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【レポート】第47回 輝く会 【蘇る伝説のル・マン24時間レース / 2004】

輝く会では去る11月4日(土)シーボニアメンズクラブにおいて第47回目となるイベントを開催しました。

2020年1月にオンラインセミナー「お金の教室」でお金に困らない賢い生き方を伝授くださったファイナンシャルプランナーの森本貴子さんを再び講師にお迎えしました。

そしてテーマは【蘇る伝説のル・マン24時間レース / 2004】〈チーム郷〉の優勝チームを支えた唯一の女性チームメンバーが語る 〈現代でも通用するビジネスマインド〉について。

自己紹介する森本さん。

自己紹介する森本さん。

フランス車とモータースポーツに詳しいル・マンに関しては拘りのある遠藤純也理事が進行役を務め、お二人の息の合った掛け合いで話は車からマネージメント案件に展開し、会場に訪れたル・マン・ファンで盛り上がりました。

ル・マンが100周年を迎え〈チーム郷〉も来年20周年を迎えるにあたり、森本さんには2004年、無名の〈チーム郷〉がなぜ総合優勝を勝ち取ることができたのか?を現在のビジネス・シーンにも応用できるマネージメント的な側面から語っていただきました。

メンバーの一員だった森本貴子さんに優勝までの道のりをまず振り返っていただきました。そして現在、森本さんは25名のメンバーをマネジメントするファイナンシャルプランナー会社の支社長、セミナー事業部長として活躍されていますが、その経験はどのように活かされているのかをお話いただきました。

講演会の様子

冒頭でパリクラブ輝く会の岩間理事より開演の挨拶があった後、森本さんの経歴等の紹介がありました。その後はパリクラブの遠藤理事より「ル・マン24時間レース」に関する基礎知識の説明がありました。

ル・マンのレース場は何処にあるのか?

ル・マンの紹介をする遠藤理事。

ル・マンの紹介をする遠藤理事。

遠藤理事が提示した地図によると、ル・マン市はパリからTGVで1時間ほどの西側に行ったところにあるサルト県の県庁所在地ではあるものの、ノルマンディーやブルターニュに向かう観光客は通り過ぎ、近隣のロワール川流域のお城を訪問する場合には寄り手前で留まってしまうという名前は聞くが何処にあるのか分からない街のように思えました。更に一般公道を閉鎖してレース場となるとは聞いてはいたものの、どの道がレ―スコースとして使用されるのかについては、パーワーポイントのアニメーションによる説明を聞いてようやく認識できた話であり、非常に興味深い説明でした。
解説はレース開催期間中のピットやメインスタンド周りの様子やレースの内容に進み、徐々に森本さんが当時活躍されていた場所の特定や関係者ではないと分からない内部の説明に入って行くに従い、森本さんとの掛け合いとなり本題に向けてスムーズに引き継がれて行きました。最後にレース当日のスケジュールの話になってメインスピーカーが森本さんに代わりました。

優勝までの軌跡とビジネスマインド

1999年に結成された「チーム郷」のル・マンへのチャレンジは当初はフランス側からも冷やかしに来ている日本のプライベートチーム=金持ちの道楽のように捉えられていてあまり心地よい出張ではなかったそうで、そこを森本さんのキャラとチャレンジ精神でめげずに毎年の参加を繰り返しているうちに向こう側からも本気度を理解する人達が増えて来て、仲間意識を持てるようになって行きました。最後に話題として出て来る「ル・マンの女神」が微笑みだした瞬間だったのかも知れません。

ビジネスマインドの解説の中で自著の本の紹介をする森本さん。

ビジネスマインドの解説の中で自著の本の紹介をする森本さん。

そこからは今度はチームマネジメントの見直しが始まり、日本的な手法から現地で優勝経験のあるチームの模倣でも良いからと相手の懐に飛び込んで行って多くのことを学び取ったとのことでした。最終的にはチーム郷のメカニックを全員ドイツに居住させるなどの大胆な手法を取り、徹底的に優勝経験チームのお作法を学んで行った結果、人によっては性格や考え方まで変化したという驚きの結果を出すことが出来ました。

