「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第5回 エチオピアについて(その歴史と文化からの拾い話)

●アムハラ語
エチオピアには、多数の民族と言語があるが、公用語は、アムハラ語という日本人には余り馴染みがない言語。アフロ・アジア語族セム語派に属する。アフリカの言語には珍しく独自の文字を有する。不勉強な筆者はアムハラ語が書けないので、インターネットの翻訳機能の助けを借りて試しに「Africa」をアムハラ語で書くと、「አፍሪካ」と表記される。当地で売られている「ママ牛乳」のパッケージには、「ማማ」と書かれており、「ማ」が「ma」の表記だと分かる。筆者が唯一読めるアムハラ文字である。なお、公用語とは別に、作業言語として英語が指定されており、小学校から英語を勉強する。高等教育では、英語だけの授業もあるのだそうだ。
日本語の発音とよく似たアムハラ語でほぼ真逆の意味を持つ単語がある。例えばレストランで食事をするとき、東京でサラリーマン生活にどっぷり浸かった筆者は、席に着いた途端にメニューを見て、まずビールを注文し、ジョッキが来たタイミングで料理を注文、乾杯してビールの最初の喉越しを味わったところで1皿目が運ばれてくる、という小気味良い流れを求めたい性格である。しかしここではそうはいかない。むしろ彼らからすれば、この外国人は何て無駄に生き急いでいるのだろ う、と不憫に思っているのかもしれない。
筆者のようなせっかちな人種がこの時に良く使うのが「トロ、トロ」(急いで、の意味)。日本語だと、真逆の「ノンビリ」の意味に聞こえ、余りせかしているようには思われない。つい日本語で「早く来い!」とでも言おうものなら、相手は2度と来てくれなくなる。「コイ(koi)」とは、「stay」つまり動くな、の意味だから だ。外国語会話は、気持ちと勢いである程度通じるのだが、駄目なものはダメ。

●イスラエルとアラブの結婚(エチオピアの誕生)
エチオピアの誕生の歴史は、旧約聖書の列王記や、6世紀頃に書かれたと言われている年代記「ケブレ・ネガスト」(諸王の栄光の物語)に、神話タッチで描かれている。紀元前1000年頃、イスラエル王ソロモンと、イエメン・シリア辺りのアラビア一帯を治めていたシバの女王の子、メネリク1世が、母(シバ)の領土の一部(現在のエチオピア)を与えられ、初代国王として統治したのがエチオピアの始まりとされている。

賢王として知られていたソロモン王のイスラエルは当時、古代エジプトと度重なる戦争をしていた。戦争を有利に進めるため、アラビア一帯を治めていた女王マケダ(シバの女王)との同盟を求める。才色兼備な女王の誉れ高きマケダは、大規模な隊列を組み、イスラエルに入る。おそらく両者は初対面からビビッと来たのだろう。ソロモン王がマケダに、宮殿のものに手をつけないことを約束させるが、宴会の後、喉が渇いたシバの女王は宮殿の水瓶の水を飲んでしまう。約束違反をしたマケダをソロモンは咎め、自分に身を委ねさせ、2人は結ばれる。実際どうだったか、本当のところは分からないが、そんなこんなで、2人は男子(メネリク1世)を授かった。ここからエチオピア歴代の王による統治が繰り返されるが、それは世界史全般でも見られるような、天下取りの歴史である。
ところで、「エチオピア」とは、古代ギリシア語で「日に焼けた人々」を意味する「イティオプス」が訛ったものと言われている。エチオピア人の中には、自分の肌の色を「赤」と表現する人がいる。なるほど、イティオプスだな、と思った。

