージも紹介されました。最後に最新のアフリカ映画の冒頭部分もほんの少し上映し、杉浦氏の講演会は終了しました。