「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第30回 忘れ得ぬ恩師(S 大使を偲んで)

●これまでの人生で、筆者がお世話になった方は多数いるが、その中に、仕事と人生における師匠のように慕っていた大先輩がいる。その方を、ここではS大使と呼ばせて頂くことにする。同じ職場のずっと上の大先輩だが、外務省内外の様々な職を御経験された後、最後にアフリカ某国で特命全権大使になった方である。S大使は定年退職された後も、外務省参与という肩書きで、アフリカ外交に引き続き貢献された。参与のお仕事も終えられ、完全引退された後も、職場に用事で来られる際には御連絡を頂き、時々ランチを御一緒させて頂いていた。S大使は、2019年 8月6日に永眠された。享年81歳。

アフリカで国会議員になれる程の有名人
S大使は、「ミスター・アフリカ」と呼ぶに相応しい方で、アフリカの多くの首脳や閣僚と友人であり、厚い信頼関係を築いておられた。東アフリカの某国の日本大使をされていた時は、その国の隅々まで出向かれ、政府高官だけでなく、現地の 人々とも友好関係を築いてこられた。この国ではS大使を知らない人はいないという程の有名人で、「S大使がこの国で国会議員選挙に出馬したら間違いなく当選するだろう」とまで言われていたくらいである。

初めての接点
そんなS大使と初めてお会いした、というか、一緒にお仕事をさせて頂いたのは、 1993年に東京で開催された、第19回先進国首脳会議(東京サミット)の時であった。筆者は、首脳に同行して来日する配偶者のためのプログラムをアレンジする班に下っ端職員として配置された。そこのトップがS大使(この時はまだ大使ではない)だった。本番に先立って乗り込んできた欧米の先遣隊と様々な調整をする大先輩の姿が眩しく映った。当時、右と左の区別が漸く付いた頃の筆者に対して も、非常に紳士的に、しかも暖かく接して頂いた。そして、S大使の仕事ぶりを見て、外交の表舞台を支える縁の下の力持ち的な役目がいかに重要かを理解した。
(なお、「先進国首脳会議」という呼称は現在では使われておらず、今は「主要7か国首脳会議」または「G7サミット」と呼ばれることが多い。)

アフリカで再会
暫く年月が流れた。2005年、ナイジェリアの首都アブジャで開催された AU 総会(アフリカ連合(AU)の定期首脳会議)に、私は当時在勤していたパリから出張して参加した。私の役目は、S大使の補佐を務めることだった。そう、ここでS大使と再会した。定年退職されていたが、最初にお会いしたときからお変わりな く、アフリカの元首や閣僚を見つけると、一直線に歩み寄り、話しかけていた。ミスター・アフリカが近寄ると、アフリカの大統領たちが目を細めて笑顔で応じていたのが印象的であった。実務家としての実力に加え、ミスターの鷹揚なお人柄がアフリカ人にウケているのだ。
その数か月後、筆者はエチオピアに赴任し、何度もミスターと一緒に仕事をさせて頂く機会に恵まれることとなった。

アフリカ地方出張時の三種の神器
アフリカの赴任地の隅々まで足を伸ばされたS大使。地方のホテルの中には、必ずしも快適とは言いがたいところもある。そのような中、S大使から伝授された三種の神器がある。まず1つ目は、「ビーチサンダル」。別に海岸を歩くためではない。シャワーを浴びる時に、床が余り清潔ではない場合に有用。そして「洗面器」。昔のバスタブの蛇口は、水とお湯に分かれて2本付いていた。S大使によると、お湯を捻ると熱湯が出てくるので、洗面器に水と一緒に溜めて、ちょうど良い湯加減にして、体を洗うのだそうだ。バスタブに貯められる程の量のお湯は勿論出てこな い。お湯が出ないホテルでは、ホテル側に頼んでお湯(熱湯)を持ってきてもら い、洗面器で水と混ぜて温度を調節してから使用したのだそうだ。最後は「便座型に切り抜いた段ボール」。御想像のとおりだが、便座の上に敷いて使用するためである。薄いし、折りたためるし、何個でも自作可能。ナルホド、経験者ならではの知恵だと膝を打った。

ヘビースモーカー
S大使は大の喫煙家として知られていた。仕事中も、ちょっとでも隙間時間ができたら、人差し指と中指でタバコを挟む仕草でサインを送り、喫煙所に消えて行く。 AU 総会は、アフリカの首脳だけの会合で、日本や欧米のパートナーは開会式と閉会式の一部にしか出席できない。それ以外のセッションは完全シャットアウトである。よって、会議場での議論の内容については、会議場の外でひたすら待ち続け、アフリカの元首や閣僚が会議場から出てきたのを捕まえて、中の様子を聞くしか方法がない。いわゆる「ぶら下がり作戦」である。これが多くなると、アフリカの首