●「アーク」の秘密
古代イスラエルと言えば、旧約聖書に登場するモーゼの十戒を思い起こす人もいるだろう。十戒の石版を収めた「アーク」の秘宝を探し求める冒険アクション映画も有名だ。ソロモン王が保有していた「アーク」は現在、エチオピア北部のアクスム(古代アクスム王国として栄えた)にある(ということになっている)。元々はイスラエルにあったものが、どうやってエチオピアに移動したのか?
それは、初代エチオピア王メネリク1世が父ソロモンの目を盗んで持ち出したからだ。神話には、メネリク1世がドラ息子だったかは書かれていないが、ある日、メネリク1世が父ソロモンに会いにイスラエルに帰郷する。そして自国(エチオピ ア)へ帰る際に、アークは密かに運び出された。父が大事にしていた先祖代々伝わる家宝を、やんちゃ坊主が黙って実家から勝手に持って行ったパターン。しかし、家庭内のゴタゴタも、流石に賢王ソロモン一家の話ともなれば、極めて詩的に描写されている。無事にイスラエルを旅立ち、エチオピアに帰った我が子を見送った父ソロモンは、夜空に一筋の流れ星がイスラエルからエチオピアに向かって流れるのを見た。この瞬間、父は、息子がアークを運び出したことを悟る。泣ける話である。ケブレ・ネガストはアムハラ語で書かれたものだが、以前、アディスアベバ大学の教授が独自に英語訳したテキストを読ませて頂く機会があったため、その内容を知ることができた。これはその名のとおり、古代のみならず、歴代の王の話に加え、布教と共にアフリカに勢力範囲を伸ばした西洋との接点についても書かれている。

●現代の「アーク」
毎年1月19日には、「ティムカット」というキリスト教の祭(イエスが洗礼を受けたことを祝う)がエチオピアの全国各地で行われる。年に一度のこの祭の際に、くだんの「アーク」が大衆の面前に運び出される。とはいえ、アークは厳重に包まれ、神輿に乗せられているので、その中身の実物を拝むことはできない。この中に入っているのがそうだ、と言われれば、信じるしかない。
このアークを管理している聖職者は、生涯アークを守らなければなないそうだ。よって、その秘密は他の誰にも知られないシステムとなっている。なお、アークのレプリカは、「タボット」という箱に入れられ、全国の教会で保管されている。仏教の仏舎利を思い起こさせられる。

●エチオピアの国旗に込められた意味
エチオピアの国旗は19世紀末から現在まで、実に10回以上もの変遷を経てきたが、常に変わらないのは、緑、黄、赤の三色。三色の国旗は世界的にも多いが、この組み合わせは、エチオピアン・カラーと呼ばれることもある。
色の意味は、緑:肥沃な土地、黄:平和・民族・宗教の調和、赤:国土の防衛のために流された血、を意味する。
旗の中央には、国章(ナショナル・エンブレム)が置かれているが、帝政時代はここにユダヤの獅子(ライオン)が描かれていた。
現在の国旗が制定されたのは1996年。エチオピアンな3色はそのままで、国章には、光線を発している金色の五芒星(ごぼうせい)がデザインされている。
五芒星という言葉は余り馴染みがないかもしれないが、紀元前3000年頃の古代メソポタミアや古代エジプトの時代からあるとされている。日本では、陰陽道で魔除けとして用いられていたという。これは、ソロモン王の紋章が原型であると言われている。この星は、エチオピアの人々の結束と愛国心を表しているのだそうだ。因みに、五芒星に似たものとして、ユダヤ世界に関連するものに六芒星がある。これはダビデの星といわれ、イスラエルの国旗に用いられている。
国旗のデザインについては、国内世論でも賛否あるようだが、自国の象徴について議論が行われること自体は大変良いことではないだろうか。

(本エッセイは、AU 代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

(エチオピア国旗)

(エチオピア国旗)

(アムハラ語が読めなくても分かる?!筆者撮影)

(アムハラ語が読めなくても分かる?!筆者撮影)

(右下:ソロモン王とシバの女王の民芸品。ひっくり返すと印鑑になっている。筆者撮影)

(左上:アディスアベバ市の目抜き通りで行われたティムカットの行事。筆者撮影)

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