「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第20回 アフリカ・カイゼン・プロジェクト誕生秘話(?)

●カイゼンとは?
「カイゼン」を御存知だろうか。「改善」ではなく、「カイゼン」または「KAIZEN」である。カイゼンとは、元々は、工場の生産現場の作業効率や安全性の確保を見直す活動のこと。現場の作業者が中心となり知恵を出し合うことで問題を解決する点がポイントで、語源は「改善」だが、それと区別するために「カイゼン」とカタカナ表記される。特に、トヨタ自動車のカイゼンは有名で、しばしばトヨタ生産方式の強みの1つであると説明される。海外でも、「Kaizen、KAIZEN」と表記され、会社から個人まで様々な分野で活用されている。
日本の高度経済成長の原動力の一つである「カイゼン」は、小さな努力の積み重ねが大きな成果を生む、という実に日本らしい発明である。この日本の品質・生産性向上の仕組みが、世界の生産現場で存在感を高めている。米国では、製造業や病院に加え、軍隊でも導入されているそうだ。
アフリカの開発を支えるため、日本はアフリカにカイゼンを普及し、人材育成、生産性向上を目指すプロジェクトを実施している。最初にアフリカでカイゼンを導入したのはエチオピアである。これは、当時のメレス首相からの要請に基づいて検討した結果であり、日本から持ちかけたものではない。しかし、メレス首相から明示的に「カイゼンをやってくれ」と言われたのでもない。
メレス首相が発した一言がキラー・メッセージとなって、「カイゼン・プロジェクト」が誕生した。誕生秘話、というのは大げさかもしれないが、以下に御紹介する。

●日本にしかできないこと
2008年のある日、突然、首相府から、「メレス首相(当時)が日本大使に会いたがっている。すぐ来て欲しい」と連絡があった。何の件でのことかすぐに判断がつきかねたので、要件を聞いても、「首相からお話します」としか答えてくれない。判然としなかったが、この様な連絡は珍しいので、大使と共にすぐに首相府に向かった。執務室で我々を待っていた首相に対し、日本大使はエチオピアとの関係、日本の開発協力等について、話題を展開した。
メレス首相は、いつもそうするように、微笑みながら大使の話を聞いていた。この指導者は、若い頃は神童と呼ばれ、大学で医学を専攻したが、1974年のクーデタで

国を支配した軍事政権との闘争に参加し、遂には指揮を執り、1991年にこれを打倒。以来、エチオピア首相として国家の運営を行ってきた(2012年に死去)。相手のランクにかかわらず、必要と思えば誰とでも会い、相手の話を遮ることなく最後まで聞き、その表面上の意味ではなく、その奥にある意図を理解しようとする。洞察力が非常に優れた人物である。大使の話を聞き終えたメレス首相は、なるほど、という感じで一拍おいて、こう述べた。
「たった今、貴使が述べられたことはいずれも重要な二国間の協力案件であり、有り難い。しかしながら、日本がそれらを行うことは、いわば至極当然だと思っている。例えば、私が日本になぜこの区間の道路建設を依頼したか。この技術を要する橋の建設をなぜ日本に依頼したか。それは、日本にしかできない難易度の高い挑戦だったからである。普通の道路、橋やダム建設なら、欧州や中国に依頼すれば良い。」この頭脳明晰な政治家の思考回路について行かねばならない。今度は、我々の方が、メレス首相の言葉の真意を探る番だ。
「日本には、日本にしかできないことをやって欲しい。」
それが、エチオピアが日本に対する期待だ、というメッセージだった。

●必要なのは、労働倫理と現場監督
「日本の出席者からこんな本を頂いた。日本大使は当然読んでますよね。念のため、該当部分のコピーをお渡しします。」
意味ありげな言い回した。メレス首相は滔々と語り始めた。
2008年7月に、アディスアベバで開催された、アフリカ経済に関する会議に、メレス首相も出席した。これは、当時、アフリカ経済版のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)とも言われ、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ教授が主催し、アフリカの政府高官や世界中のエコノミストも参加する会議だった。ここで、日本の政策研究大学院大学(GRIPS)の GRIPS 開発フォーラム(GDF)が活動報告を行った。メレス首相は、そこで、GDF の出席者から一冊の本を渡された。この本の中に、北部アフリカで日本が行った協力案件についての記述があった。これは、ホテル従業員の人材育成に関するもので、EU が計画の全体像を策定し、日本はその指導員の教育指導を行った。
「規範を書くのは、それが得意な欧州人にやらせれば良い。重要なのは、労働倫理であり、それを理解し、根付かせるためには、現場で働く職員を指導する指導員の教育が必要である。これは、日本が最も得意とする分野であり、日本人にしかできない。我々が一番必要としているのはこの分野であり、日本人から学びたい。」
メレス首相は熱っぽく一気に話した。またこうも付け加えた。

「これは全アフリカが必要としている。まずエチオピアから始めて頂きたい。エチオピア人が最も日本人に感覚が近く、最初に学ぶ国民に相応しいからだ。」
メレス首相は、会場で手渡された本を読みながら、該当部分にきた時に、「これだ!」と閃いたらしい。

