「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第18回 「新しい花」という名の町(アディスアベバの誕生と現在)(後半)

●アディスアベバを繁栄させたユーカリの木々
エントット山が首都にするには適さなかった更なる理由は、燃料として使用できる木が少なかったことである。首都として、人々の活動を支え、産業を振興させるには、十分なエネルギー源が必要である。アディスアベバに首都を構えても、木材は不十分だった。さて、皇帝はどうしたか?
メネリクは、燃料として切り出す木材を確保するために、ユーカリの木を豪州から大量輸入するという、国家の大プロジェクトを敢行したのだ。ユーカリは、美容と健康にも良いとされるユーカリオイルが得られることでも知られるとおり、油分を含むため、しっかり乾燥させると薪としてよく燃えるそうだ。また生命力が強いので、地中から水をグングン吸い上げてドンドン成長する。このユーカリの木はエントット山とアディスアベバ市内に植えられた。植林を完成させたのは、次の皇帝ハイレセラシエ1世になってからと言われている。
切り出した木材は、まずは燃料として活用されるが、当時は建築材にもなったそうだ。ユーカリの木は長く真っ直ぐで、しなやかで強いため、現在は、建築時の足場として組まれることが多い。


(工事現場の足場。昨今の建築ラッシュで高需要。筆者撮影)

●ユーカリよ、泣かないで
皇帝2代に亘って行われた植林努力によって、今ではエントット山は青々としたユーカリに覆われている。エントットの山頂までユーカリ林の山道を車で登っていくと、ここがしばしば「アディスアベバの肺」と呼ばれるのが良く分かる。また、アディスアベバ市内の主要道路の街路樹にもユーカリが多く使用されている。
しかし、人口が増え都市化が進み、市内の空気汚染は深刻な問題となった。10数年前、エチオピア在勤中の日本大使が地元の新聞に「ユーカリ並木が泣いている」と題する投稿を行った。ジャスの名盤「柳よ、泣いておくれ(Willow Weep for Me)」に因んだのかもしれないが、あの時既に、アディスアベバは深呼吸を必要としていた。

●大規模な緑化計画
当時の日本大使の叫びが漸く届いたのだろうか。2018年4月にエチオピアの首相に就任したアビィ首相は、代表的な政策の1つとして、全国緑化計画(Green Legacy Project と呼ばれる)を敢行した。エチオピアのエコ・ツーリズムを促進すると共に、気候変動に効果的に対応するのが狙いである。そのため、2022年までに、200億本(!)の植林が計画されている。
2019年の第1回植林キャンペーンは、6月から8月末までの雨季の期間に行われた。中でも7月29日には、1日で何と3億5400本と、政府目標の2億本をゆうに超える記録を達成したことから、この日は緑化偉業の日(Green Legacy Day) と呼ばれている。しかし、政府関係者総出でこのキャンペーンに参加したため、この日の殆どの政府関係機関は空っぽだったと言われている。政府の職員だけではなく、一般のエチオピアの老若男女を含め、全国の2000万人以上が参加したと言われている。植樹後も手入れが行き届き、その80%以上が無事に育っているという。この大プロジェクトを支えるのは国内に2万4000以上ある苗木業者である。商売繁盛、さぞや忙しくしていることだろう。また、高品質な木を育てるための種子の研究も進められている。植林は、2019年には40億本超、翌年の20年には50 億本もの苗木が植えられたと言われている。メネリク2世、ハイレセラシエ1世の悲願は、21世紀になっても見事に受け継がれている。

●写真で見るビフォー&アフター
10数年でこの違い。本当に同じ町か?と疑いたくなる程の変わり様。目抜き通りがこのとおり。高層ビルや舗装道路が街を覆い尽くす現在。家畜の大行列も(今でもあるにはあるが)めっきり少なくなった。下手な文章で説明するより、数枚の写真を見て頂いた方が、説得力がある。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

<ビフォー:2006年>

(上:アディスアベバ市中心の主要道路。 下:家畜の行列が通ると、車は一時停止。筆者撮影)

<アフター:2020年>


(高層ビルと渋滞は、首都の表情を変えたが、次の10年、20年後がどうなるか? 筆者撮影)

 

 

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