【レポート】《西村達也、究極の旅行者》ナショナル・デ・ボザール出展記念レクチャー

「西洋芸術」の歴史を学ぶ

続いては「芸術」の歴史について、わかりやすく解説していただきました。
ヨーロッパにおいて「芸術」というものが認識され始めたのは約2500年前。ギリシアの哲学者ソクラテスの言葉をまとめたプラトンによると、真実=善=美であり、ある高級娼婦が裁判にかけられた際、弁護人が裁判官の目前で娼婦を全裸にしたところ、その美しさに無罪となった――という記述もあるそうです。
中世封建時代はキリスト芸術の時代であり、キリスト教の教えを絵によって伝えるようになりました。その後、ルネッサンス芸術が花開くと、官能的なビーナスや空気遠近法、輪郭線のないスフマートが出現。やがて芸術は宗教色が強いものから、恋愛賛美など心の内面を表現するものへと変わっていきました。
そして、産業革命が絵画に一大転機をもたらすことになります。当時、絵の具はアトリエ内でしか調合できなかったため、屋外で絵を描くことは不可能でした。ところが、チューブで絵の具を保管できるようになったことで、画家たちはさまざまな場所へ出かけ、明るい絵が生まれたのです。
日本人にはまだなじみが薄い抽象画ですが、その起源は1910年代で、主な源流は「ドイツ表現主義」と、のちにパリの美術運動「オルフィスム」へとつながっていった「キュビズム」。これらの作家の多くは第二次大戦のナチスから逃れ、自由な国アメリカへ亡命・移住し、これを機に戦後アメリカにおける美術の繁栄がもたらされたのです。
西村画伯が2007年にアメリカのMOMA美術館を訪れたときのお話は印象的でした。壁面に画鋲で斜めに止められただけの輪ゴム、水槽に浮かぶ3つのドッヂボール――私たちの感覚では理解が難しいこれらの「現代美術作品」につけられた値段はいくらだと思いますか? なんと前者は3000万円、後者は4000万円! このほか、密閉されたテレフォンボックスに水を満たし、その中に机と椅子とパソコンが置かれ、10匹の鯉が泳いでいる「作品」は1億2000万円というからビックリです。
こうした「作品」になぜ高値がつけられるかというと、アメリカには「フォワードシンキング」、つまり「最初に考えた人の発明力を高く買う」という文化が根付いているから。こうした「新しいものを評価する」アメリカの気質について、西村画伯はトランプ大統領を例に挙げ、「誰も言わなかったようなことをしゃべったので、新しいものを求める人から支持されたのでは」との芸術家ならではの見解を示されていました。

芸術のイロハを分かりやすく解説してくれた西村画伯

芸術のイロハを分かりやすく解説してくれた西村画伯

「日本の芸術」を学ぶ

日本においては、縄文時代(約1億6500年前)の土器が世界最古の土器とされており、あの岡本太郎は土器の模様を「炎が上がっているよう」と称し、西村画伯の桜島の作品にも、この炎のようなイメージが反映されているとのこと。
日本の絵画芸術は、室町時代中期から江戸時代末期まで約400年にわたり、日本絵画史上最大の画派として君臨した狩野派を抜きには語れません。その時々の権力者の庇護のもと、あらゆるジャンルの絵画を手掛けました。模写を基本として師から技術を学んだ狩野派に対し、その後登場した琳派は、時間や場所、身分が遠く離れた人々によって受け継がれたのが特徴といえます。
そして、日本の絵画文化を海外に広く知らしめたのが浮世絵です。多彩な色彩で大量の版画が出回り、明治時代には100万枚近くが欧州へ渡りました。その浮世絵をみたモネやゴッホも絶賛したのですが、元々は茶碗などの包装紙として浮世絵が使われていたというのは意外でした。
ところで、現在、私たちが口にしている「日本画」という言葉は、欧州からもたらされた油彩画(西洋画、洋画)に対して、日本における既存の図画を指す言葉。アメリカから来日し、東京大学で哲学などを教えたアーネスト・フェノロサは、日本の美術に強い関心を示し、1882年に初めて使った「Japanese painting」の訳語が「日本画」という言葉の始まりだそうです。フェノロサが挙げた「日本画」の特徴は、「写真のような写実を用いない」「陰影がない」「輪郭線がある」「色調が濃厚ではない」「表現が簡素である」の5点。岡倉天心が横山大観らと設立した日本美術院では、旧来の技法や様式を伝承するだけではなく、西洋画からも必要なものは採り入れた「日本画」を育てていったのです。