脳たちは、我々の存在を遠目に察知して、スーッと消えて行くこともある。ミスター・アフリカは、時に、ふと消えていなくなったかと思うと、ふらっと戻って来 て、「今、某国の外務大臣から、こういう話を聞いた」と最新情報を聞き出して来た。困難な状況で良くそんな情報が取れたなぁ、と思っていたら、何と、会議場内の喫煙所で愛煙家の大臣と偶然出くわして意気投合したそうだ。その後、AU 総会がある度に、その外務大臣とはタバコ仲間として喫煙所で再会し、重要情報を聞き出していた。ヘビースモーカーなら誰でもできる訳ではなく、やはりS大使ならでは、の技なのだろう。
S大使は、AU 本部があるアディスアベバに頻繁に出張に来て頂いた。標高240 0m の高地は酸素が薄いため、携帯用の酸素ボンベを持って出迎えに行った。到着後、直ぐに休憩室に入り、右手に酸素ボンベを持って吸引する。しかし、その際、左手の人差し指と中指の間には火のついたタバコが挟まれており、酸素とタバコを両手で交互に吸っておられた。これが同僚なら、「どっちかにせい!」と突っ込むところだが、相手は大先輩。その所作をじっと見守る筆者であった。

カバンと靴は妥協しない
S大使が駆け出しの頃、米国にある日本総領事館勤務をしたときの話。若手外交官として、一張羅のスーツを来て出勤したところ、上司から次のように言われたそうだ。
「君、スーツとシャツはいつもパリッとしたものを着なさい。人は足元を見られるので、常に磨かれた良い革靴を履きなさい。」
「ビジネスマンなら、たとえ中身は空っぽでも、良いカバンを持ちなさい。」
更に、「君は若いから安月給だろう」と言って、その上司が高価な革製のカバンを買ってくれたのだそうだ。
S大使はこれを教訓として、若手職員に対し、身なりを注意するよう指導されていた。筆者も文字どおり、襟を正す思いで拝聴させて頂いた。

「その日」は必ず来る
S大使とは、しばしば昼休みにランチを御一緒させて頂いた。ランチで行く時間と場所はいつも決まっていた。何故なら、大抵のレストランは終日禁煙だが、そこだけは、ある時間帯から喫煙可能となるからである。S大使御用達である。定食を食べ終えて、食後のコーヒーを注文すると、コーヒーと一緒に灰皿が出てくる。店側も心得たものだ。
食事や食後のコーヒーを飲みながら、仕事や人生について、様々な経験談やお考え

を共有頂いた。その中で、心に残っている一言が、「その日は必ず来る」である。
「大使、来月はまた出張御一緒させて頂きます。」と言って、少し先のことだと思っていると、あっという間に「出張は有意義でしたね」と、出張後に一緒にコーヒーを飲んでいる。
「来年の大型会議の準備、そろそろ始まりましたよ」と来年に向けた話をしていても、いつの間にか1年が経ち、その会議も終わり、また同じレストランで反省会をしている。その時、「まだ先の話だと思っていましたが、終わってしまえば早かったですね」と筆者が何気なく述べたのに対し、S大使は筆者の目をジッと見つめながら、諭すようにお話しされた。
「君ね、「その日」というのは必ず来るんだよ。例えば数年後はまだ先の話だと思うだろう。しかし、時間は着実に経過し、数年経てばその日が必ずやって来る。頭では分かっていても、例えば若い時には、自分が定年退職する日が来るとは実感できないものだよ。でも君にも退職する日が来るんだよ。ということは、自分が死ぬ日も来るということだ。「その日」は必ず来るんだ。」

そして、その日は来た
2019年夏、突然S大使の訃報がメールで届いた。画面を二度見、いや三度見て確認した。俄かには信じられなかった。それもその筈。その約3週間前に、筆者の携帯電話に御連絡を頂いたばかりだったからだ。
7月某日、仕事中に携帯が鳴り、S大使の名前が表示された。大変御無沙汰しております、等と挨拶をしたと思う。
「いやぁ、連絡先に君の名前が残っていたからさ。元気かな、と思って。」いつもどおりの穏やかな声だった。
「月一くらいで本省に来る用事があるから、その時また連絡するから、ランチでも行こう。」
とお誘いを受けた。是非宜しくお願いします、と答えた。それが最後のやりとりとなった。
その後、御葬儀への出席、そして、筆者も幹事の1人を務めた「S大使を偲ぶ会」の開催。筆者の2度目のエチオピア赴任直前のことだった。S大使夫人によれば、何の予兆もなく、いつもどおり自宅でお孫さんたちと過ごし、お休みになったまま天国へ旅立たれたそうだ。
「まったく悔いはありません。」
夫人のその発言を聞いて、なぜか筆者もホッとした。
S大使が言っていた、最期の「その日」が来たということだ。最後の最後まで、S

大使らしい生き方だったのではないだろうか。
できればまた、アディスアベバの空港で、酸素ボンベ片手にお越しをお待ちしたかった。
アフリカでは、「老人が 1 人亡くなることは、図書館が 1 つ無くなるのと同じことである」と言う。人生と仕事の英知をもう少し長く授けて頂きたかった。
あらためて、心より御冥福をお祈り申し上げます。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

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