パリ通信(10)「下から見たフランス」
オランドとバルスの「戦う内閣」
Hollande et son « gouvernement de combat »
綿貫 健治
アメリカのオバマ大統領、イギリスのキャメロン首相をはじめ世界のリーダーが難局を迎えているがフランスでも例外でない。
2年前「フレンチ・ドリーム(Le rêve français)」を実現した「ノーマルな大統領(le président normal)」として颯爽と登場したオランド大統領の周辺にも「アブノーマル」な状態がおこり政界がゆれている。大統領任期の折り返し地点でよくおこることだが今回はちょっと複雑である。政治・経済などの公的な問題と女性問題という私的な問題がからみあっているからだ。夏休み明けにエリゼ宮に約600人のジャーナリストを集め第4回大記者会見(Le grand orale)が行われたがオランド大統領にはその苦悩がにじみ出ていた。一般国民の反応を見るために行きつけのカフェの大画面でこの会見を約2時間見たが、2年半前にフランス国民が「インテリでノーマルな大統領」の登場をあれだけ大歓迎したのに今回の反応はまったく逆だった。
実際、ヨーロッパ第2位の大国であるフランス政治、経済状況はすこぶる悪い。世界経済が低迷する中、ドイツは今年も1.5%の経済成長が見込まれるのに下方修正し続けるフランスの不振が目立つ。2014年の経済成長率は以前の1%から0.4%に再度修正され、オランドが一番力を入れている失業率も10%前後と高止まりしている。EUやドイツから非難されている財政赤字も3.8%から4.4%と予測され2017年に持ち越された。私生活では今年の1月に新しい恋人で女優のジュリー・ガイエとの不倫問題が発覚したため事実婚パートナーのバレリー・トリルベレールはショックで入院、2人で協議した結果オランド大統領からトリルベレールと正式に別れたという発表があった。私生活には原則的に干渉しないフランスだが、この事件はスキャンダル化してかなりメディアで騒がれた。また、記者会見前の9月4日にタイミング悪くトリルベレールの告白本「この時をありがとう(Merci pour ce moment)(Les arènes社)」が出版され、オランドの私生活が暴露されたため大統領支持率は一時歴史最低値13%(TFNソフレ)まで落ちた。
最近ではアメリカの格付け大手スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)社に、フランスは3分の1の確率ではあるが2年以内に「ダブルA(AA)」からの格下げを警告された。オランドもがんばって後半への意気込みを示しているが、赤字財政、高齢化、産業不振などの経済問題に加え市町村選、欧州議会、上院選挙での連続敗北があり、その上欧州景気の停滞、イスラム国攻撃参加やウクライナ問題、エボラ熱、自然災害などの地政学的問題による経済停滞の長期化でさらなる後退が懸念されている。
オランドが見込んだ2人の首相の統治方法も論議を呼んでいる。最初の首相ジャン=マルク・エローは元ナント市長、社会党国民議会委員長を務めたベテラン。2007年の大統領選挙ではロワイヤルを2012年はオランドを大統領選挙で支援した仲である。誠実、控えめで感情より理性を尊び、背が高く銀髪で押し出しもよかったが「マティニオンの無名人(L’Inconnue de Matignon)」と呼ばれるほどカリスマ性に欠けていた。15年間の社会党国民議会委員長、ドイツ語教師と言う背景があり対内調整と対独連携で期待されたが悲しいことに政府閣僚経験がなく成果を出せなかった。オランドの指示に忠実に従い緊縮財政政策をすすめ、富裕層への高率課税を実施したが不評で国を捨てる企業家も現れ、競争力強化のための企業減税策も打ち上げたが自動車などは国際競争力低下を示し、閣内のコントロールに目が届かず、カユザック予算相脱税疑惑・辞任などの事件を起こし最後に2014年3月の統一地方選挙で大敗して辞任した。
