「アフリカ徒然草」( AU代表部員によるアフリカに因んだエッセイ)

第2回 袖すり合うも他生の縁(アフリカの諺について)

●アフリカが人類発祥の地であることは、科学的にも証明されている。エチオピアの国立博物館には、世界的に有名な、今から318万年前の化石人骨「ルーシー」(アウストラロピテクス・アファレンシス)が保管されている。彼女(ルーシーは女性)は、体長(身長)1メートル強、体重30㎏弱の(同類の中では)小柄な体格で、二足歩行をしていたことが分かっている。ルーシーの近くに幼児の化石が見つかったことから、ルーシー妊娠説や子連れ説(この化石は3歳児とも言われる)も流れたが、小さい方の化石は年代が異なるため、こうした説は恐らくは間違いとされている。因みに、ルーシーと命名されたのは、調査隊が大発見に酔いしれていた時に流れていたのが、ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」だったからと言われている。そこからどうやって命名に至ったかは、当時の調査団員たちがはしゃぎ過ぎていたために記録に残せていないそうだ。

●人類の源アフリカには、人間性(humanity)の豊かさがある。そして、沢山の教訓や英知を含んだ諺がある。日本人も共感できるものや万国共通のものも多い。全てを把握することは困難なので、幾つかの例を紹介したい。 もっとも、アフリカは広いので、ひとつの諺がどこでも通用する訳ではない。筆者も、話題として出したアフリカの諺の意味について、相手のアフリカ人に説明する羽目になり、複雑な思いをした経験もある。

「アフリカの水を飲んだものは、アフリカに戻る」
この諺(というか言い伝え)は、アフリカに足を踏み入れたことがある 人なら一度は聞いたことがあるだろう。そして、これには多くの人が共感するのではないだろうか。現地で生水を実際に飲むことは決しておススメできないが 、一度でもアフリカの水を飲む(アフリカに 関わる)と、その後も縁がある、ということだ。
筆者個人の経験から、これは「袖すり合うも、多生(他生)の縁」に近い感覚だろうと思う。また砂漠の民は、一度の出会いを大切にする(助け合い、 敵対しない)という。砂漠という厳しい条件下では、常に助け合いが必要であり、いつかどこかで再会する可能性があることを示唆しているものと思われる。

「山と山は出会わないが、人と人は出会う」
動かない山と違い、人と人は巡り会うことができる。良い諺だ。ところが、これと少し異なる趣旨で、この諺を使うこともあるようだ。すなわち、人と人はどこかで再び出会うのだから、相手の気分を害することのないよう気を付けなさい、という意味だ。生きるための知恵はこうして受け継がれていく。

「ヤギを川に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
土地によって、登場する動物が変わるのも合点がいく。「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」と全く同じコンセプトの諺が、アフリカに行くと、馬の代わりに「ヤギ(goat)」が登場する。チュニジアの砂漠を旅行した時のこと。オアシスに到着して一息入れた時に、現地ガイドがフランス語の口語表現の「vachement bien」(vachementは、英語の really/veryに相当する砕けた言い回し。すなわち、「マジ良い」とか「超良い」的な意味)は、ここ(砂漠のオアシス)では、「dromadairement bien」と言うのだ、と冗談を言った。
欧州からアフリカ・アラブ世界に行くと、牛(vache)がヒトコブラクダ(dromadaire)に化けた という話。

●他にも色々ある。 いずれも人生訓と言えるものばかり。
「愚か者は、川の深みを両足で確かめる」
趣旨は「石橋を叩いて渡る」に近いのだろうか。用心深く物事を行うべし、との戒め。
「はやく行きたければ1人で行け。遠くへ行くときは仲間と行け」
読んでそのままの意味。仲間の大切さ、そして協力していくことの大事さ。
「倒れた所ではなく、滑った所を見よ」
失敗そのものよりも、その原因を確かめよ。さもなくば、同じ間違いを繰り返すことになる。
「人生は霧か雲の如し」
アフリカ人は良く「人生は(とても)短い(life is (too) short)」と言う。だからもっと楽しもうと。

●最後に最近気になった諺。「手を洗う子供は、王様と食事ができるようになる」
前もって必要なことを身につけていれば、将来成功する、という趣旨のようだが、コロナ禍下にあっては、手洗いの重要性をもっと強調したい。王様との食事を夢見る以前に、食事の前に 手を洗うことは、我々にとって基本中の基本。手洗いが当たり前の習慣となって、この諺が消滅するか、あるいは前半部分が手洗い以外の何かに置き換わる日が早く来ることを願う。

●なお、冒頭部分に紹介した「アフリカの水を〜」の言い伝えは、ナイル川流域では地域色を伴い、「ナイルの水を飲んだものは、ナイルに帰る」と修正される。
筆者 は、エチオピア(ナイル)には2回来ている。 果たして 「二度あることは三度ある」 の だろうか?!

(AU代森本)

(本エッセイは、AU代表部員個人の見解を記したものであり、必ずしも当代表部または日本政府の立場を反映したものではありません。)

(一度その水を 飲んだら再び帰って来る?! アフリカの大地に恵みをもたらすナイル川(ブルーナイル)。南スーダン出張時に筆者撮影。)

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