「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第27回 アフリカにおける民主主義と選挙(その2)

民主的選挙の実施
前回書いたとおり、辞書によれば、民主主義とは、「選挙で選ばれた代表者によって権力を掌握された国やその制度」を指す。では、民主主義が機能するためには、選挙が適切に実施されて、国民や地域の代表者が選ばれなければならない。選挙制度をしっかり定めて、それに従って、有権者が公正な投票を行い、正しく集計がなされ、当選者が決定する。前回、民主主義は、自分たちが納得する必要があり、形ばかりの制度を押しつけても機能しない、と述べた。しかし、選挙の実施については、ある程度、形式から入ることも大事である。ある国が正しく選挙を実施したかどうか、を確認するために、国際社会はしばしば選挙監視団を派遣し、選挙の実施段階から投票当日までのプロセスをモニターすることがある。そこでは、主に法整備や手続き面での適切さが確認される。

では、アフリカの選挙の現場では、何がどのように行われているのだろうか。ごく一般的な選挙の流れを紹介する。
まず、有権者を特定する必要がある。基本的には、直近の国勢調査の結果を基に、有権者登録が実施され、有権者リストが作成される。これが選挙実施の基礎になる情報となる。選挙の実施を管理・運営する独立委員会が設置される。この委員会 は、政権与党の圧力からも、また野党側の抵抗勢力からも独立した地位を有していなければならない。その理由を説明する必要はないだろう。
選挙に先立って登録された有権者には、独立選挙管理委員会から有権者カードが届けられる。投票者は、この有権者カードと自身が元々持っている身分証明書を持って投票に行く。
立候補者は、定められた期限までに必要な数の署名を集める等して候補者登録を行い、選挙キャンペーンを展開する。選挙キャンペーンの期間は厳格に守られなければならないし、キャンペーン方法にも規定が設けられており、余りに露骨な有権者の誘導は認められない。また、例えば与野党間で集会の実施方法についての差別があってはならない等、候補者・政党間の公平性も維持されなければならない。
以上は、アフリカに限らず、日本や世界の多くの国や地域における選挙でも大体行われていることであり、特に違和感はない筈。

1995年のコートジボワールの総選挙直前に地方に出張した際、そこで地域住民に対する選挙集会が行われているのに出くわした。ちょうど投票の仕方について説明がなされていたが、係員が、「皆さん、投票では、(高く掲げて見せながら)この白い方の投票用紙を封筒に入れて、投票箱に入れましょう」と言っているのが聞こえた。白い投票用紙は与党候補の色である(後述するように、候補者毎に用紙の色が異なる)。中央から目が届かない地方ではいろんな事が行われているのだな、と複雑な思いをしたことがある。

投票当日は、指定された投票所に行き、受付(選挙管理委員会)に有権者カードと身分証を提示し、有権者リストと照合し、間違いがなければ投票を行う。投票は、有権者各人の秘密が守られるように、区切られたブースで記入し、投函される。投票箱にはきちんと鍵がかけられており、勝手に開けることはできない。投票所は決められた時間に開場、閉場される。投票結果の集計は、選挙管理委員会、与野党の代表者、それに市民社会等の立ち会いで、透明性を確保し、公正に行われる。

投票の実際・選挙監視の実施
以上が選挙の実施の流れであるが、ごく当たり前のことを書いているように思われるかもしれない。そう、アフリカだからといって、特別な変化球が飛んでくることはない。
筆者の直近の例では、2021年6月21日に実施されたエチオピアにおける議会選挙(総選挙)がある。この選挙、新型コロナウィルスの感染拡大で予定から実施が1年間遅延し、また治安上の理由で一部の地域については同時期に実施できなかった等の不規則性はあったが、それは本題ではないので、ここでは省略する。
この総選挙では、国民の有権者登録を促すために、政府から大々的な働きかけが行われた。一部には、その方法がかなり露骨だと批判もあったが、努力の甲斐もあ り、多くの登録が得られた。有権者は、居住地を含む区域内に指定された複数の投票所のうち、実際に投票に行く投票所を予め登録しておく必要があり、同じ地域内であっても、自分が登録した投票所でないと投票できないようになっている。
投票資格が確認されると、その有権者の指に不正防止(二重投票防止)のためのインクを付け、選挙管理委員の導きで候補者リストが渡されて、区切られたスペースで自分が投票したい候補者に印を付ける。これを投票箱に入れて投票は終了。