エロー首相を継いだのが2012年の大統領選挙でオランドの広報担当を勤め、エロー内閣で内務相を勤めた実力派マヌエル・バルスであった。バルスはスペインから帰化したフランス人で社会党右派のニュージェネレーション、ブルドーザー的行動力をもち51歳の若さで首相になった。「左派のサルコジ(Salkozy de Socialiste)」といわれ国民に人気があるが伝統的社会党員ではなくその言動、行動が心配された。しかし、オランドは窮地打開をするにはと反対派をなだめ党内統制をはかって、政策を着実に実行し「戦う政府(le gouvernement du combat)」を組閣できる人間は彼以外ないとしてトップにバルスをすえたのだった。危険を承知の上の決断であった。
バルス首相はもともと伝統にこだわらない性格だ。オランドが頼んだわけでもないが、第1次内閣では、2007年の大統領選で支持したロワイヤルをファビウスに継ぐNO。2の地位でエコロジー・持続可能開発・エネルギー相とし手厚く迎えた。また、若手で自分とは対極にあり年上の行動的左派アルノー・モントブールを経済・生産再建・デジタル相、若く左派的発言の多いブノア・アモンを国民・高等・研究教育相にあえて登用し話題となった。当初からバルスの政策運用と強引なやり方には反対者がいて、政策の相違からヨーロッパ・エコロジー・緑の党(EELV)からは入閣を拒否され、やがて入閣したモントブール、アモンなどの左派からは、政府公務員の給与凍結、年金、家族手当、住宅手当などの福祉関係手当凍結などの歳出削減・財政緊縮提案を反対された。バルスはオランドの助けを借りて彼らを更迭し第2次内閣ではオランドの側近で元ロッチルド銀行幹部、大統領経済顧問を勤めた36歳の若手エマニュエル・マクロンを経済・産業・デジタル相として入閣させた。また、急進社会党(RPG)は入閣者もいる連立与党だが、政府の地域改革案(地域県数削減と県議会廃止)で折り合いがつかず、第2次バルス内閣の国会承認には社会党内左派、エコロジー党とともに投票を棄権した。
景気も失業も回復せず社会党内の足並みが乱れたこともあり、選挙ではオランド政権発足以来負けぐせがついたままである。エロー内閣時代の地方選挙敗北に続き、バルス第1次内閣成立直後の5月、欧州議会選挙でまた社会党は惨敗する。フランス保護主義、愛国経済主義を掲げる極右政党FNが投票率で25%、議席で24議席獲得して第1位に躍進し、2位は右派UMPの20.8%で社会党は第3位の14%に落ちた。内閣のスキャンダルも出て夏休み明けに第2次内閣で選ばれた貿易・観光担当相トマ・テヴヌーが脱税疑惑で辞職した。また、9月に行われた上院選挙でも右派野党が過半数を獲得、極右FNが始めて2議席をとったため、これで社会党は統一地方選挙、欧州議員選挙を含み3連敗となった。
しかし、馬力のあるバルスは負けていない。持ち前のブルドーザー的精神で全力をあげて政策の実現に向けて汗をかいている。2014年7月には補正予算を国民議会で可決し、年初にオランドが約束した「責任協定(Pacte de responsabilité)」にもとづく所得税・社会保障の軽減の見返りに企業が雇用を増加する仕組みを正式化した。また、10月1日には経済活性化を実現するためにGDP成長率を1.0%に設定し、所得減税、歳出削減をおりこんだ2015年政府予算法案(PLF2015:期間1-12)を閣議決定し、21日には僅差ながら国民議会の承認を獲得した。しかし、この投票で左派の基盤が磐石でないことが露呈した。仲間と思っていたエコロジー・緑の党と社会党の反対者合計56人が法案に反対して欠席・棄権した。その間、バルスは企業家と直接対話し協力を得るためにフランス経済連合(MEDEF)の夏期大学に乗り込み前向きな経済改革(成長、失業低下など)への協力要請、産業自由化促進(労働規制の単純化、日曜労働、イノベーション、競争力強化など)の実現、大型減税(所得税など)、社会保険削減政策など)について熱い抱負を述べ協力要請をした。昔から社会党の異端児として35時間労働を時代に合っていないと否定するバルスは企業の協力を得ることに必死だった。「財界の皆さん。フランスはあなた方の企業を必要としている。