そうこうするうちに2003年には第4位まで駆け上がり、2004年には優勝経験のあるトム・クリステンセン、リナルド・カッペロ、日本人の荒 聖治選手で国際ドライバーチームを組んで、大メーカーが出場しなかったという幸運にも恵まれ、フランスの地元からも応援される良い環境の中でついに総合優勝を勝ち取ったのでした。
最後に本当にル・マンの女神が微笑んでくれたというわけでした。

ル・マン24時間優勝のエッセンスとビジネスマインド

優勝までの実体験的な軌跡の解説の後は、その苦労の中で森本さんが学んで来たビジネスの世界でも通用するようなエッセンスの話に移行して行きました。幾つかのキーワードをご紹介しておきます。

  • BESTから学ぶ:最初はコピーからで良い。ビジネスシーンでも同じ。売り上げの高い人から学ぶ。
  • 個性を大切に;個性を尊重する。生活パターン、宿泊や食事の拘りも。それぞれのやり方でも勝ちパターンを知る。
  • チームワークを大切に;内輪で“戦わない”こと。相手の望んでいるものは何かを知ることが大切。
  • ゴールは同じであることの認識。同じ目標に向かって自分の役割を認識し何が出来るかを考えている状態がベスト。
  • リーダーの選定:実績のある人に目標設定してもらい、メンバーを味方に付ける人間力のある人。
  • 目に見えないものを信じる:奇跡や予測できないことや直感での判断等変化に対する順応性。

最後の「目に見えないもの」として、ル・マンでチーム郷に微笑んでくれた女神が挙げられていました。
では、勝利の女神は誰に微笑むかというと、夢を大切にしている人、夢に素直に生きている人、夢を諦めない人、人を大切にしている人が挙げられていました。
このル・マンには女神がいる!に関しては過去のレースの結果をことごとく見て来た遠藤理事も鋭く反応し、講演最後の場面で大いに盛り上がりました。

ル・マンレース会場でしか手に入らないHERMESのスカーフをお披露目する森本さん。

ル・マンレース会場でしか手に入らないHERMESのスカーフをお披露目する森本さん。

以下に参加された方々から頂いたメッセージをご紹介しておきます

#1.今日は、最高に素晴らしい機会にお誘いいただきまして、魂が揺さぶられる奇跡の時間を、本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。 森本さんの人生のまだまだ一部だと思いますが、おひと言ひと言に魂が震え、涙が溢れ、止まらなくなってしまう瞬間が度々あり最高最善のタイミングで、森本さんとのご縁をいただきましたこと、そして、今日のように、素晴らしく貴重な時間をいただきましたこと感謝の気持ちでいっぱいです。 たまたま、偶然、お友達も参加していたりと、奇跡的なシンクロニシティにも、とても興奮しております。

#2.先ほどはお疲れ様でした。 2000年代だと、多くの人が日本企業でいかに務めていくかに腐心している人が多かったように感じます。(“一社懸命”な私だけの視点かもしれませんが。) あの時代に海外へ出て、日本企業に務めていては出来なかったようなことを手掛けてきた森本さんの経験は非常に貴重ですね。 昨今のビジネスにも通じるような体験談は私にとっても有益でした。 私にとっての課題でもある「まず行動する」ことを、今後実践していこうと思いました。

#3.今日はお誘いいただきありがとうございました。とても良いセミナーでした。 私もプレイングマネジャーで、大小チームを持ってきたので、改めて考えさせられました。 ありがとうございます。

以上で報告を終わります。

執筆:遠藤純也

【開催済】第47回 輝く会 【蘇る伝説のル・マン24時間レース / 2004】

〈チーム郷〉の優勝チームを支えた唯一の女性チームメンバーが語る 〈現代でも通用するビジネスマインド〉について

ル・マン(LE MANS)と聞いてあの過酷な24時間自動車レースのことを思い浮かべる方が日本ではどれほどおられるかは興味のあるところですが、フランスではこの伝統あるレースを知らない人はいないほどの格式のあるイベントです。
そのル・マン24時間レースが今年で100年目を迎えた節目の年に相応しい講演会を企画させていただきました。