消えないインク
有権者の指に不正防止のインクを付ける、と書いたが、日本人には余り馴染みがないかもしれない。二重投票を防ぐために、一度投票した有権者の指先に消えにくいインクを付けておけば、身分証を誤魔化す等して同人が再度投票しに来ても、指先を見れば不正を未然に防ぐことができる。このシステムは、アフリカに限ったものではなく、他の地域でも採用されている。筆者が過去に選挙監視団の一員として投票場を視察した際にも、人定事項を確認した選挙管理委員が有権者の指を掴んで、インク壺にその人の指をドボン、と付けて次の手続きに案内しているのを確認し た。また、念のため筆者も指をインクに浸してみたところ、完全に消えるには3日かかった。このインクは、適切な選挙を実現し、その国の民主化や民主主義の定着を支えるための重要な役割を負っている必須アイテムである。日本政府は、世界の様々な国の民主化支援の一環として、選挙に必要な消えないインクの供与を支援している。それ以外にも、例えば鍵のかかる投票箱や投票用紙などをパッケージにして支援している。過去には、選挙実施の基礎情報となる国勢調査の実施費用を負担したこともある。

ところで、消えないインクは、以前は投票する人の人差し指の先から第1関節くらいまでをインクに浸していた。しかし、2021年の第6回エチオピア総選挙で は、投票者の親指の爪の付け根に帯のように付けられていた。普段の生活で支障にならず、しかもオシャレなスタイルに進化していた。消えないインクを付けたことが、民主主義への貢献者として、地域社会で自慢できるような風潮が生まれると良いな、と思っている。

選挙監視への参加
筆者はこれまで、アフリカで2回、選挙監視団の一員として監視活動に参加した。当時のエピソードを交えながら紹介する。
1回目は1995年、と一昔前だが、コートジボワールの大統領選挙。建国の父で初代大統領のウフェ=ボワニが1993年に死去し、憲法に則って国民議会議長から大統領代行となったベディエ氏が与党筆頭候補として出馬した選挙だった。当選は確実視されていたが、最大の対抗馬としてワタラ氏が立候補していた。この選挙で大きな話題となったのが、立候補の資格であった。国籍や一定期間の居住等が要求されることは、我々にも違和感はない内容だが、ベディエ陣営が指摘したのは、ワタラの「象牙性」であった。ワタラの母親は隣国のブルキナファソ出身であり、これがコートジボワール(仏語で「象牙海岸」を意味する)人たる「象牙性」を満

たさない、という点であった。「象牙性(Ivoirité)」という単語はこのときにベディエが発した造語である。南部出身のキリスト教徒であったベディエは、北部の移民系ムスリムのワタラは「象牙人」ではなく大統領の資格なし、として事実上の追放を行った。身の危険を感じたワタラは、一旦は出馬をあきらめ、パリに逃れた。その後、捲土重来を果たし、現在の大統領になった。このときのもう一人の候補であったバグボは、当時若手野党のリーダーだったが、後に大統領に就任し、その後の選挙でワタラ候補に敗れたが、自らの敗北を認めず、内政混乱の渦中にあった人物だ。建国の父の死後の選挙における政治的な力学がその後も続いている。

この選挙の監視を国際社会が連携して行おうと、国連が中心となって選挙監視団が編成された。現地の日本大使館もこれに参加し、筆者は選挙当日、複数の投票所を回った。国際選挙監視団の名のとおり、日本(筆者)は西アフリカのトーゴから参加した国会議員と共に行動した。国連の事務局から、我々のチームが視察を行う投票場のリストが配布され、それに従って最初の投票場に向かおうとしたその時、トーゴの議員から待ったがかかった。
「そう急がずに。まずは市長(与党)に挨拶をしなければ。」私はここで反論した。
「そんなことをしたら、中立な監視活動の意味がなくなる。まず投票場を視察した上で、時間が許せば市長にも会えばよいではないか。その次にも回るべき投票所は多数あるのに。」
すると、筆者の倍くらいの年齢とおぼしきその議員が言った。
「こういうときは、まずはその土地の首長に挨拶をしてからだよ。勝手に動き回るのは良くない。」
私は、選挙監視はランダムに投票所を訪問するからこそ意味があるのであって、予め来訪が準備されていたら本当の意味でのモニタリングができないと考えていた。いわば、監視だから不意打ちでやらねば、と。しかし結局、この老練な政治家に押し切られる形で、市庁舎へと向かった。市庁舎の中庭には、カナッペとジュースが用意され、あたかも我々の来訪が想定されていたかのような準備がなされていた。市長は得意げに我々を迎え入れ、もてなしてくれた。私はきっと不満たらたらの表情をしていたのだろう。刻一刻と時間が過ぎていく。予定したとおりに監視スケジュールをこなすことは難しい。しかも、これでは我々が市長側に取り込まれたも同然ではないか。
しかし、その後投票所を回りながら、関係者が一生懸命に作業をし、また投票するために長蛇の列に静かに並ぶ有権者を見ているうちに、この選挙が成功することを

心から願う気持ちになっていった。何か不備があれば指摘してやろうと思っていた最初の気分は吹っ飛び、日没後に最後に訪れた投票所では、集計作業が終わるまで視察して、無事に終了したときには一緒に手を叩いて皆と労い合い、安堵してい た。何が一番の正解かは今でも分からない。ランチタイムの休憩時間に海岸沿いのレストランで楽園のような光景を眺めていた時、自分の中で何か悟りのようなものを感じた。地元テレビのインタビューを受けて、選挙の監視状況について応答したのが、その日の夜のニュースで放映された。自己紹介をした後、監視した範囲では順調に推移し、大きな問題は見られない、と述べたことを記憶している。人生初のテレビ出演だった。

