上映会の後も熱気がこもった議論があちこちで交わされました。
対談と質問の時間が終わると、参加者のみなさんの交流会。ワインが用意されて歓談が始まりしました。ケイコさんとご挨拶する人、映画についての意見を交わすなどさまざまな光景が広がります。参加者の方に、今回の映画についてうかがいました。

ケイコさんに日本語を教えていたこともあるという渡辺清子さん。その情熱をそばで感じていたそう。
まずは、長年、プライベートでもケイコさんとも交流のある渡辺清子さんが会場にいらっしゃったのでインタビュー。
「ケイコさんとはパリで良くお会いしていました。彼女の熱意がこの映画を創れたのだと思います。とても熱心に取材をしていましたから。映画を見て、あの時の強い思いと情熱を映像から感じることができました」
清子さんの息子さんで、東京造形大学で教壇に立ち映画を教えているという渡辺敦彦さんにも作品についてうかがいました。なんと、ケイコさんは大学院時代の先輩で現在は映画評論家でもあるのだそう。

ケイコさんは大学院時代の先輩なのだそう。評論家ならではの鋭い視点で映画を観ていました。
「彼女のプライベートな視点から始まったドキュメンタリー映画で、彼女の日本に対する愛情が全面に出ていることを感じます。そんな彼女が福島の日常とリアルな暮らし、そこに住む人の思いを丁寧に描き出したことがこの映画の独特の雰囲気を作っているのでしょう。そこから都会の運動家や当時の首相という原発問題へと視点が移っていきます。その視線の広さと取材力に感心しました。ただ、映画の最後はもう一度、ケイコさんの視点に戻って欲しかったかな」と鋭い視線で作品を論評していただきました。
さらに、東日本大震災の時はパリにいて、テレビを通じて日本の様子を見ていたというフランス人のジェン・ターナーさん。

日本に来てまだ1ヶ月。日本人の今を映画を通じて感じたそうです。
「あの時はテレビのニュースを通して日本の地震の様子を見ていました。とても悲しかったし、怖かった。でも、パリと日本はとても遠いのであまり情報が伝わってこなかったと思います。今回の映画を通じて、地震のことや被災地の方のこと、そして日本のことをより理解できたと感じています」。
ケイコさんを通じて日仏の交流が深まったと言えるのではないでしょうか。
インタビューの最後は舞台の演出をしているという松尾邦彦さん。ケイコさんとは古くから交流があり、このドキュメンタリー映画の撮影をしている時にも何度も東京で議論をしたという方。

ケイコさんと映画について何度も語り合ったからこそ、今日の映画の意味を理解することができたそうです。
「この作品を見たのは今回で二度目なのですが、彼女が映画を撮っている時から、その意味を問い続けていました。でも、再びこの作品を見たことで彼女が伝えたかったこと、残したかったこと、その意味を感じることができました。この作品は繰り返し見ることで理解できることが増えていくし、福島の現実を感じることができる作品です。この映画を通じて震災の記憶が残され、日本人のビジョンを確認するメディアになりえる映画だと思います」
ケイコさんと何度も議論を交わした頃のことを思い出しながら映画が持つ意味について語っていただきました。
取材を進める中、懇親会も盛り上がりあちこちで談笑する姿が。原発について話す人、映画の感想など議論を深める人などさまざま。時間を忘れてのコミュニケーション、そして人とのつながりが生まれていった上映会でした。