日本からの参加では1991年にマツダのロータリーエンジン車が優勝、近年では2018年から2022年までトヨタが連続優勝するなどしていますのでご記憶にある方もおられるかと思いますが、その狭間の2004年に日本のプライベートチームが一度だけ優勝した記録があったのをご存じでしょうか。その名は”チーム郷”、ドライバーは3人体制でうち一人が日本人(荒聖治)、使用車両はドイツのAUDIという国際色豊かなチームの裏方で非常に重要な役割を演じておられた方が実は現在のお仕事の関係で2020年1月にオンライン開催した「お金の教室」の講師を務められた森本貴子さんです。

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【開催済】【パリクラブ社会経済委員会 講演会】 欧州から見た日本文化:ユネスコでの体験をもとに ‐日本文化の遺産とその在日欧州企業による商業的活用の潜在性‐

日本は豊かで長い文化を持ち、世界的に認められた国です。

今回は「文化」を中心に据え、文化庁・文化戦略官 兼 博物館振興室長である高井絢氏をお迎えし、第一部で代表的な世界文化機関であるユネスコにおけるご経験とともに、日本文化とその受け入れ方を、第二部に、日本で活動する欧州企業による日本文化の活用の実例を踏まえて、今後、日本文化をどのように商業活動に取り入れていくのかを議論いたします。

1. ユネスコと日本

日本は1951年の創設以来ユネスコに加盟しており、中国に次いで2番目に活動予算を拠出しています。 25 の遺跡が世界遺産に登録されており、無形文化遺産の条約など、多くの世界的な文化的取り組みを主導しています。こうした世界的な文化舞台で目覚ましい活躍を踏まえ、これからの日本の役割を考えます。

※ 参考:文化庁 世界遺産HP

2. ヨーロッパの日本文化への目

日本は、今、観光大国への道を進めています。そこで、日本の文化遺産は、商業化によって消費者の注目を集めるための最大のツールとなるかもしれません。このような背景から日本政府もたいへん前向きな政策を示しています。そこで、日本で活躍する欧州企業の成功事例を当事者から伺います。

※ 参考:BMW X7 “ NISHIJIN EDITION” ‐新時代のラグジュアリネスを紡ぐ匠の美と技‐
※ 参考:2022 ホリデー コレクション シュウ ウエムラ × 劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal

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【開催済】第15回 Salon de Paris Club「多数決は社会を幸せにするのか?多数派の専横を防ぐ意思決定理論とは」

Tyranny of the majority(多数派の専横)という言葉は、多数派が多数派であることそのものを理由に自らを過剰に正当化して少数派を排除したり弾圧したりする危険性を指します。多数派だからいいじゃないか、民主主義とはそういうものだ、と納得していませんか。

そんなことはありません。

多数派なら専制を行ってもよい、という主張は民主主義の一部ではありません。「そういうもの」ではないのです。ましてや、多数決によって何でも決めてしまえ、と考えるのはあまりにも乱暴です。

いかにして民主的な決断をするべきか?人類の長い歴史の中で多くの偉人たちが論を重ねてきたにもかかわらず、私たちはまだその答えを知りません。歴史的には、ルソー、コンドルセを始め多くの思想家が集団的意思決定について考察し、アメリカ合衆国「建国の父」たち、トクヴィルなどが民主的意思決定、政治制度設計について論じてきました。

 本講演では、集団的意思決定において現代人が知っておくべき科学的な方法について紹介します。ゲーム理論、社会選択理論、行動経済学、実験経済学、投票理論などの発展に伴い、科学的な研究に基づき、データを用いてより「望ましい」社会的意思決定制度の考察が行われています。そうして生まれたEBPM(Evidence-Based Policy Making)は優れた性質を持つことが知られており、その実践例から私たちの日々の社会的意思決定にいかにして応用すればよいか学ぶことができます。

