欧州経済 Decryptage 第 3 回

2022年4月10日

マクロン 尊敬と傲慢
大統領選挙の展望 5 年間の検証

瀬藤澄彦

 

政治哲学は「自由社会主義」を標榜

2017 年に登場したマクロン大統領のこの 5 年間の軌跡ほどパラドックスに満ちているものはめたったにない。大統領選挙を数週間後に控え 2 回に分けて総括と展望を試みる。
第 1 にマクロンの政治イデオロギーである。その著「21 世紀の資本論」を通じて格差問題の世界的権威、第 1 人者であるトマ・ピケティ教授は、マクロニズムは発足当初の中道左派を中心としたその支持勢力から中道右派に傾斜させていると分析している。フランスの政治地図そのものの右傾化が環境政党も含めた左翼陣営の分裂と低迷によって欧州のなかでも際立っている。多くの複合した要因があるが、マクロン政治そのものにも起因する。大統領就任時、大統領の考え方についてリベラルでかつケインズ主義的公的介入、市民の政治的権利拡大、などを主張する「自由社会主義」(liberal socailisme)が標榜された。これは戦後ドイツのエアハルトなどが進めた社会市場主義経済システムやイタリアの伝統的な社会自由主義にも類似するものである。マクロンは単純化して言うと左翼で出発し保守に転身したのである。

出所	Thomas Piketty Emmanuel Macron porte une responsabilité écrasante dans la

出所 Thomas Piketty Emmanuel Macron porte une responsabilité écrasante dans la

このような社会民主主義的な要素も取り入れた自由市場主義を掲げたマクロン大統領は、就任早々、そのスピーチのなかで“アンメーム・タン”(En meme temps)、「同時に」という言葉をたびたび使い話題になった。この用語は実は時間論や現象学で有名なフランスの20世紀の哲学者ポール・リクールの概念である。マクロンはその愛弟子でもあったが、とくにその著書「物語られる時間」(Temps et recit)に影響を受け、権力を構想し実践しいていくには政治の舞台に哲学者として登場しなければならないと考えている。このような考え方や価値観がないと政治の統治は不十分であるとする「物語的同一性」(identite narrative)を重視するあのポストモダン思想に属する立場である。記憶や歴史における自己と他者の混在を説くドイツの哲学者 H.ハーバマスからも着想を得たものである。さらに付け加えるならこの「同時に」という表現はマクロンだけでなく、19世紀よりテオドー ル・ド・フドラや、「反抗的人間」や「転落」などの作品でアルベール・カミュが頻繁に多用した。マクロン自身、収斂の難しい反対の考えを裁量し綜合するための不可欠の論理と述べている。マクロニズムの正体はサン・シモン流の産業主義と、フランス革命のジャコバン派から分派した立憲君主制擁護のフイアン・クラブの流れを汲む社会党系進歩政党の穏健派を基盤とするものであった。

第 2 はベルリン壁崩壊以降の左右の壁希薄化、リベラルな極対国家同一性の極の抗争の時代になかで既成の左右の政党が行き場を失ってしまい、その漁夫の利を得たのである。左翼陣営の大統領選挙の候補者分散化やそれに伴う失望感などもそのような傾向に拍車をかけたことは明白である。しかしこれだけではパラドックスの解明には不十分である。当時39歳のマクロンは2017年の大統領選挙に向けて社会党率いるオランド大統領ヴァルツ内閣の 経済担当大臣を辞して新党「共和国前進」を結成、既成のフランス政治に挑戦。既成秩序を 破壊する「アンチ・システム」とドミニク・レニエ・パリ政治学院教授は形容したところで あった。2017 年の大統領選挙では中道左派色の多い政治勢力を結集して勝利した。しかし 2022 年選挙では中道モデム、保守共和派アジール、保守中道オリゾン、マクロン派環境政 党アン・コマン、中道派テリトワール・ド・プログレなど過去のフランスの中道右派と保守 系中道派の複合諸政党がマクロン支持で結束している。つまり左派から右派へ転換が明白になった。ダニエル教授は発足当初からマクロンはフランス革命以来のジャコバン派のな かでも中道穏健のフイヤン派の流れを汲む中央集権型の中道保守派であると見抜いていた。社会党、緑の党、「不服従」党、共産党、など合わせても左翼陣営は 4 月の第 1 回大統領選 挙でやっと 27%の支持率で、これはゼンムールとルペン 2 人の極右を合わせて29%、保 守共和派ぺクレスの17%、マクロンの24%がルモンドの12月世論調査結果であった。
直近 3 月 16 日の世論調査よると 4 月 10 日の第 1 回投票でマクロン 29.5%, マリ・ルペン 19.5%、メランション 11.5%、ゼンムール 11%、4 月 24 日の第 2 回投票で右翼ルペン候補相手の決戦投票は 58%で圧勝する予測となっている。マクロン支持層が保守派から中道右派まで拡がり支持が強まっていることが浮き彫りにされた。欧州の近隣国ではこのような左翼政党の弱体化は起っていない。社会主義政党と見なされる民主主義者、社会主義者、労働党がドイツやスペインでは中道左派政権にある。また近い将来には英国やイタリアでもそれに近い政権が誕生することも十分にと考えられる。
フランスでは過去 40 年間の内、社会党政権がミッテラン以来20年間も続き、これが他国にはない特有な倦怠感につながっている。左翼勢力はドイツではたった 7年間、英国では13年間、スペインでは左翼が分裂しポデモス(We can)急進左派欧州懐疑党との連合政権などの状況が続いた。フランスでは中道左派政党は過去の反省に立ってメランションの不服従政党などとよりを戻すべきであるとピケティは言う。フランス政治の右傾化はフランス特有の事情、とくに植民地時代の悔悛のトロマチズムの感情、とくに根強く残るアルジェリア戦争などの歴史的事情がある。「フランス人のアルジェリア」(Algérie française)の追憶や外国人嫌悪感情がルペン主義やゼムール主義の極右台頭に大きな影響を与えるようになった。このような政治地図の激変に加えて政治次元に本来属さない2つの「事件」がマクロン優位に動いてしまった。コロナ疫病対策とウクライナ紛争は大統領選挙を外部環境というコンテンジャンシー条件に従属させることで国内政治的な論争を迫力のない色褪せたものにしてしまった。しかし番狂わせもシナリオも予想される。年金改革、コルシカ州知事暗殺事件裁判、ガソリン価格急騰などいつ反対運動が噴き出すか予断を許さない。
参考文献:Thomas Piketty Emmanuel Macron porte une responsabilité écrasante dans la droitisation