それからちょうど10年後の2005年5月のエチオピアの第3回総選挙でも、選挙監視活動を行うこととなった。ここでは、コートジボワールでやったような、国連による取りまとめは行われなかったが、欧米や日本が形成するドナー・グループ内では、うまく連携して監視を行おうということになっていた。当時、分野毎にドナー・グループがあり、選挙監視は人権グループで扱うことになっていた。議長は英国。いつも出席している同僚から、議論が難航しているから応援で出席して欲しいと依頼があった。日本は予め視察ポイントを決めて、エチオピア政府または選挙管理委員会に提出してから監視活動を実施すべきとしていたのに対し、いくつかの国は、抜き打ちでやるべきとの立場で折り合いが付かないというのだ。筆者の中には、1995年の経験から、確固たる監視活動に対する姿勢が根付いていた。地域の首長への事前の「仁義切り」まではやらないとしても、監視する側も、行動の透明性を当局に示して行うことがフェアだと考えていた。
想定したとおり、人権グループでは立場が分かれた。抜き打ち監視でないと意味が無い、と主張する国がある。その気持ちは痛いほど理解できる。筆者も10年前はそうだったのだ。最終形にどのような形でグループの決定がなされようと、日本は日本の立場で活動する、と信念に基づいて主張した。議長の英国は、どちらが正しいとはせずに、それぞれの立場で活動を行うべきと結論づけた。選挙は総じて平穏に実施されたが、その結果を巡って野党支持者と治安部隊との間で衝突が起こり、死者を出す騒擾となった。

選挙の準備と実施が上手くいっても、結果に対するフォローが必要である。

投票に際しての工夫と配慮
1995年のコートジボワール総選挙の直前に地方で投票の仕方についての講習が行われていたと上述したが、この選挙で使用された投票用紙は、候補者毎に色分けされ、その表にはそれぞれの政党のマーク(エンブレムのような図柄)が描かれていた。これは、政党と候補者が誰の目にも一目瞭然であるし、字が読めない有権者も間違いなく投票できる。なるほどなぁ、と得心した。この選挙を監視した際に、一点指摘したことがある。それは、投票しない候補のマークが記された用紙を捨てるゴミ箱の中身が丸見えになっているので、どの色の用紙が多く捨てられているかが投票者に一目瞭然で分かってしまう。これは、一定の心理作用を引き起こすのではないかと思われた。
更に、事後に面白い話を聞いた。投票者の中には、自分が支持する候補者の用紙 を、投票せずに後生大事に持ち帰り、それ以外の候補の用紙を封筒に入れて投票してしまう例があったそうだ。民主主義、相手はなかなか手強いぞ。

2021年のエチオピアでは、用紙には候補者と政党名がリスト化されており、それに印を付ける形で選ぶようになっていた。既に識字率がかなり上がったとはいえ(注)、字が読めない人はまだいる。やはりこのリストにも政党毎にマークが記されている。いずれは、点字の投票用紙や、電子投票の導入といった新たな制度が導入されていくことになるのだろう。

(注)国連の統計によれば、エチオピアの若者の識字率は7割を超えるが、65歳以上の高齢者になれば2割程度である。

集計という重要な作業
投票まできちんとできても、正しく集計されなければ意味が無い。当たり前だが。現場ではどんな作業が行われているのだろうか。2021年6月の第6回エチオピア総選挙では、リストの誰が選ばれているかを、一枚一枚数えていく。集計するのは、投票に立ち会う選挙管理委員に加え、与野党の代表者、市民社会の代表者。彼らがそれぞれ集計し、全員の数が一致する必要がある。万が一誤差が生じれば、一致するまで何度も集計し直す。非常にマニュアルな方式だが、関係者が全員納得することも重要である。

1995年のコートジボワールでの集計は、投票用紙の色毎に数え、その数を黒板に書いていく。日本だと、漢字の「正」を5と数えていくように、ここではフラン

ス式に□に斜め線を入れた「〼」(升記号)のような記号で数えていく。斜め線が右下がりの場合もあるが、いずれにせよ、□で4画、5つめに斜線。
こうした数え方は、例えば米国では、縦4本に斜線の、一般にタリー(tally)と呼ばれる方式で行われる。こうした様々なシステムをまとめてタリーと呼ぶこともある。タリーは、古くは古代石器時代からあるそうで、メッセージの伝達や、借金の記録等、様々な機能を果たしてきたそうだ。

いずれは電子投票・集計が導入されるのかもしれないが、透明・公正な選挙が人々の創意工夫と協力で行われていって欲しい。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

(升記号で集計する投票所。筆者撮影)

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(コートジボワールでの選挙監視の合間に海岸で休憩。天国のような光景に一息。筆者撮影)

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