「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第19回 挨拶のインテリジェンス

●挨拶は世界を平和にする
外国語会話の勉強を始める時、最初に覚える言葉は挨拶「こんにちは」だろう。英語では「ハロー(hello)」、フランス語では「ボンジュール(bonjour)」というように。
挨拶は会話の基本、いや人間関係の基本と言えよう。挨拶は、初対面の他人同士が関係を構築する扉を開く魔法の手続きである。また、既知の相手でも、挨拶ひとつでお互いの精神状態や体調が分かることもある。ケンカした後に、関係を再構築するきっかけを作る力もある。そして、時には無難に思われる言葉のやりとりの合間に相手との距離感を見極めながら、駆け引きをする。単純な一連のフレーズの中 に、様々な意図やメッセージが込められ、それを解読し合う。それが挨拶だ。と書くと、そんなに難しく考えながら挨拶をする人はいない、と反論があるかもしれない。しかし、何気なく発している「こんにちは」「ごきげんよう」のやりとりで、世界中の人同士が良好な関係を構築し、維持し、発展させているのではないだろうか。時に、それが個人や社会間の争いを避け、解決し、平和を形作っていくかもしれない。挨拶に笑顔が伴うと、更に効果が倍増する。

●まずは笑顔と「こんにちは」
外国に行くと、自分はその社会に突然来た異質な存在になる。まずはその社会に受け入れられる必要がある。その時に必要なのが、挨拶と笑顔である。最初は不審な顔で見られる。時には恐怖さえ感じることもある。無理もない、相手はこちらを警戒しているのだ。その時、思い切ってニコッと笑ってみよう。手を挙げて、現地の言葉で「こんにちは」と言ってみよう。相手も笑い、「こんにちは」と返してくれるだろう。笑顔は敵意がない証拠だし、下手くそでも頑張って彼らの言葉で挨拶すると、彼らも安心するだろう。また、笑顔や挨拶は、投げかけられると無意識に相手に返してしまうものだ。このやりとりが一往復できれば、お互いの存在を認め合ったことになる。
ここまでが第一歩。しかし大きな一歩である。そしてここからが、インテリジェンスの始まりだ。

●「あなた」から「共和国」まで元気か?
日本の結婚式の来賓挨拶で、「挨拶は短く、幸せは長く」と言って締めくくる場面にしばしば出くわす。だが、アフリカでは挨拶が長いことが良くある。特に親しい間柄だとそうだ。コートジボワール在勤中、この長い挨拶を知った。
「やあ、元気か?」「元気だよ。君は?」「元気だよ。君の奥さんは?」「元気だよ。君の奥さんは?」「元気。ありがとう。」
ここから、お互いの子女、両親、兄弟、共通の友人等の息災を確認する質問のやりとりが延々と続いていく。
これを別のアフリカの国の人に話したところ、そんなもんじゃない、自分の国ではもっと長く続くことがある、と言って、ロングバージョンを教えてくれた。それ は、以上の登場人物に加え、仕事、週末、健康、そして大統領、更には国家の調子を伺うまでに広がっていった。「(お前の)共和国は元気か?」と。
そこまで続くか?と驚いた。
ケースバイケースで長短はあるが、まずお互いとその周囲の無事を確かめ合うことが、個人同士、地域社会同士、ひいては国同士の調和を保つためにも必要なのだろう。しかも、それは自然なリズムと間合いで行われる。
アフリカでは、挨拶が長い方が幸せも長く続くのかもしれない。

●儲かりまっか?
同じく、西アフリカで。仏語での仲間同士の挨拶に、「サヴァ?(Ça va ?)」というのがある。「元気?」という感じだ。聞かれた方も、「Oui, ça va(うん、元気)」と応えるのが一般的だ。ところが、地元の人同士のやりとりを聞いていると、少し異なるバージョンがあるのに気づいた。「Ça va ?」に対し、「Ça va un peu」と答えているケースが結構ある。「un peu」は「少し(a little)」の意味なので、「少し元気」ということだが、これでは余り元気が良さそうには聞こえない。中には、「Ça va」を省略して、「un peu」だけ答えることもある。すなわち、「元気?」「少し」というやりとりだ。元気が少しなら、「風邪でも引いているのかい?」と心配しても良さそうだが、そんな様子もない。
この謎を解くために方々に聞いて回ったが、彼らにとって当たり前すぎるこのやりとりの理由を説明する術など、彼らにはない。もう長年の習慣なのだ、ということで納得するしかなかろう。諦めかけたとき、その解を与えてくれた人がいた。
「un peu」を付けるのは、「経済的に良い」ことを指す、というのだ。
つまり、「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」の「ぼちぼち」に該当するのだろう。なんだ、日本人も知っている挨拶ではないか。言われてみれば納得。

