パリに暮す

  • 2012年07月03日
  • 岩崎晃

今年早々サラリーマン生活を終え、しばらく滞在するつもりでパリにやってきた。随分昔の話になるがサラリーマン生活を開始して早々にやってきたのもパリだった。その間40年余、随分と長い付き合いになる国だがフランス人のことをどれだけ知っていたのだろうか、と自問自答する毎日だ。

隠居生活で、一人で家にいるのも冴えないのでブリッジクラブに通いだした。フランス人の中にただひとりの日本人で心細い。物珍しさも手伝ってか親切にしてくれる。外国で隠居生活を送るのも悪くないなと思いだした。が、それは大変な間違いだったことにすぐ気付く。あるとき別のクラブもあると聞いて、そちらにのこのこと出向いたところ、猛烈に意地の悪い性悪おばさんに公衆の面前でゲーム運びのまずさを詰られた。そんなこと言われても日本で習ったビッドの方法と微妙に違うのだから仕方ないじゃないか、と反論したが、フランス人の剣幕には勝てない。意気消沈していると親切な仲間が、あの女は札付きのウルサガタで、誰にでもあーだから、なるべく避けるようにしろ、と言って慰めてくれる。
それ以来そのおばさんは避けるようにしているが、そのうちに事態はもっと深刻であることに気づかされた。公衆の面前で怒鳴るのはそのおばさんだけでなく、他にも結構いる。

結構いるどころか、あのおばさんを避けろと忠告してくれたおじさん、おばさん達も、ゲームになると公衆の面前で、なんであんなビッドをするのだ、となじるのである。なんだ、お前もじゃないか、と心の中で思うがうまく口にでてこない。考えているうちに事態は進んでしまって、今更言っても…ということになってもやもやしているうちにゲームは終わる。はっきりとは覚えていないが、銀行の駐在員でパリにいたときはこんな思いはしなかったなー、としみじみ思い返す。
そうかと思うと、ブリッジの本を贈呈してくれる叔母さんもいる、それも新品と思しきもの2冊も、だ。もちろんフランス語なので読破するにはたっぷり時間がかかっていて、未だに終わらない。おじさんも一冊くれた。そっちはなんとか終了したが最近は記憶力が衰えて頭に残らないのが問題だ。

16区の朝市によく行くが、混んでいて順番の列がハッキリせず、割り込みありで、秩序を重んじる我が日本人としてはストレスがたまる。家内と一緒なら行くがとても一人ではいけない、と思っていた。それが最近は一人でいってもなんとかなる。これってなんなのか、自問自答している。
最初の駐在員生活を送ったのが80年代初頭でミッテランが大統領選に当選し、揚々としてパンテオンのジャンジョレスの棺に薔薇を添えたテレビ中継パフォーマンスを思い出す。今回、奇しくもオランドが誕生して20 年ぶりの社会党政権となった。移民排斥を声高に主張する極右FN、マリーヌ・ルペンが大統領選で20%を確保した点が当時とは大きく違うのだが・・・。
こんなところにはもう居たくない。とにかく夏には日本に帰ろう。

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