英国ダラム便り(その26)

  • Durham 2014/6/5

皆さま

こちらは今日も肌寒く、暖房を入れました。9月に暑い日本へ帰国すると、この気候が懐かしくなると思います。

6月6日はノルマンディー上陸のD-day。TVで参加退役軍人がノルマンディーに集う様子が報じられています。当校の事務長は元空軍パイロットで、フォークランド参戦の功を認められてか、MBE(高位ではないが、国家功労勲章)をもらっていて、名詞の名前の後に、MBEをつけています。貴族院会館でのD-day式典に招待されたとのことで、おおはしゃぎをしています。たまたまフランスの古い喜劇映画を見ていたら、第2次大戦の話で、仏民間人が逃亡英軍人に協力して、パリ占領のドイツ軍を茶化しまくるという内容でした。このD-dayで英仏は仲良くなっていったと思います。それまでは戦争ばかりでしたからね。

こういう話は残念ながら、わが学生には全く通じません。勉強不足もあるけれど、余りに遠い時代なんですね。経済の話をしても、バブル崩壊なんて彼らの物心つく前の話ですから。いろんな資料を駆使して臨場感たっぷりに説明しているのに(そのつもりなのに)、彼らにとっては「まんが日本昔話」のような世界。こちらの常識が彼らの常識では無いことがたくさんあって、逆に勉強させられます。

増渕 文規

[海外事務所で活躍する永住日本人]

本社から派遣され数年単位で日本に戻っていくパターンが普通ですが、日本の海外事業所には多くの永住型日本人が長期で働いています。その国のビジネス・生活習慣、国民気質や取引先情報など、情報通のベテラン社員が多く、この人たちがいないと会社は回りません。商社時代のパリ、デュッセルドルフそして現在のダラムでもずいぶんお世話になりました。ザクッと言って、8割以上は女性でしょう。古く80年代半ば、パリの総務・人事課長の時代は日本からのお客さんが多く、私の周りに邦人女性社員が3名もいました。いずれも引退され、パリで元気に暮らしておられます。Yさんは80年代に大恋愛の末、フランス人と結婚。未来の御主人が直前に交通事故で足腰を痛め、Yさんは毎週末、パリから800km離れた南仏の町まで列車で出かけ、御主人の世話をしていました。
TGVが無い頃だから、片道Door to Door 8時間以上はかけていたと思います(金曜日は早めに退社)。勤めながら毎週です。1年間も続いたでしょうか。おカネもかかったでしょうし、あのときは本当に「愛の力」を感じました。可愛いお嬢さんに恵まれ、パリ郊外で御主人と平和な引退生活を送っておられます。Oさんは日本人の前夫との間にできた一人息子を、女手一つで育てておられました。当時小学生だったと思います。親も親戚もいないわけですから、厳しかったと思います。この息子が立派以上に育って、今はフランスの病院で勤務医をしています。フランスの医師試験を突破したんだから、すごいですね。当時子育ての愚痴なんて一度も聞いたことはありませんでした。Oさんは70歳を超えていますが、数年前から新しいフランス人パートナーと暮らしておられるとか。YさんもOさんも日本人のお客さん対応の達人でした。今でも同じですが、パリはスリにやられます。特にパスポートをやられると帰れなくなる。気をつけていてもやられます。裏にある警察署及び日本大使館と話をつけて、ただちに再発行。銀行カードは即時さしどめ手配と、あっという間の早業で、お客は救われます。どのレストランに連れていくかもパリの重要業務。3つ星は態度が横柄で、「顔」になっていないと予約も取りにくいのです。勿論お二人に任せておけば大丈夫。

デュッセル時代のWさんも総務勤務。ドイツ人と結婚されて、今年65歳の定年退職です。美人で男勝りのやり手。日本から派遣の男性社員を叱咤激励してくれましたし、皆家族一同色々面倒を見てもらいました。同時代の駐在員OB一同で、退職記念を差し上げました。Wさんは87歳になるお母さんを日本から呼び寄せ、面倒を見ています(というか友達のようなものと楽しそうに言っておられます)。このお母さんがドイツ住まいを始めたのは73歳の時だそうです。娘もえらいが、このお母さんの勇気もすごいと思います。

現在のダラム周辺にも多くは英国人と結婚したご婦人が多くおられます。子供を日本とどうかかわらせるのかに、悩んでいる方が多い。特に日本語ですね。勿論英語を母国語としながら、母親の母国語も理解できるというのが理想ですが、日本語教育は大変なようです。週に一回日本語補習クラスがあってそこへ通わせます。こういうお母様2人に当校の仕事を手伝ってもらっています。事務ではなく、学生に対し英国事情の説明をしたり、英語学習の補助サポート業務です。英語はネイティブに任せてはいますが、日本人学生が何を悩み、何を理解できないか、どこが弱点かを日本人の目で見れるお二人の存在は、学生の相談役として大変貴重です。この役目は現地にIntegrateしている日本人にしかできないでしょう。つい先日Mさんという日本人女性からメールが来ました。御主人がダラム大学のあるカレッジの校長として就任するので、挨拶に伺いたいという内容です。半年前までダラム大学東洋コース主任だった教授の奥様も日本人でした。北東部日本人婦人会という組織があって、田舎暮らしの日本人ご婦人(永住組が中心)の親睦・交流を図っています。そこのメンバーは働いている方が多いですね。とりまとめ役のKさんの御主人は地元経済界で有名な実力者です。Kさんは旦那の知名度を利用・活用して地元で大活躍。日本関係のイベントも色々と企画し、現地日本人社会の取りまとめと、「日本」の文化紹介等プレゼンス向上に寄与しています。当地管轄の日本領事館よりよほど本物の「外交官」です。

海外で長く活躍されている日本人、特に女性はぶれることなくたくましいですね。よほど意志の力が強くないと、海外永住はどうでしょうか。味噌汁が無いとダメと言うような軟な精神では持たないと思います。美しくもたくましい日本人女性の話ばかりになってしまいましたが、ここで黒一点。パリでの恩人S氏の話を忘れるわけにはいきません。大学3年で外務省上級職合格、中退・入省という最優等生コースで、外務省語学研修でフランスに行って、ブルゴーニュの田舎で下宿の娘さんと運命の出会い。そのまま結婚。当時の外務省は(驚きですが)キャリアの外交官が外国人妻をめとることにかなりnegativeだったようです。S氏は「大使の道」より「妻」を選んで外務省退職。三菱商事パリ店に現地職員として就職、そのまま30年間以上勤務されました。当然優秀な方ですから、何度も本社からお呼びがかかったようですが、「妻が日本に行くのを嫌がるから」とパリ勤務を継続。私はフランス語、フランス人との接し方やワインやチーズのことなど教えてもらいました。「増渕君、フランス語うまくなりたいなら、推理小説がいいよ。Georges SimenonのMaigret警視」辞書を引き引き愛読しました。痛風持ちで「増渕君、白ワインは通風に悪い。赤は大丈夫、心臓にも良いんだよ」という言葉は、科学的根拠は知らず、今でも信じています。愛妻一筋、フランス一筋で10年ほど前に亡くなりました。商事の関係者一同で墓石を寄贈、奥様の生まれ故郷ブルゴーニュの、なだらかな起伏のブドウ畑を見下ろす丘の上の小さな教会墓地に、二人で眠っておられます。

2014年6月6日
増渕 文規

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