「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第15回 TICAD(進化し続けるメイド・イン・ジャパンのアフリカ開発フォーラム)(その3)

●AU 委員会(AUC)の TICAD 共催者入り
初の横浜開催で大成功を収めた TICADⅣが開催された2008年の1年前、共催者の1つであった GCA が解散した。ちょうどアフリカ連合(AU)の存在感が高まりつつある頃であった。アフリカのオーナーシップの精神に基づき、AU を TICAD により主体的に関連づける考えが高まり、共催者としての参加を日本から AU に提案することとなった。筆者がアディスアベバの日本大使館に勤務していた時のことである。東京の外務本省からの指示を受けて、大使に同行して AU 委員会のコナレ委員長(当時)に面会を申し込み、そのことを持ちかけた。
「大変ありがたいニュースだ」とコナレ委員長は喜び、文書で提案して欲しいと述べた。早速書面でその旨を申し入れたところ、その回答として、「AU としては、AU 委員会(Commission of the African Unon : AUC)を共催者として提示する」との返事が来た。AUC は、AU の事務局機能を担う機関である。コナレ委員長は、そのトップであり、自らが TICAD の運営に関与しようという強い思いもあったのだろう。こうして、2010年夏、AUC が TICAD 共催者の一員となった。現在、TICAD 共催者は、日本、国連アフリカ担当事務総長特別顧問室(UN/OSAA)、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、そして AUC の5つである。

●TICADⅤ
TICADⅤは、2013年6月に横浜で開催された。開催地は、再び横浜となった。基本メッセージは「躍動するアフリカと手を携えて」で、主要テーマは「強固で持続可能な経済」、「包摂的で強靱な社会」、「平和と安定」の3点。また、民間セクター主導による成長の重要性を反映して、アフリカの首脳と日本の企業の代表が直接対話を行うセッションが初めて実施された。39名の国家元首・首脳級を含むアフリカ51か国、31か国の開発パートナー諸国及びアジア諸国、多数の国際機関・地域機関の代表及び民間セクターや NGO 等の代表者等を合わせて、4500 名以上が参加。日本が主導する最大規模の国際会議となった。TICADⅠが開催されたのが1993年なので、今回会合で、20周年を迎えたことになる。成人として独り立ちをしていく記念すべき第5回である。

●TICADⅤの成果
満20歳を迎えた TICAD の成果物は、「横浜宣言2013」にまとめられ、その具体的取組を示すロードマップである「横浜行動計画2013-2017」が発出された。「横浜宣言」では、アフリカ自身の取組の支援や、女性・若者のエンパワーメント、人間の安全保障の促進を重視すべきとしている。加えて、民間セクター主導の成長促進、保健システムの強化や教育機会の拡大が述べられている。また、日本政府からは、今後5年間で ODA1.4兆円と、これを含む官民で最大3.2 兆円規模となるアフリカ支援策が発表された。

●マラソン会談
TICAD の重要な側面の1つとして、日本の総理大臣や外相とアフリカの首脳・閣僚が個別に会談する機会が持てることが挙げられる。TICADⅤでは、安倍総理(当 時)は、出席した39か国全ての首脳級参加者を含む計56名と個別の会談を行 い、加えて、アフリカ全ての首脳との晩餐会を行った。岸田外務大臣(当時)も、30名以上の閣僚や国際機関の代表とそれぞれ会談を行った。我々はこれを「マラソン会談」と呼んだ。アフリカの指導者が日本の総理大臣や外務大臣と個別に会談する機会は頻繁にある訳ではないが、TICAD ではそれを確保することができる。総理大臣は日本の代表として、会議に出席し、議長を務め、晩餐会に出席する。またサイドイベントへ参加したり、企業の展示ブースを視察したりと大忙しである。そのような過密スケジュールの中で多数の二国間首脳会談をこなす。そのための会談のアレンジは、周到な方法で実施される必要があった。2つ先の会談予定の首脳が常にスタンバイし、次々に入れ替わっていく。我々はこれを「回転ドア方式」と呼んでいた。筆者は、総理リエゾン(側近連絡係)として全日程に同行し、この「回転ドア」の管理も行った。