 しかし同時に、生身の人間が集まった社会においては、データだけで望ましい決定ができない例があまりに多いことを私たちは経験的に知っています。近年まで科学は人の心の動きや納得感などを考慮に入れるのが苦手な面がありました。最新の研究成果の紹介を通して、理論だけではなく、人の心にひびく施策を行うにはどうすればよいか、望ましい社会的意思決定とは何かを考えていきます。

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【開催済】日仏経済交流会 設立30周年記念式典のご案内

パリクラブ会員各位

拝啓 麗春の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
下記要領により、パリクラブ設立30周年記念式典を開催しますので、この機会に是非会員各位のご参加をお願いいたします。

パリクラブウェブサイト日仏経済交流会(パリクラブ)Paris Clubから、5月26日(金)12 :00までに、お申し込みください。

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【レポート】第46回輝く会 講演会 「シャンソンの真実~アラン・ドロンからミッテランまで」

シャンソン研究家&音楽ライターの十川ジャンマリ氏がフランスの国民的歌手ダリダの生涯をサンプルとしてシャンソンとフランス国民・政界との歴史的関わりについてわかりやすく解説くださいました。
さて、シャンソンの始まりは、フランス革命に遡ります。特権階級に独占されていた音楽が市民たちに解放されました。19世紀のボヘミアンというアーティストの卵たちの活躍、ベルエポックにモンマルトルにシャンソンを歌う店が流行するなどを経て、シャンソンは、大衆の歌として発展します。
エディット・ピアフなど歴史に残るシャンソン歌手が沢山いる中、今回ジャンマリ氏が選んだのはイタリア系フランス人歌手、ダリダでした。当時既に美的人気スターとして活躍していたアラン・ドロンと組んだ「あまい囁き」(パローレ)は、「これでどうだ!」という組み合わせで、世界的なヒットとなりました。これは、シャンソンの栄光の一つの頂点といってもよいとのことです。
シャンソン文化の発展には、ミッテラン政権が大きな役割を担いました。従来の保守政権は、クラシックやオペラなどの高尚な音楽を国民に普及させようとしました。それに対して、政権交代後の社会党・ミッテラン政権は、市中の大衆音楽こそがこれからの時代に必要だという思いがありました。
ミッテラン政権において1981年~92年まで文化大臣を務めたジャック・ラング氏が創設した『音楽の祭日』(Fête de la Musique)など 若者文化を取り入れた文化事業が花開き、そこでシャンソンは表舞台に出ることとなり、大きな発展を遂げることになったそうです。
実は、ミッテラン大統領は、ダリダの熱心なファンで、選挙キャンペーンをダリダにお願いします。会場に社会党のシンボルであるピンクのバラの花束を持って現れたダリダは、国民の半数(保守層)を敵に回すことになり、そのスキャンダルがきっかけでダリダの人気に陰りが訪れ、晩年はうつ病に苦しむことになりました。そして1987年睡眠薬で自殺を図り翌日に死亡します。自殺の直前にアラン・ドロンに電話をかけたがあいにく彼は撮影で留守。アラン・ドロンは車中のラジオでダリダの死を知ることになり、電話に出れなかったことを悔やんだそうです。
さらに他の話題も。日本でヒットした「フランシーヌの場合は」という和製シャンソンは新聞で小さく報じられていたフランスで起きた焼身自殺にインスピレーションを得た日本人が作詞・作曲しました。この作品は反戦歌としては異例の大ヒットをしたのですが、今ではすっかり忘れ去られています。フランスでは、反戦歌は歌い継がれて行きます。日本の流行歌の一過性が残念でなりません。
このように、知られざる沢山のエピソードがアコーディオンと共に披露されました。
参加者の皆様にはランチと共に楽しいひと時を楽しんでいただきました。

お食事