 

マクロノミクス 経済政策

マクロン政権のこの任期 5 年間はオペラで言えば第 1 幕の設定と、ジレジョーヌと年金ストで深刻な対立と衝突が目立った第 2 幕が結末を迎えないままコロナ禍とウクライナ戦争という世界情勢の混乱のなかで中断し、第 3 幕が第 2 部の第 1 幕として仕切り直しでこれから始まるという案配である。
2017 年発足後に着手した一連の経済政策を見ると供給サイドの傾向が濃厚であった。➀高度技術立国のための投資・イノベーション促進のため(供給側刺激策)、5 年で 570 億ユーロ相当の投資計画。金融所得に対する統一税率 30%の導入、連帯富裕税の不動産富裕税への改組、法人税率の引下げ、②家計の購買力の向上のための措置の実施(需要側刺激策)、住居税の減税(3 段階)、③CICE(競争力強化と雇用のための税控除)、一般社会税の税率引上げによる財源確保で従業員負担分の健康保険料・失業保険料の廃止・CGS(一般社会税)への移管など、オランド大統領時代の責任協定のフォローアップ、④EU ルールの財政健全化の着実な実施、という具合である。マクロンの経済政策は所得・雇用・財政という 3 重のトリリンマ・モデル*では所得均等や雇用創出というよりも財政規律、雇用や失業手当よりも就労促進という新自由主義的な政策に重点が置かれた。
経済学者の評価ではマクロンの政策にはシュンペンター流の創造的破壊、ポール・ローマー型の技術進歩による内生的成長理論、モチベーション動機の自己責任型の経営管理論、などセーの法則に立つ供給重視のオーストリア学派に近い考え方が反映されている。さらに専門家の間ではチュルゴ(Turgot)、セー(Say)、リチャード・カンティヨン(Richard Cantillon)、サイモン・クズネッツらのように技術進歩を伴う供給ミクロ企業経済にとくに重点を置くものである。マクロンの選挙公約にもそれが反映、アルフレッド・ソビー(Alfred Sauvy)のように労働時間短縮に反対、 雇用面では北欧型の労働の柔軟性を重視、同時に米国のリチャード・マスグレイブ(Richard Musgrave)の「公共選択の理論」のように政府の役割を所得の適正分配、経済の安定、資源の効率配分の3つの分野に限定されるべきとの考え方も見られる。現代経済思想面では、ジャック・アタリ、ジャン・ピザニ・フェリー、アラン・マンクなどのグローバル自由市場派の有力経済学者のマクロン支持は以上の考え方を受け継いでいる。
前のオランド大統領は「社会党 2012 年プロジェクト“変革”」や「フランスのための 60 の公約」の選挙公約やマニフェストを発表、財政緊縮策を包含した経済政策の内容を盛った成長と雇用創出にサルコジ―時代の路線から変更すると表明した。360 億ユーロの増税と支出削減 60 億ユーロの新年度税収入分を差し引いた 300 億ユーロは、企業と世帯に対するそれぞれ 100 億ユーロの増税負担に依存する歳入重視型の財政再建策だった。ミッテラン大統領時代の最初の 1981~82 年度の大型景気予算とは違い就任に伴うご祝儀予算やばらまき予算は影を潜めたのが特色でもあった。またオランド大統領初年度の予算では企業と高所得層に対する課税の強化が全面に出ている内容であった。
これに対してマクロン大統領政権の過去 5 年間の経済政策はその選挙公約である 15分野 75プログラム 300項目については、ジレジョーヌ(黄色いベスト)運動、年金改革反対の長期デモ、新型コロナ感染対策、さらにウクライナ戦争という4つの深刻な危機が連続して起こったため公約に掲げた改革案をほとんど実行に移す余裕はなかった。これらの政策はハーバード大学イバーセン・ブレン両教授のトリリンマ・モデルに照らしてみると所得の均等化には遠く、雇用創出というよりは労働の柔軟化に力点が置かれた。富裕税廃止などの減税政策は「金持ちのための大統領」というレッテルを貼られたように富裕層向けの「小さな政府」を志向するリベラリズムに傾斜するものであった。