●盛りだくさんなイベント
TICADⅤの機会に、第2回野口英世アフリカ賞の授賞式と記念晩餐会が天皇・皇后両陛下御臨席の下行われた。また、アフリカ各国首脳配偶者等を対象として、HIV/エイズに関する国際シンポジウムが開催された、更に、人間の安全保障シンポジウムや国連安保理改革に関する会合も開催された。TICAD の本会議の周辺で、46 の公式サイドイベント、各種のセミナーやシンポジウムが行われ、特に、NGO 等の市民社会が果たす役割の大きさが印象づけられた。

●TICADⅥ(初のアフリカ大陸での開催へ)
TICAD はアフリカのオーナーシップの重要性を謳っている。AU 委員会(AUC)が共催者の仲間入りをしたのも、オーナーシップへの尊重の証である。そのアフリカから、TICAD のあり方に注文がついた。「5年に1度は間が空きすぎる、3年に1 度にできないか。他のパートナーシップ会合は大抵3年に1回の頻度で行っているではないか。」それから、「アフリカの開発のための会合であるなら、日本ばかりではなく、アフリカでも開催すべきである。」という2点である。この頃は、EU、アラブ世界、中国、韓国、トルコ、インド等の沢山のパートナーとの会合が立ち上がっていて、アフリカ(AU)側は、こうした様々な枠組みの比較を行っているところだった。パートナーシップの元祖である TICAD も、アップデートが必要となっていた。
2014年、安倍総理(当時)がアフリカ3か国(コートジボワール、モザンビーク、エチオピア)を訪問した際、次回 TICAD 会合をアフリカで開催すべきというアフリカの声に応える考えを表明した。その後、アフリカ内の調整を経て、201 6年2月1日の官房長官記者会見において、同年8月の TICADⅥをケニアのナイロビで開催することが発表された。2013年の TICADⅤから3年後に開催する、すなわち、アフリカの声に応え、3年に1度の頻度で開催することとなった。

●TICADⅥの主要課題
習慣を変更する際には、多少の不都合や混乱が生じる。新しい流れが軌道に乗るまでは、移行期間が必要となる。しかし、それが待ったなしに起きたのが、TICADⅥ に向けた準備であった。TICADⅤで採択された横浜宣言と行動計画に基づく5年間の着実な計画の実施が求められる中で、その中間地点である3年目に新たな TICAD を開催する。TICADⅤで約束し、既に実施中の5か年計画と、新たなコミットメントの関係はどうなるのか。
初のアフリカ開催となった TICADⅥの成果文書として採択された「ナイロビ宣言」では、①経済の多角化・産業化を通じた経済の構造改革、②質の高い生活のための強靱な保健システムの促進、③繁栄の共有のための社会安定化の促進、が優先課題と位置づけられた。これらは、TICADⅤの成果物である横浜宣言で述べている課題に更に付加価値を付けた内容となっている。横浜宣言採択以降にアフリカと世界が直面する課題として、国際資源価格の下落、エボラ出血熱の流行、暴力的過激主義(ボコハラムやサヘル地域のイスラム過激主義等)の頻発があった。よって、①については、質の高いインフラへの投資、民間セクターの開発そして人材育成に力を入れ、②では、公衆衛生上の危機への対応能力強化やユニバーサル・ヘルス・カバ