私は本当に企業を愛している (La France a besoin de ses entreprises, …(文中省略)….Et moi, j’aime l’entreprise!)と異例のラブコールを財界人に送りスタンディング・オベーションを受けた。時代は変わった。社会党首相からいままで聞いたことのない右派的公式発言が出てきて、財界人も、これをニュースで見た国民もびっくりした。財界人は若くてダイナミック、現実的な首相バルスに新しい期待を持ち始めたといえよう。ちまたではバルスこそ2017年の大統領戦の「征服者(Le Conquistador)」(Edition du Moment)という応援本も発行されるほどである。
バルスの戦略方程式は単純である。バルスは時代に呼応しなくなった社会党の既存文化を修正して企業家と共同戦線を張りフランスの危機を乗り越え「強いフランス(La France forte)」をつくり、自身の2017年大統領選挙の足場をつくりたいという野望があるからだ。バルスの伝統的社会党批判発言は今に始まったことではない。内相就任前から社会党綱領や35時間制を無視する発言で、社会党は爆弾を抱えていると言われていた。内相に就任した時に「ル・モンド」(2014年4月5日)はこういうバルスの権力と人気を追う大衆行動を危ぶみ「バルスはオランドの危ない賭け(Manuel Valls, le pari risqué de Hollande)」と警告していた。最近でもバルスの発言は社会党内から批判を受けている。社会党分裂を心配し2017年を最後のチャンスとみる元社会党第1書記でベテランのマルティン・オブリは、右派と左派の均衡を狙い「オランド=バルス路線では予定した経済成長は達成できない」と主張し始めた。バルスも負けてはいず、社会党系雑誌の「ヌーベルオブザバトワール」(10月23日号)で「(新しい時代には)社会党という名前も似合わない(Il faut changer de nom)」、「(古い社会党綱領や政策への)懐古主義はもうやめよう(Il faut en finir avec la gauche passéiste)」と新しい社会党イメージを打ち出した。バルス発言の影響もあるのか同じように過去の伝統から決別すべく国民運動連合(UMP)も国民戦線(FN)も時代に合った名称を模索しているようだ。右派の国民運動(UMP)からは元大統領のサルコジが大統領予備選挙に出馬を表明し新しいUMPを提案して党内分裂が激化している。FNも創始者ル・ペンと娘のマリー・ル・ペンの間で意見が割れる場面が多くなった。
バルスの時代を見る目と行動は今後も注目したい。左右両方を見ながら行動するバルスは一見風見鶏とも見られがちであるが、私には、若いときにスペインからフランスに国籍を変えたことで苦労し多文化やグローバル感覚を身に着け、確かな目標と強い出世意欲をもって行動しなければ世界で勝ち残れないという信念からの行動だと見受けられる。その源泉にあるのは、出自に裏づけされた「理性と感情のバランス」である。スペイン画家である父親の暖かい心、スイス人母親の冷静かつ合理的な心、有名音楽家、フランス人妻の文化の心を持ち合わせている。文化人にも人気があり教養も高く、スペイン人独特の情熱もあるので、MEDEFのトップを感動させたのも政策の内容もあるが出自の背景からくるバランス感覚と人間性が心を打ち評価されたのであろう。バルスが成功すれば、当然、2017年のフランス大統領選挙の候補者になることは間違いない。オランドに恐ろしい強敵が現れた。
こういう社会党の党内反目を見て元首相でバルスと懇意なミッシェル・ロカールが最近オブリの行動をいましめ、オランドよりもバルスを支持するような発言をしている。オランドもバルスに負けず記者会見を含み機会のあるごとに任期以内に実績を残すことを約束している。このような状態になったフランス政治と経済から目を離せないが、こうしてフランス政治と経済が久しぶりにダイナミックになったことはいいことだ。オランドとバルスの今後の活躍に期待したい。
(2014年9月)
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