出所  Par David Doukhan  Rédacteur en chef du service politique du Parisien

出所 Par David Doukhan Rédacteur en chef du service politique du Parisien

労働改革面においては企業に対し労働法改正を通じて柔軟性と雇用保護を同時達成する北欧型のフレキセキュリテ・モデルの導入しようとした。4つの行政命令・36の措置・労働法改正・求職条件や職業訓練プログラム厳格化を盛り込んだ 2017 年 6 月 28 日の閣議決定を踏まえて 9 月には行政命令執行(ordonnance)を通じて労働法規改正が実施された。そのほかSNCF(国鉄)自由化改革、ナント市郊外ノトルダム・デ・ランド国際空港建設プロジェクト撤回、Parcoursup(大学入学振分け制度)、PACTE 企業経営改革法、健保保険料源泉徴収導入、住宅資産税撤廃など規制緩和や自由化政策と環境主義者寄りの相混じった政策路線が採択された。
フランス型モデルとして財政政策として特筆されるのは次ぎのような特徴であると考える。
①不況時に社会保障給付が「自動的」に増大する仕組みが他の国に比べより備わり、②公共財の供給による資源配分の効率的調整、地方自治都市連合体結成による広域行政や PPP(民間公共パートナーシップ)事業の導入、などフランス型の自動安定装置を通じて、税の重税感は強いが、所得の再配分が機能して不平等が世界で最も少ない国のひとつとなっている。ブレが少なくショックに耐久力がある経済体質が見て取れる。
新型コロナの影響に抗して有名になったマクロンの 2020 年 3 月の「どんな対価を払っても」(Quoi qu’il en coûte)という言葉はアンメームタンにも劣らぬ有名なキャッチフレーズとなった。これはユーロ危機の真只中に欧州中央銀行前総裁ドラギ現イタリア首相が「どんなに高くついても」“whatever it takes “と言ったことをもじったフレーズを意識したものである。1918 年のスペイン風邪以来最悪と言われる新型コロナの影響は 2020 年の戦後最悪の GDP マイナス 7.9%という急降下となって現れたが、あらゆる対価を払ってもというこの緊急経済対策は 1000 億ユーロ(約 1 兆 3 千億円)という破格の事業規模となった。雇用持続化給付金、自営業者連帯基金、低所得世帯救済費で構成されるこの予算はE U次世代基金からの融資も含めた大規模な財政措置であり、コロナショックで打撃を受けた家計所得の低下を、社会保障制度の自動安定装置とともに食い止めることに成功したと言われる。この大型の経済支援策は前のオランダ大統領経済補佐官でブリューゲル研究所長ピザニ・フェリーと前の IMF チーフ・エコノミストのオリビエ・ブランシャールという 2 人の有力エコノミストの考えを反映したされている。フランス会計検査院は 22 年 2 月、国家予算支出に歯止めのなくなることに強い懸念を表明した。

17~22 年のマクロン経済運営の成果はアルマール(Burno Alomar)政治学院教授は「平凡」であると手厳しい。

1969 年以来と言う 2021 年の成長率が7%に達したのは 2020 年のマイナス 7.9%という 1950 年以来の景気の下降という下駄を履いただけで 17 年以前の水準とはプラス3%に過ぎない。貿易収支は 850 億ユーロという記録的赤字、公的債務残高は 100%を突破して対G DP116%の歴史的高水準になった。こうした中で 17 年末に9%だった失業率が第 4 四半期に 7.4%に低下し改善したのは、ILO 方式では失業者の範疇に入らない一時雇用、期限付き雇用、派遣雇用、などの雇用が増え、さらにコロナ禍によるテレワークやフリーランスなどの雇用形態、そしてグランド・デミッショ(grande démission)と呼ばれるなど自発的な大量退職者が発生したからである。これらのすべてのカテゴリーの雇用は失業者の数字に反映されないからである。 出所: Equality, Employment, and Budgetary Restraint The Trilemma of the Service Economy

 

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