レッジ(UHC)の推進に取り組み、③のために、若者や女性のエンパワーメント、平和構築、暴力的過激主義対策、気候変動、海洋安全保障等への取組の重要性を説いた。
なお、TICADⅥ開始の約1か月前の2016年7月、筆者は TICAD 事務局にいて、ナイロビ会合への準備は大詰めを迎えていた。そのとき、南スーダンの首都で黒煙が上がったとの報告を受けた。南スーダン政府と反政府勢力との衝突が始まったのだ。それから在留邦人の退避等の作業が始まった。TICAD の準備と南スーダン情勢への対応で怒濤の日が過ぎていったのを記憶している。平和と安定が国の開発や経済成長の前提条件であることが、TICAD 直前に説得力をもって皆に語りかけたことだろう。
TICADⅥ開幕にあたり、安倍総理から、3年間で官民総額300億ドルの質の高いインフラ整備、保健システム構築、平和と安定の基盤作り、人材育成等、アフリカの未来に向けた投資が表明された。
また、次の第7回 TICAD を2019年に日本で開催することが宣言に明記され、TICAD が3年毎に日本とアフリカで交互に開催されるルールに沿ったものとなった。
TICAD の機会に開催されてきた野口英世アフリカ賞授賞式は、今回はなく、第3回授章式は2019年の第7回 TICAD で開催された。

●ますます先駆的なフォーラム
冷戦直後にアフリカとのパートナーシップを呼びかけ、日本とアフリカだけではなく、国際社会をフルに巻き込み、また政府のみならず、市民社会やビジネスへ開放し、アフリカのオーナーシップを尊重して、歩みを進めてきた TICAD は、まさに時代を先取りしたフォーラムだと言えよう。このナイロビ宣言の中でも、例えば課題③の中で、気候変動や海上安全保障に言及しているところは、TICAD の先駆的な特徴が象徴的に現れていると思われる。気候変動が地域の平和と安定に密接に関係し、気候安全保障(climate security)と呼ばれるようになったが、ナイロビ会合ではそうした議論が展開されていたのである。また、海賊対策を中心に海上安全保障は以前から言われていたことではあるが、日本が推進している「自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific : FOIP)」が、TICAD という国際会議の場で言及され、アフリカの首脳たちに留意されたことは特筆すべきと考える。TICADⅥの開会挨拶で、安倍総理が述べた関連部分と、ナイロビ宣言の中で独立したパラとして明記された海上安全保障に関する部分を紹介して、この回を閉じることにしたい。次回は、TICAD7とその先について述べたい。

●安倍総理による TICADⅥ開会挨拶(関連部分抜粋)
「アジアの海とインド洋を越え、ナイロビに来ると、アジアとアフリカをつなぐのは、海の道だとよくわかります。世界に安定、繁栄を与えるのは、自由で開かれた2つの大洋、2つの大陸の結合が生む、偉大な躍動にほかなりません。日本は、太平洋とインド洋、アジアとアフリカの交わりを、力や威圧と無縁で、自由と、法の支配、市場経済を重んじる場として育て、豊かにする責任をにないます。両大陸をつなぐ海を、平和な、ルールの支配する海とするため、アフリカの皆さまと一緒に働きたい。それが日本の願いです。大洋を渡る風は、わたしたちの目を未来に向けます。サプライ・チェーンはもう、アジアとアフリカに、あたかも巨大な橋を架け、産業の知恵を伝えつつある。アジアはいまや、他のどこより多く、民主主義人口を抱えています。」

●ナイロビ宣言(関連部分抜粋)
「3.3 ピラー3:繁栄の共有のための社会安定化促進
3.3.4 海洋安全保障
我々は、海賊、違法漁業及びその他の海上犯罪を含む海洋安全保障に関する地域的及び国際的な取組を促進すること、及び海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)に反映された国際法の原則に基づく、ルールを基礎とした海洋秩序を維持することの重要性を強調する。我々は、また、海洋に関する国際法に従い、アフリカ統合海洋戦略(AIM 戦略 2050) に反映された、国際的及び地域的な協力を通じて、海洋安全保障及び海上安全を強化することの重要性を強調する。」

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

(右下:TICADⅥロゴ。TICAD の C に日の丸。海色の手で地球を抱き、中心にアフリカ、ナイロビの位置に日本国旗。ケニアで公募し、複数の候補作品の中から5共催者が決定。)

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(TICADⅥ集合写真。外務省 HP)

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