パリクラブの理念は「原点より未来へ」との編集方針の下に、副会長、10周年記念事項担当横山悠喜氏他の編集委員の方々ならびに、ご寄稿、座談会ご 出席,資料、写真等を提供下さった、駐日フランス大使、駐仏日本大使はじめ、パリクラブのご支援者、ご理解者各位、会員諸氏の御努力が実を結び素晴らしい 記念誌が5月26日、パリ記念訪問の前日、東京とパリで同時に発行されました。
本誌発刊にご協力頂いた方々並びに会員諸氏には既に頒布済みですが、他に頒布をご希望の方々、或いは余部をお求めになりたい方々はご相談に応じますので、事務局にご連絡下さい。
文責 蘆野
【10年誌によせてのパリ支部長、元副会長 浦田良一氏からのメッセージ】
大分前に届けてもらっていながら、コメント遅れていて申し訳けありません。
東京から来られた方々と行動を共にする前日に届き、パリでお渡しできたのもいいタイミングでした。
出来栄えのよさに感嘆の声がありましたが、この段階では概観からくるイメージだけで、内容の点検までに至っていませんので、コメントの仕様もありませんでした。
その後、ゆっくり全体に目を通して、実際に満遍なく活動を網羅され、歴史を振り返る素晴らしい編集になっていることを発見しました。寄稿している人 も多く、これがこの会の強いベースになっていることを痛感しました。掛け声は易しく、実現は難しいのは世の習いですが、本当に立派なもの出来上がって感心 しています。有難うございます。
二つの座談会もいいですね。今後のあり方について、限定メンバーでいいではないか、特徴を出すべき、面白いことをすれば自然と若い人たちも加入してくれる・・・との意見に大賛成です。「深さ」がなければ、観光案内と変わらなくなります。
ただ、パリクラブの今後のあり方については、折角の素晴らしい活動を知らしめる努力が、まだ不足しているのではないかの思いが強くあります。
「楽しい同窓会」で、こんな素晴らしい成果をあげているのだから、あともう一歩の前輪駆動に期待するものです。HPの充実も大事でしょう。
パリ支部として、何ができるか、大袈裟にではなく、できることから少しずつ発信できるようにしたいと思っています。さしあたっては、帰国する人たち から、豊富な生々しい経験談を聞き、役立てるような形で残すこと、彼ら、彼女らが日本に戻って、パリクラブの有力なメンバーになってもらうこと・・・かな と思っています。
長い編集準備期間は大変だったでしょう。ご苦労様でした。
浦田

今年度初のイベントである、「ベルギービールの全て」が、4月27日(火)18h30から パリクラブの年次総会に引き続き、クラブ・シーボニアで開催され ました。 関東地方は午後から激しい雨風に見舞われ、生憎の天気となりました。 流石バッカス達、風雨をモノともせず60名が定刻までに会場に詰め掛け、早くも熱気 に包まれました。 イベントのプロモーターである佐藤幸彦氏は開場1時間前から姿を見せ、イベントの準備に余念がありませんでした。
11月11日(火曜日)、終日雨に祟られた肌寒い日でした。 果たして何名の方々が出席されるだろうか心配でした。 今回のイベント「焼酎」については、企画 段階で悲観論、楽観論が入り乱れました。 フランスの方々が興味を示すだろうか。 焼酎って安酒のイメージ。 ガード下の赤提灯ならともかく、ヨーロッパ 料理のポールスターで開催するのはどうか、等々。 受け付け開始の30分前、何と池上会長が真っ先に会場に姿を現しました。 何故かフト土俵に上がる高見 盛関の姿を連想しました。 並々ならぬ気合いを感じました。 続いて会計担当の秋山理事、今回のイベントの立て役者、マニグリエ理事が緊張の面持ちで次々 に現れました。 受付が開始されるや、続々と参加者が到着されました。 イベント開始の19時には、何と58名全員が勢揃いしたのです。
セットアップは完璧でした。 テーブルが6ケ所、程よく配置されておりました。 それぞれが焼酎の産地、沖縄/奄美大島、鹿児島、宮崎、熊本、大分、長崎の テーブルに割り当てられておりました。 各々の産地別に数種類ずつ焼酎が置かれ、各瓶には整理番号が貼られておりました。 資料を参照すれば、たちどころ に産地、原料、酒造元、銘柄、コメントを見ることが出来ました。 58名の日仏の参加者達は、これが沖縄の古酒か、これが麦焼酎か、と各産地を渡り歩くに つれ互いに言葉のハンデイーも忘れ、饒舌になりました。 黒糖の焼酎がうまい、いや麦焼酎が飲みやすい、とワイワイガヤガヤ、時の経つのも忘れておりまし た。 気が付くと既に時計の針は10時を廻っておりました。 飲み残しの焼酎は希望者が銘々大切に抱え、互いに別れを惜しみつつ会場を去って行きました。 空になった会場には、焼酎特有の香りが一面に漂っておりました。 ポールスターの明日のご商売に差し障りないだろうか、そんなことを考えながら会場を後 にしました。
10月10日金曜日は快晴の朝を迎えたが、午後からは曇り空に変わってしまった。 それでも気候は暑くも寒くもなく、心地よい夕暮れを迎えていた。 フランスの3色旗とEU旗が翻るフランス大使公邸は静まり返っていた。
冒頭、ベルナール・ド・モンフェラン大使はパリクラブ創立10周年記念にあたり、クラブ創設の背景からその後の活動状況まで詳しく言及され、暖かいお祝の言 葉を述べられた。 続いて池上パリクラブ会長から大使への答辞が述べられた。 謙虚なうちにもことパリクラブの活動については、並々ならぬ自信に満ち溢れ ていた。 これをパリクラブ理事の太田垣夫人が流暢にフランス語に通訳をした。 そして在日フランス商工会議所のオスタン名誉会頭の乾杯で、楽しい夜会の 第二部が開かれた。
すっかり日本の祭り気分に浸った招待客、お隣りのビュッフェ会場に入り驚いた。 そこには皆が大好きなフランスがあった。 生牡蠣をはじめ美味しそうなカンパーニュ風のご馳走がズラリと並んでいた。 そしてそれからは何時果てることもない楽しい祝宴の時が刻まれて行った。
9月21日(日)国立大劇場において、藤間流2年に1度の藤彩会が華やかに開催されました。 午前中から午後にかけ、若いお弟子さん達の初々しい舞踊が披露 されました。 プログラムは段々と進み、舞台は円熟味を増して行きました。 そして17時30分、待ちに待った古木睦美さんこと、藤間藤藍さんが自ら野心的挑戦、と表現した長唄「鏡獅子」の幕が開きました。 正面壇上に21名の楽士が整然と並び、思わず襟を正しました。 一瞬の静寂を破り太鼓の音が会場に 鳴り響きました。
重い衣装を身に付け、躍動する獅子の動きを舞台中ところ狭しと演じました。 その激しい動きに圧倒されました。 日頃にこやかな古木さんの何処にこの様なバ イタリテイーが潜んでいたのでしょうか。 50分の舞台に幕が降り始めるや、満員の客席から大きな拍手が沸き起こりました。