●何事も、まずは「ボンジュール」から始めるべし
恥ずかしながら、筆者が駆け出しの頃の失敗談を紹介する。最初の勤務地のコートジボワールで、ちょっとした交渉を任されたときのこと。こちらから先方のオフィスに出かけて行き、日本の立場を相手に認めてもらう必要があった。事前に頭の整理をして、論法も考えて、いざ敵陣へ!(敵陣、と身構えたところからして良くなかったのだが。)
先方のオフィスに着くや否や、出迎えた相手と握手を交わし、いきなり要件を切り出した。予め、来訪の目的は伝えてあったし、こちらの立場も大体相手には分かっていた。そういう状況で、筆者は一気にまくし立てたのだ。「とにかく行って何とかして来い」という上司からの指示を受け、二十代後半の青二才が、アフリカの百戦錬磨の外務省の局長相手に対峙した。
先方は一体どんな顔をして筆者の説明を聞いていたのだろうか。話し終えた筆者に対し、先方は言った。「用件は分かった。だが若者よ、まずボンジュールだろう。」この時、筆者はきっと情けない顔をしていたに違いない。先方の言うとおりだ。私は人間としての根本的なミスを犯したのだ。そして、フランス留学中の事を思い出した。

ホストファミリーのマダムが運転する車に乗って日帰り旅行に行った時、郊外の標識も無い所で道に迷った。マダムが通りがかりの人に道を聞いた。
「○○に行くにはどっち?」
相手の説明では、あっちだということが分かり、その方向に暫く進んだが、どうも違っていたようだ。マダムが「あの人は不親切ね」と呟いた時、同乗していた息子が言った。
「ママン(お母さん)が初めにボンジュールと言わなかったからだよ」
挨拶なく、ぶしつけに道を聞いたこっちが悪い、ということだろう。フランス人同士でもこの様なことが起きるんだなぁ。

アフリカでの最初の交渉は、相手が良識のある立派な方だったこともあり、こちら側の立場を理解してもらい、胸を撫で下ろして帰ることができた。でなければ、きっと失敗していただろう。この時の失敗、いや失態は忘れない。どんなに急いでいても、まず、挨拶。

●道を貰えないと家に帰れない!
これもコートジボワールにいた時のこと。地方に小規模の学校や診療所等を建てる支援を行う業務に携わっていたため、頻繁に地方に出張していた。時には道なき道を四輪駆動車で進み、電気も電話もない村に行き、地元住民や NGO 関係者と協力しながらプロジェクトを実施する。本当に支援を必要とする人々に直接裨益(ひえき)する。1つ1つの案件単価は少額でも、裨益効果は高い。
電話のない村との連絡は、その村に一番近い町の電話局にこちらから電話して、目的の村まで伝令を走らせて伝言してもらう。「何月何日の何時頃に行くので、その時に打ち合わせをしよう。現場視察をしたい」というように。これで連絡がつくのか、正直心許ないが、案外うまくいく。失敗したことも、もちろんあったが。
現地に着くと、物珍しげに出てきた村人たちと共に、現場責任者が出迎えてくれ る。着いたら早速現場に直行!ではない。まずは、村の長老に挨拶だ。村の中心に日陰を作る大樹の下に集まり、旅の報告を行う。村の青年が仏語と現地語の通訳を務めてくれる。この儀式のようなやりとりを経て、漸く作業を行う許可が長老から下る。

ひと仕事終えて、さてそろそろ帰路につこうとするが、そう簡単にはいかない。まず、食事に呼ばれる。彼らとしては、お客をもてなすのが礼儀である。どんなに急いでいても、これは受けない訳にはいかない。しかし、一旦受けると、これが長時間に及ぶ。食事後に帰ろうとするが、長老に挨拶をしてからでなければ帰ることはできない。ところが、長老は昼寝中だという。長老の休息を、村人の誰も遮ることはできない。従って、長老が目覚めるまで待たなければならない。帰りの時間が気になり始める。きっと途中で陽が落ちて真っ暗になる。日本製の四輪駆動車とはいえ、暗闇の未舗装のデコボコ道を走るのは容易ではない。などなど、心配しても無駄である。とにかく待つしかない。そして、漸く長老が出てきた。村に到着したときと同じような形で作業の報告を行い、辞去の挨拶をする。
「なんだ、今日はうちの村に泊まっていかないのか?」
ええーっ、とこっちが驚く。村人も、そうだそうだ、泊まっていけ、と長老に同調する。しばしやりとりの後、漸く理解を得られる。
コートジボワールでは、このときに「(帰りの)道を下さい」とお願いするのが慣わしだ。しかし、「まだ良いじゃないか」と再び引き留められる。結局、3回お願いしなければならない。
遂に、「では、道をあげよう」と言って、帰ることが許される。このとき、大都市アビジャンなどでは、少し気の利いたアレンジが加わることがある。

「分かった。道は既に求められたので、半分あげよう。」
これは、次に再訪することができるために、半分はキープしておく、という意味だ。
同じ西アフリカでも、これが通用する国としない国があるのも面白い。そして、筆者がこの話を中東出身の知人に話したところ、同じ挨拶の習慣があることが分かった。まだまだ、調べていけばいろいろと楽しいことが分かりそうだが、今回はこのくらいで失礼させていただく。また戻ってくるので、道を半分頂ければ幸い。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)


(笑顔で挨拶をすれば、仲良くなれる! 筆者撮影)

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