「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第6回 エチオピアについて(その歴史と文化からの、幾つかの拾い話)(続き)

●独特なカレンダー(エチオピア暦)
エチオピア国民の多くは、東方正教会の流れをくむエチオピア正教会に属する敬虔なキリスト教徒。カトリック、プロテスタント、そしてイスラム教の信者も増えているが、それでも、エチオピア正教会の影響は依然として強い。
エチオピア正教は、333年、アクスム王国で信仰が始まったといわれ、5世紀にはエジプトのコプト教会の傘下に入った。帝国時代は国教とされたが、今では政教分離となっている。暦の数え方が旧暦に倣っているのも、正教会の影響だ。すなわち、我々が普段使っている西暦(グレゴリウス暦)と約7年のズレが生じている。これはユリウス暦とほぼ同じだが、4年に1度の閏年を計算に含めるので、コプト暦と同じと考えるのが正確である(以後、特段の断りがなければ、年の表記はグレゴリウス暦)。例えば、筆者がこれを書いているのは2021年7月だが、エチオピア歴では、まだ2013年である。

●新年はいつ始まる?
我々の西暦とエチオピア暦のズレが「約7年」と書いた理由は、1年の始まりが1月1日ではないからだ。エチオピア暦では、9月11日から一年が始まる。閏年の場合は、一日ズレて9月12日となる。9月11日と聞いて、9.11の同時多発テロを思い出す人もいるだろう。笑えないエピソードとして、まさに世界貿易センターが攻撃された日、在米エチオピア人が数人で新年を祝っていたところに、米国当局が踏み込んできた、というニュースがあった。もちろん、彼らはテロとは無関係で、誤認捜査だった。
当然ながら、エチオピア人にとって、9月11日は重要な年の節目で、祝日。逆に、1月1日は平日。エチオピア在住の日本人には少し物足りないお正月である。同様に、日本在住のエチオピア人にとって、日本の9月11日は物足りないに違いない。

●今日は何月?
更に不思議は、月の数え方である。エチオピアの1年は、我々と同じ365日だが、13か月から成る。1か月は30日きっかり。すなわち、5日分の端数(閏年は6日)が生じることになる。これが13か月目に数えられる。つまり、13番目の月だけ異

常に短いことになる。月にはそれぞれに名前が付いている。これもコプト暦と同様である。
何だか不思議な習慣だなと思ったりもするが、日本だって元号があり、昔は旧暦を採用し、また月の名称も睦月から師走まであったではないか。
しかしながら、月の編成まで異なると、日常生活も少し難しくなる。卑近な例で恐縮ながら、クリーニングを出して、控えの紙をもらっても、そこに書かれている受取日がいつなのか。現地の人に見せると、「来週の水曜日」などと教えてくれる。万が一、相手の言うことが間違っていても、それが分からず、従うしかない。

●今何時?
これだけではない。何と、1日が始まる時間もズレているのだ。エチオピアの1日は24時間だが、その中に、2種類の時間がある。エチオピア時間は、世界標準時(GMT)プラス3時間なので、日本との時差は6時間。しかし、現地の人は、我々の時間で午前6時になった時が1日の始まりなのだ。つまり、6時間ズレている。彼らの時計の針は、本当にそのようになっている。よって、現地の人と約束を交わす際には、「ヨーロッパ時間で何時、つまりローカルタイム(エチオピア時間)で何時」とダブルに確認する必要があった。それでも以前、私が住んでいた家の大家さんとのアポが成立しないことが何度もあった。家に通いで来ていたお手伝いさんに対しては、「明日朝8時に来てね」と言う場合、「2時(twoo’clock)」と伝えていた。
なぜ6時間のズレがあるのか。それは、朝日が昇る時間(午前6時前後)が1日の始まりだからだ。なるほど、その方が人間本来の行動から理にかなっている気がする。因みに、これを、当地に来て驚いたことの1つとして話したら、そこにいたケニア人が、「ああ、それならうちの田舎もそうだよ」と。2度ビックリ。

●2回目のミレニアムはエチオピアで
西暦2000年、世界中がミレニアムを祝った。次はあと1000年後か、と普通は考える。しかし、筆者はミレニアムをもう1回経験した。エチオピア暦では2007年が「2000年」のミレニアムであり、特に「元日」を迎える9月には大きな盛り上がりを見せた。2000年にコンピューターが狂って世界に混乱を来す、というコンピューター2000年問題(Y2K)があったのを覚えているだろうか。エチオピアでは、Y2K問題がこの時に起きるかもしれない、と懸念するニュースが流れた。天災は忘れた頃にやって来る、というが、幸いなことに何も起きなかった。
このエチオピア・ミレニアムに合わせて、当時住んでいた自宅の目の前に、組み立て式の巨大なイベント会場「ミレニアム・ホール」が建設された。これを持ってきたの

は、当時のアフリカ長者番付1位の富豪、サウジアラビア系エチオピア人の事業家、アラムディ氏。ミレニアム記念に、世界的に有名な歌姫のビヨンセやリアーナが来て、このホールでヒットナンバーを熱唱したのは、アラムディ氏の力技によるものだろう。ミレニアムが終わると、3か月後に解体されて、別の国のイベントに使われる、と聞いていたが、10年以上経って再び筆者がエチオピアに赴任した今でも、このホールはここに残っていて、各種イベントが開催されていた。コロナ禍の現在、このホールには1000台の病床が敷き詰められている。
ミレニアムを2回祝うのは良いとしても、年齢を7歳誤魔化したり、6時間の大遅刻の言い訳に、エチオピア暦・時間を使うといった、悪質なことを考えてはいけません。

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)


(上:ミレニアム・ホールのビフォー&アフター。夜中にはハイエナが来ていた広大な更地がミレニアム・ホールに大変身! 筆者撮影)

(下:エチオピア・ミレニアム後は、各種イベントに使用されてきたが、現在はコロナ対策用施設になっている。ミレニアム・ホールSNSより)

 

 

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