「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第4回 伝承と統計でみるコーヒーの世界とお茶のサスペンス

●少年カルディとヤギの大発見
世界的大発見のキッカケには、時には偶然の力も必要である。死海文書やラスコー洞窟の発見には、たまたま散策していた羊飼いの少年や、飼い犬を探して穴に落ちた少年のエピソードが語られる。コーヒーの発見にも、偶然のエピソードが関係するので、紹介したい。但し、諸説あり、また1つの説にもバージョンが枝分かれしていたりもするので注意が必要である。
遠い昔、エチオピアに住むヤギ飼いの少年カルディは、放牧中のヤギが興奮して飛び跳ねているのを見て近寄ると、木になる赤い 果実 を食べていた。不思議に思い、町の大人に相談したのだが、その実を食べた大人たちも興奮してきた。修道僧は、これは人間を惑わす悪魔の果実、燃やしてしまえと火に投げ入れた。すると豆がローストされて良い香りが漂ってき て更に良い気分に。これでは逆効果だと、慌てて水をかけて鎮火した。これがコーヒーの始まり。
後半は、少し出来過ぎな気もするが、こういうバージョンもある、ということ。覚醒作用があるため、修道僧たちが夜間の儀式を行う際に活用したとも言われている。

●元祖はどっち?
そもそもコーヒーの発症はエチオピアではなく、中東とする説もある。カルディの話は、 中東にあった話をエチオピア風に脚色したのだという人もいる。その証拠に、少年の名前カルディ(Kaldi)はアラブ風だ、との指摘もある。
コーヒーの語源についても説が分かれる。赤い実を 発見した 土地がエチオピア南部のカファ(Kaffa)だという説と、アラビア語でコーヒーを意味する(元々はワインのような香りのする飲料を意味する)カフア(qahwa)だとする説があり、少なくとも筆者には全く判断がつかない。
また、カルディが赤い実を 発見したのは13世紀とも言われるが、それ以前の9世紀末には、アラビアで既に医学的な使用をしていた記録もある らしい 。いや、カルディは6世紀だ、との主張もあり、「元祖」争いの決着は、専門家による論証がなされるまで静かに待ちたい。

●「国際コーヒーの日」
10月1日が国際コーヒーの日だと知ってる人はどのくらいいるだろうか。この日は、コーヒーとコーヒーに携わる人々に敬意を表し、祝う日として、国際コーヒー機関が2014年に制定した。なぜこの日がコーヒーの記念日なのかというと、世界最大のコーヒー生産国ブラジルの収穫・出荷のサイクルにより、10月1日から翌年の9月末までがコーヒーの1年度となっていて、その初日に当たるからだ。
実は、国際コーヒーの日が制定される30年も前から、日本はこの日をコーヒーの日と定めてきた。1983年、全日本コーヒー協会の決定によるものだが、その背景にはやはりブラジルのコーヒー年度が関係していた。日本は胸を張って、コーヒーの日制定の元祖と言えるだろう。

●世界のコーヒーランキング
世界のコーヒー生産量ランキングは、国際コーヒー機関の統計(2019年)で見ると、第1位ブラジル、それにベトナム、コロンビア、インドネシアが続き、コーヒー発祥 のエチオピアが第5位。この順位は過去数年同様だ。消費量は、圧倒的に多いEU(28か国が加盟)を除くと、米国、ブラジル、日本、インドネシア、ロシアがトップ5である。この数値から、ブラジルは、生産量も消費量も世界トップクラスのコーヒー大国だということが分かる。また、日本人が相当なコーヒー愛飲国民であることも確認された。この順位も過去数年間同様。
次に、1人当たりの消費量を見てみたい。統計は輸入国と輸出国で分かれているが、輸入国別でみると、第1位はノルウェー。少し意外だろうか。これに、スイス、 EU、米国、そして我らが日本と続く。ここでも日本は 上位入り。 輸出国別では、ブラジルが圧勝。コスタリア、ベネズエラ、エルサルバドルと続く。第9位のエチオピアを除き、トップ10は全て中南米が占めている。コーヒー発祥の地であるアフリカ(エチオピア) や中東 は、エチオピアの大健闘を除くと、正直パッとしない。日本だと、モカの他にもケニアやタンザニア(キリマンジャロ)といった東部アフリカ 産の豆が有名だし、コートジボワールを中心に西部アフリカ、また最近ではガボン、赤道ギニア、ルワンダ、ブルンジ、それにマラウイなどの中南部アフリカからの輸入も見られる。アジア、中東勢についても、生産・消費共に健闘しているインドネシアに加え、ベトナム、トルコなども日本では良く知られている。 有り難いことに、日本では、世界中のコーヒーが味わえる。

●お茶の話(「ティー」か 「チャイ」 か、それが問題だ!
コーヒーに続き、お 茶について、少し異なる視点でまとめたい。お茶は、日本や アジアの多くの国では「チャ」「チャイ」と呼ばれ、アルファベット表記で「C」から始まる(チャ:ch’a)。これが欧州に来ると、「T」表記に変わる(ティー、テ:Tea, thé等)。どこが「C」と「T」の境なのか。東洋と西洋、とザックリ分けることはできるが、実はそれぞれの地域でも混在していて、一概にそうとは言えない。
この問題意識は、列車でバックパッカーをした旅をまとめた小説に書かれていたのを筆者が学生時代に読んで興味を持ったことから始まった。そこに書かれてあるのは、お茶の表記が、東から西に移動するにつれて、「C」から「T」に変わるのだが、欧州ではスペインまで「T」なのに、 欧州西端のポルトガルだけは 何故か「C」である、という不思議。

●細部に宿るナゾ
「C」と「T」の棲み分けについて、主なところを見ると、「C」は、中国、日本、モンゴル、インド(一部「T」)、ロシア、トルコ、そしてポルトガル。中東(アラビア語)や、 筆者がいるエチオピア(アムハラ語)では「シャーイ(chay)」と発音されるが、これも「C」だ。
一方の「T」は、英国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、オランダといった欧州が中心だが、 アジアのインドネシアやマレーシアを含むマレー語地域や、スリランカでも T(teh)である。「C」の発音は、北方中国語や広東語に由来する。大航海時代前の交易ルート、つまり陸路を中心とするシルクロード経由でお茶が伝播した名残である。
「T」は、台湾語やその対岸のアモイ(厦門)語由来の「テ(またはデ)(tê)」に由来し、これが「C」に遅れて大航海時代に海路を中心とするルートで伝わったのだ。

●ナゾの正体は?
神秘の解明はここからだ。それには欧州列強による植民地化の歴史が関係する。大航海時代、オランダはジャワ島、台湾を植民地とし、貿易を盛んに行なっていた。このため、圧倒的に「C」が強いアジアにおいて、マレー語地域は、オランダが拠点を置いていた台湾語由来の「T」で表記された。
一方、オランダの貿易競争相手のポルトガルは、マカオを拠点とした。すなわち、マカオからお茶を運んだポルトガルでは、広東語由来の「C」表記が使われたのである。また、スリランカ(シンハラ語、タミル語)が「T」なのは、英国の植民地だったからである。

さて、もうお腹いっぱい。最後のシメは、コーヒー、紅茶、どちらにしますか?

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)


(イエメンのモカとエチオピアのカファの位置関係。Google map を基に筆者作成)


(ヤギ飼いの少年の名前のカフェ「Kaldiʼs Coffee」。アディスアベバでチェーン展開中。筆者撮影)

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