●これは、とてつもない要請を受けたぞ、というのが最初の印象だった。まず、メレス首相の話をしっかり消化し、分析して、日本としてできる最高のプログラムを構築して提示して、また相談し、磨きをかける必要がある。メレス首相の口から は、「カイゼン・プロジェクトを作って欲しい」とは一言も発せられていない。大使館に戻り、まずは、メレス首相から手交された本の該当部分のコピーを読むところから始めた。恥ずかしながら、その時始めてその本を読んだ。メレス首相はお見通しだったのだろうが。
そして、上記の首相とのやり取りの報告書の作成に取り掛かった。前半のやり取りの部分は記憶とメモを頼りに書くことはできる。問題は、後半部分の、メレス首相から日本は何を求められ、東京の外務本省にどう検討してもらうか、の提言部分の具体化だった。ここは大使としっかり相談して書いた入魂の数ページだった。
キーワードは、「労働倫理」「現場監督者の教育(または trainer’s training)」「日本にしかできないもの」そして、「カイゼン」。最後のカイゼンは、この会談の時に言及があったものではないが、メレス首相が以前から何度も言ってきた日本式生産性向上のヒントとなりうると考えたからだ。なお、東アジア発展の「雁行モデル」も同様、首相の着目点の1つであった。

●カイゼン・プロジェクトと産業政策対話の立ち上げ
こうして、報告書を本省に提出し、電話でのやりとり等を経た後、暫くして東京から日本としての協力プロジェクトが提示された。これが「カイゼン・プロジェク ト」である。メレス首相のもう一つの依頼は、日本の政府や専門家との産業促進のための政策対話の立ち上げだった。メレス首相は、この政策対話に非常に執心で、日本大使との面談に費やす時間の何倍もの長時間にわたって専門家との議論を行った。カイゼンと政策対話は、その後発展しながら、現在も続いている。
2009年に国際協力機構(JICA)が始めた「品質・生産性向上計画調査」の結果を受けて、エチオピア政府は、エチオピア・カイゼン機構(EKI)を設立。JICA の支援を受けて、2011年から3年間、カイゼン活動を民間企業等へ普及させる仕組み作りについての能力開発プロジェクトを実施した。このプロジェクトの目標は、カイゼンを民間企業に持続的に普及する体制を確立させることだが、これが可能と評

価され、実際に EKI が主体となって、基礎的なカイゼンの技術を中心とした独自のカイゼン指導が展開されるようになった。EKI のスタッフは10倍(!)に増員され、国内のカイゼン需要も高まり、EKI 自身のマネージメント能力の強化や課題解決のための経営戦略等、より高度なカイゼン技術の習得や、民間企業へのカイゼン普及のための指導の質の確保が必要になってきた。うれしい悲鳴である。EKI の本部事務所は、エチオピア政府の庁舎に間借りしているが、現在、独立のビルを日本の支援で建設中。

●メレス首相は何を望んでいたのか。以前から、欧米ではなく、日本やアジアの開発 モデルを研究し、自国の開発モデルとして取り込んでいきたい、という思いは理解 していた。日本の戦後復興の奇跡は、経済復興それ自体がミラクルで起きたのでは なく、日本人には以前から持っている勤勉さや労働に対する一人一人の倫理観があ り、それを常時維持することの大切さを真に理解しているから成し得たのである。 それを学ぶことができるプロジェクトをエチオピアでも実施することが必要であり、その上で、日本がどういった産業政策を行なっているか、日本の専門家と協議する 機会を設けたい、ということなのだろう。
労働倫理については、「カイゼン・プロジェクト」としてプロジェクト化された。メレス首相の感覚的にもピンとくるネーミングである。
カイゼンの超基礎編では、工具を使ったら必ず定位置に戻す、革靴作りの現場で、業務終了後は不要な皮革の切り屑は捨てる等して自分の作業周辺は清掃してから帰宅する、こういったことから学ぶ。これがいずれ生産性の向上に繋がり、会社の利益に反映されれば、自分たちの賃金の上昇にも繋がることを理解するのは容易ではない。特に中長期的な効果というものは、体感できにくいし、長期雇用の計画もなければ、そもそも必要性を感じないかもしれない。感じなければやらなくなる。いや、始まりさえしないだろう。それをやらせるのは現場監督、工場長の仕事だが、彼らもそれを本当に理解しなければ、従業員たちに正しく指導することはできない。カイゼンは、単なるツールではなく、哲学でもあることを理解してもらうことが不可欠である。同時に始まった産業政策対話の中で議論されたことの幾つかは、実際に政策として実現されたものもあり、大変有意義な集中協議の機会となった。加えて、ハイレベル・フォーラムや政府、企業、大学、他のパートナー諸国ともそれぞれ個別の協議機会が設けられた。

●アフリカ全体への展開
2016年、ケニアのナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)で採択された「ナイロビ実施計画」の「3.民間セクターと人材育成」の項の最初に、「生産性の向上、製造における基準の向上及び質の管理の確保により、労働者に対しカイゼン等の効率的な働き方を導入する」という一文が入った。これを踏まえて、2017年4月に、JICA と NEPAD との間で、「アフリカ・カイゼン・イニシアティブ」に関する合意文書が署名された。2027年を年限として、①産業化と経済構造転換の促進、②まっとうな仕事(Decent Work)と雇用の創出、③競争力のある革新的な(innovative)人材開発を基本方針として、(a)政策レベルでの啓発、(b)Center of Excellence の整備、(c)カイゼン活動の標準化、(d)ネットワーク化によりカイゼンを通じたアフリカ産業の振興、を目指すこととなった。
コロナ禍の中での AU 代表部の働き方改革の一環として、カイゼンを導入することとなった。カイゼンの哲学を学び直す良い機会である。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

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