英国ダラム便り(その28)

  • Durham 2014/8/13

皆さま

猛暑お見舞い申し上げます。

8月11日まで9日間イタリア旅行。ニューカッスル空港に夜戻ったら、気温13度で強風。クシーに乗るまでに震え上がってしまいました。これでも2年前の夏よりは「暖かいのですがねー」。やはり最高気温がなかなか20度を超えてくれません。

ダラム便り(その28)をお届けします。

今回のイタリアで感じたことは中国人とロシア人観光客の多さです。特にロシア人の中流に見える家族の多さには驚きます。白くて大きくて田舎っぽい観光客の半分くらいはロシア人という感じです。いたるところにロシア語表記で、旅行の半分行程で一緒だった純日本人風の友人は店員にロシア語で話しかけられて、「生まれて初めての経験」と言っていました。良くある光景でベニスの高級ファッション街で、黒人が道端にルイビトン風偽物バッグを置いて、怪しい商売をしていましたが、買う人がいるんですね。2回見かけて、2度ともロシア人でした。プーチンはさんざんですが、石油マフィアだけでなくロシア人の生活全体が急速に良くなっているんでしょう。

ダラム便りもマージャンで言うと「ラス前」になりました。9月8日に帰国予定です。

増渕 文規

英国ダラム便り(その28)

[フィレンツェを歩く]

私の欧州での一人旅を考えてみると、歴史的な街並み/美術館/古い教会/グルメの4要素が重要です。昔は自然の美しさにもあこがれましたが、スイスの山にも随分行ったし、もういいかという心境と「一人ではね」というところです。この4要素を満たすのはフランスとイタリーです。フランスは勿論グルメのチャンピオンですが、一人で入りやすいレストランとなると結構一苦労です。それにフランスメシはワインも含め、気合いを入れてカネをかけないとダメな気がします。その点イタメシはカジュアルで入りやすく、お値段もお手頃でおいしい。あとの3要素も(私がフランスびいきでなかったら)イタリーに軍配を上げるでしょう。というわけで時間ができればイタリー特にフィレンツェへ行くことをまず考えます。「フィレンツェでサンマルコ広場へ行ったら、人の少ないサンマルコ修道院へ行く。階段を上がって踊場に出たら右上方をみること」。これはフラアンジェリコの受胎告知のとっておきの見方だそうです。阿刀田高がイタリー情報通から教えられた話として書いています。その通りに2度やってみましたが、本当に素晴らしいです。見上げた2階の壁全面に受胎を告げる天使と、驚きを抑えた厳粛な面持ちで天使の言葉を聞くマリアの姿が描かれています。この修道院らしき中庭が背景になっています。阿刀田さんのアドバイスが無くても、長い階段を上って踊場に出るとやれやれと右上方を見てしまうのです。フレスコ画で驚くことに何のガラスカバーもされていません(見に来る人が少ないせいでしょうか)。かなりひび割れしていますので、世界の宝が大丈夫だろうかと気になるところです。

フィレンツェは全部歩いて回れる歴史のパッケージです。ルネサンスより後の時代の建物が中心でしょうか、それでも何百年も変わることなく生きてきた町並みで、狭い路地に入るとここをラファエロが歩いていたかもしれないと思えてきます。40年前の最初の訪問時にくらべて観光客は少なくとも3倍以上にはなっているでしょう。ボッチチェリの春その他で有名なウフィチ美術館を始め、有名どころは事前予約しないと何時間行列させられるかわかりません。そういうわけでミケランジェロのダビデ像は2度も断念しました。帝京の留学生も(オプション旅行で)毎夏フィレンツェにやってきます。彼らには絵画や古い建物よりピザやジェラートを食べたり、マーケットでの買い物の方が面白いかもしれませんが、ウフィチは強制的に訪問させています(私も20歳くらいのころは絵画にはそれほど関心はありませんでした)。膨大な観光客の多くはLCC(廉価フライト)でフィレンツェ空港から入ってきます。この空港には正規便は無いのかと思われるほどLCCばかりで、華やかな国際空港というよりバスターミナルのような雰囲気です。時代は変わりました。

英国の田舎では仔牛料理には出会えません。長いこと食べたくて、メニューにはないものの、愛想の良いテーブル掛に「仔牛料理何でもいいからできない?」と聞いたら、とびきりおいしいのを特別に調理してくれました。きめの細かいパン粉を薄くふって、油で揚げた、「ミラノ風カツレツ」ですが、細かいサイコロ切りにしたトマト(イタリー語でポマドーロ)をオリーブオイルと共に上に載せただけ。レモンをピュッと絞って食べる実にシンプルなお皿でしたが、感激でした。イタリーはグラスワインで一流銘柄を頼めるレストランが少なくありません。フランスではそういう店も無いわけではありませんが、非常に少ない。一人で酒飲みでもない私がボトルを頼むわけにはいかず、グラスでの銘柄ワインはありがたいです。私の定番はBrunello di Montalcino。モンタルチーノという言葉の響きが好きです。皮製品も本場中の本場ですし、女性を惹きつけそうなお洒落な小物が街中で売られています。見学できる皮細工工房もそこかしこにあります。眺めているとオジサンでも買い物欲がわいてきます。ファッションは今やフランスよりイタリーでしょうね。学生が驚くのはイタリー若者のファッションセンスです。「校長先生、フェラガモ買っちゃいました」なんていう金持ちの学生もいます。英国の田舎のジャージ姿の若者との違いを感じるようです。間違いなく何倍もイタリー人の方がお洒落ですね。英国人はダサいですね、悪いけど。良く言うと質素で、浮わついていない。2回連続で泊まったホテルは旧女子修道院跡で、中庭に当時のスパを改築したプールがあります。いかにもフィレンツェです。

[ボルザーノかボーゼンか]

ダラム最後の夏休みに訪れたボルザーノ自治県はオーストリアの南で、南チロルとも呼ばれる地方です。緑豊かな爽やかな高原や、ゴツゴツしたドロミテ山塊の景観は最高でしたが、ここはドイツ語流にボーゼンとも表記されます。県全体では70%がドイツ語系住民で、南部に位置する中心都市ボルザーノではイタリー語系が70%ということです。オーストリアとの係争地で第一次大戦後にイタリーに帰属した、新しいイタリーです。紆余曲折を経てイタリーということで落ち着いていますが、ドイツ語使用も公に認められています。イタリー人が大量に流入し、イタリー化が進みましたが、あくまで根っこは「オーストリア」なのでしょう。そんな感じがしました。イタリーでドイツ語とは何とも妙な感じです。公立小中学校での使用言語がどうなっているのかは確認できませんでした。住民は完全なバイリンガルと言うわけではなく、母国語はどちらかで、他方もわかるということのようです。ホテルのドイツ語系従業員は「ドイツ系はイタリー語も問題ないけれど、イタリー系はドイツ語がうまくない」と言っていました。この人に言わせるとドイツ語は彼らには難しすぎるからとのこと。タクシーの運転手がどちらの言葉で話しかけるか、乗るまでわかりません。料理はイタ飯の良さをたっぷりとりいれたオーストリア風という感じで、なかなかいけます。面白い経験でした。

2014年8月12日

増渕 文規

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