欧州経済 Decryptage 第 1 回

マクロン大統領、行政機構の大改革へ
~ENA廃止、県知事等の地位格下、監察官の改廃

~フランス型産業国家のエリート群像の変貌

2021年7月31日
瀬藤澄彦 参与

 

行政の中枢を担う少数精鋭のエリート国家公務員も

マクロン大統領は 2017 年大統領選挙の時の公約通り、2018 年 11 月後半から吹き荒れた黄色いベスト運動の後に実施された国民対話集会のヒアリング結果も踏まえて、本格的にENA(国立行政大学院)を始めとする行政機構の大改革を実行に移すと 2021 年 4 月に発表した。改革の内容は ENA のみならずナポレオン以来、大統領政令で任命されてきた県知事、同副知事、さらに国務院 会計院、財務官の3つの官僚最重要ポストの監察官(inspection générale)の存続にもかかわるものである。マクロンは「国家の首尾一貫した行政機構の再構築」を目指し学歴や地位でなく能力と経歴を重視するため、上級キャリア公務員には現場のたたき上げ能力を徹底させる方針。このグラン・コミ・デタ(grand commis d l’état)と呼ばれるENA 卒の上位 3 位までの超エリートのポスト、監察官は今後は新規採用せず現有ポストの定年後にあたる本年 10 月には姿を消す。勿論、フランスの行政パワー弱体化を心配する声もある。マクロンは民主的な流動性のある社会のため政治の刷新を目指すと譲ら ない。1945 年にドゴール政権が作ったENA は廃止され、ISP(Institut du Service Public: 公共政策学院)に改編されることになった。

2019年6月26日 在日フランス大使公邸のG20サミット参加マクロン大統領のご挨拶 筆者撮影

2019年6月26日 在日フランス大使公邸のG20サミット参加マクロン大統領のご挨拶 筆者撮影

フランス経済は第 2 次大戦後の「栄光の30年」の後、官民が調整し合う「協調経済」、国家が民間部門に介入する「国家資本主義」、資本主義と社会主義が同居する「混合経済」、あるいは大戦間、フランス銀行総株主 4 万のうち上位200株主の支配する「200 家族」経済などと形容されてきた。このような政府行政官庁の中枢を担っているのが選りすぐられたエリート国家公務員である。日本の高等学校卒業に相当するバカロレア試験合格の後、さらに少数の学生がプレパと呼ばれる準備クラスを経て全国選抜試験を勝ち抜いたさらに少数の学生だけが入学する約200のグランゼコール(高等大学院)を卒業したエリート国家公務員が高級官僚のことである。第 2 次大戦後できたENA、フランス革命の時に創設されたXと呼ばれるポリテクニック(理工科大学院)、ENSエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範大学校)、エコール・ デ・ミーヌ(パリ鉱山大学院)、国立土木大学院、エコール・サントラル(工学大学院)、シアン ス・ポの名前で知られる政治学院、これらの国立系に加えて民間のフランスでは強大な財政力を有する商工会議所支援の商業系のビジネス・スクールが注目されている。HEC 経営大学院(HEC Paris)、経済学商業大学院(ESSEC)、パリ高等商業大学院(ESCP)、などが特に有名で、これらの大学院はフィナンシャル・タイムス紙が行うMBAランキングでは世界の上位を常に占めている。最近ではパリ南フォンテヌブローの他、シンガポールとアブダビにもキャンパスを持ち政府・民間から独立中立を保ちながらブルー・オーション戦略など独自の経営戦略理論を構築してビジネス・スクール・ランキングでは 2016 年、世界一になったINSEADを挙げなくてはならない。

経営学は米国発の学問で欧州は後れを取っているというが、実は 2016 年はアンリ・ファイヨール(Henri Fayol)が重要な経営管理論を発表してから丁度、100 年目になる。フランス式の官僚的でヒエラルキー型の経営モデルは、フランスの鉱山大学教授で経営学者でもあったH.ファヨールとその弟子の経営理論に影響を受けているとされる。彼は 19 世紀からあの科学的労働システムを築きあげた米国のフレデリック・テーラーと並んで正に近代経営学の父と言われる。米国でも注目された「産業管理経営一般」のなかで経営の機能を次のように5つに定義した。それは予測・組織化・指揮命令・調整・管理であり、経営管理の本質は権威の中央集権化と指揮の統一であるとした。これがフランスの官僚エリートのあり方のモデルであるともいわれている。

欧州中央銀行総裁のクリスティヌ・ラガルド氏は自叙伝のなかで次の様に告白している。ENA選抜試験コンクールを2 回程、受けたが不合格したが、それは恋愛の方に時間を取られたためと言っている。要するにENA合格のためには小さい頃から家庭教師も付けて、脇目もふらず勉強をしなければならないのである。多くの有識者もそう指摘する。ジャック・アタリなどはもう小学低学年から家庭教師をつけて学習することが必要で、所得階層の上のクラスでないと財政的余裕がなければならず、エリート教育競争は低学年で決まってしまうという。

エリートとは 19 世紀フランスの社会学者フレデリック・ル・プレ(Frédéric Le Play)によれば、勇気、正義感、慎重、沈着の4つの基本的な人徳と、慈悲、希望、信念の3つの神学的な才能に恵まれた指導者のことである。彼はこのような秀でた上層部の人間を選抜された階層の指導者と呼んで政治的指導者とも区別した。エリートの存在についてはまたピエール・ブルデュ(Pièrre Bourdieu)のように社会構造のなかにある序列と支配の構造システムによるものであるとする見方もあれば、レイモン・アロン(Raymond Aron)は元々、上部のヒエラルキー階層で育ち特権的な立場を有する人々であるとする見方がある。アロンによれば5つのエリート集団が存在する。政治リーダー、国家官僚、経済的指導者、大衆リーダー、軍事幹部層であり、このエリート集団が統一していれば独占的権力に、複数に分散していれば民主主義的なリベラルな権力になるとする。フランスでは ENA やポリテクニックを頂点としてエリートの存在がフランス経済独特の国家主導型協調経済を生み出してきたのである。

 

“エナルクたちの脱走”

世界で最も中央集権的な国家であるフランスでは公僕である公務員に対してアンビバレントな二律背反的な感情も同居している。財務省国庫総局の徴税役人を揶揄した『おバカさんたちの晩餐』(dîner des cons)というコメディ風の映画が少し前に大ヒットしたように、徴税を司る財務省官僚を皮肉たっぷり描いたものであった。その一方で第3共和政時代の教師が与えていた献身的で有能で厳格で正義感に溢れたような尊敬に値するという感情がある。そうでなくてもグローバル化の嵐のなかで中央行政の政府の仕事の中身が揺さぶられている。フラン ス政府は 2001 年 1 月に画期的といわれる「財政法関連行政法」(LOLF)を導入した。以来、国家公務員も戦々恐々とするようになった。この米国流の評価制度を入れた法律によっ てフランスの行政官庁も成果重視主義に移行しつつあるともいわれている。少し前にやは り『エナルクたちの脱走』(désertion des enarques)と題する本が出版され話題になった。それは今や「官僚たちの夏」の時代から「官僚たちの秋」の時代がやってきたというのである。国内では構造改革の掛け声で規制緩和による権限の縮小、地方分権化で中央から州県市 町村に加え都市連合体などへの権限委譲、欧州統合の深化に伴うブラッセルのEU委員会 やフランクフルトの欧州中央銀行への通商政策や金融政策などの重要な政策決定権の移行、そうでなくても通りに出れば政権の政治色に関わらず頻発する労組や学生のデモ、それに 加えて環境団体や市民の反グローバリズムの示威行動、そして国の外では新興国の台頭で 従来の国際的な枠組みのシステムでは決着がつかなくなりつつある。要するに官僚の権限 と出番が少なくなりつつあるのである。欧州の秋空のように暗い憂愁の季節の到来である かのようでもある。このような状況のなかでパリの官僚たちは、早い時期から民間企業に天下ること、国会議員になること、ユーロ官僚になること、国際機関に勤務することなどを志向するようになった。

 

有力企業CAC40社の大学出身構造

次の表は 2016 年の時価総額で算出した上位上場 40 社で構成されるCAC40と呼ばれるフランスの有力企業の経営者の年令、出身大学、その業種を企業のホーム・ぺ―ジから集計したものである。これによると理工科大学院X出身が11人、HECが 7 人、ENAが 7 人、鉱山大学院が 7 人でこの4校で34人である。この内、ENA X、ENA X のそれぞれ2校卒業の社長がそれぞれ3人いる。筆者が2002年に調査した時と同様、ENA と X は相変わらず最も多くのトップ・マネージメントに君臨しているが、いくつかの特徴を挙げることができる。

CNRS(フランス国立科学研究所)の調査によると、フランスの上位 200 社の大企業では、社長のなんと50%はENA(国立行政大学校)とポリテクニック(国立理工科大学校)の出身者であるという報告もある。これにほかの国立のグランゼコール(高等大学校)のエコール。」デ・ミ ーヌ(鉱山大学校)やポン・エ・ショセ(国立土木大学校)などを含めると実に 3 分の2の企業経営のトップがこれらの官僚出身者によって占められている。

フランスのエリート養成校出身者の企業の業種、年令などを分析すると次の3点が指摘される。 第1にこれらの経営者の携わる業種が重厚長大型及びニューエコノミー部門の産業に多いという特徴を指摘できる。すなわち石油 自動車 銀行・保険 化学 防衛・航空 環境 通信 などの業種である。これらの業種では1980年代前半のミッテラン大統領時代にいったん国有化された後、86-88年シラク内閣、93-95年バラジュール内閣、97-2002年 ジョスパン内閣、の時期にそれぞれ民営化や株式の公開に踏み切った企業が圧倒的に多い。これらの業種以外では流通 ホテル などの業種が目を引く。第2に同じ官僚の出身であるとは言っても、フランスでは特別上級行政官とされる仏語で「グラン・コミ・デタ」(Grand Commis d’Etat)とよばれるフランスの3大国家機構、国務院 会計院、財務官 の出身者が多いことである。とくに財務官出身者が目を引く。さらに内閣の官房の「コンセーユ・テクニック」( Conseiller téchnique)と呼ばれる大臣補佐官の経験者が多い。現在のフランスのエリート官僚の出世コースとして ENA 入省 財務官・大臣官房補佐官・民間企業への天下り という道筋が定着しつつある。フランスでは官僚が民間部門に転出することを「パントフラージュ」(pantouflage)と呼んでいる。

第 3 に年令的には圧倒的にいわゆる「スワサーント・ウィッタール世代」(68年5月危機世代)から 80 年代の危機の時代の世代やミッテラン時代の世代への移行がみられる。フランスの団塊の世代が過ぎ去り、次の「栄光の 30 年」世代以降の世代がフランスの政治面でも大きな勢力を占めているのと対応している。第 4 に外国出身のトップが 5 人と増えてきたことが特筆さられる。世代交代がこのところ顕著になってきた。

 

表 CAC40 上場企業トップに占める大学等出身者一覧

出所:各社のホームぺ―ジ等より筆者集計

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