英国ダラム便り(その1)

  • Durham 2012年5月8日
  • 増渕 文規

皆様

当地へ来て3週間、生活基盤設営、仕事のインフラ整備、関係者への挨拶等で追われた毎日でした。

帝京大学は英国ダラム大学のキャンパスの中にあって、多方面で同大学に助けてもらっています。英国の大学はカレッジ制をとっており、ダラム大学には17カレッジあって、帝京はその中の4つのカレッジと特に親しくしています。単身でもあり、私の食事のほとんどは行事も含めて、カレッジで取ることが多いですね。英国のレストランは想像通りまずいので、学食の方がよほどマシです。学生用と教授用テーブルは別で、教授用はHigh Tableと呼ばれている席で、中身はともかくゆったり優雅に食事できます。大体5人〜10人くらいでテーブルを囲むことが多く、英国人の教授に囲まれ、日本人一人で「楽しい会話のsubject」を一生懸命見つけながら、食事しています。英国人もフランス人と同様というかそれ以上に、どうということのない当たり障りのない会話を楽しむのがうまいですねー。感心します。仏大統領選の話題はあまりのってこなかったですねーー。

当地での雑感を時々書きとめようと思います。ご笑読ください。

英国ダラム便り(その1)
2012年5月6日

[ダラム大聖堂]

帝京大学ダラム分校は、英国北東部にある古都ダラム市に存在します。
帝京大学は英国で3番目に古い名門ダラム大学と提携関係にあり、ダラム大学の敷地内に独自の校舎や学生寮を建て、日本からの学生がそこで学んでいます。帝京大学の学生寮は多くのダラム大学生を受け入れています。又、帝京大生の食事はダラム大学の学食を利用しますので、英国人ほか各国から来たダラム大学生との良い交流の場になっています。

さてダラムといえば、何といってもダラム大聖堂です。隣にあるダラム城とともに世界文化遺産に登録されています。両方とも11世紀末から12世紀初めにかけての建設ですが、お城の方は何回か大改修が行われています。大聖堂の方はほとんどが初期の建造物のまま残っているという凄さです。

ハリーポッターの撮影で使われたことでも、有名になりました。お城の方も貫禄充分の重厚な建物で、全部がダラム大学に移管され、大学のゲストハウスや会議室などとしていまでも現役です。大聖堂もお城も小高い丘に建ち、町のどこからも姿が見え、ダラム市民の誇りです。

11世紀末というとどういう時代でしょうか。1066年にヘースティングスの戦いに勝利したウィリアム(1世—征服王)がノルマン王朝を立ち上げました。ノルマン・コンケストですね。イングランドの統一王朝のはじまりと言われていますが、北のスコットランドは手ごわく、北への守りの要衝としてダラムでの拠点作りに力を入れたようです。ダラムはその前から北東イングランドでのキリスト教布教の中心地だったことから、この地が選ばれたと考えられます。元からあった教会を取り壊し、ノルマン・フレンチ様式と言われる石造りの当時としては壮大な聖堂を作り上げました。それまでのアングロサクソン建築には高層の石造り文化はなかったので、当時の被征服民族のアングロサクソン人は度肝を抜かれたことでしょう。北への守りとともに、ノルマン人の凄さを誇示する目的があったことは間違いないでしょう。北東部キリスト教の中心としての大聖堂と要塞としての城、この2つはセットでした。

ノルマン・フレンチ様式とは何でしょうか。ウィリアムは仏国ノルマンディーの領主で元は北欧系(というか欧州各国を荒らしたヴァイキング)ですが、何代もフランスに住みついたフランス人です。もちろん言語はフランス語で英語は全然わからない。教会もノルマンディー地方の建築技術を持ち込んだことは間違いありません。だからノルマン・フレンチですが、英国人は単純にノルマンとだけ言います。自分たちの歴史遺産が長年の宿敵フランス様式だったとは言いたくないのでしょう。尖塔はこの後の時代のゴシックほど空に向かってそびえてはいません。四角い形でガッシリしています。フランスのノルマンディー地方にきっと似た建物が残っていると思います。それを何とか探したいと思っています。そしてダラム大聖堂の建て方と何が似ていて、何が違うかが少しでもわかったら、楽しいでしょうね。石の種類が違うのはわかっています。ダラム大聖堂建築で大変だったのは、ノルマンディーと似たような石の調達だったという話をダラム大学の歴史の教授から聞きました。

[英国人はタトゥーが好き]

英国人の間でタトゥー(刺青)がごく一般的なのにはびっくりします。男性に多いですが、女性にも結構います。私が通っている町のジムに来ている男性の2人に1人はタトゥーという感じです。ロッカーでその凄さを実感しています。腕から肩にかけてビッシリという人も少なくないです。かといって決して怖そうなオジサン、オニーサンには見えない。私はまだ見つけていませんが、どの町にもタトゥー屋がごく当たり前にあって、繁盛しているそうです。恰好いいからという理由のようですが、特にサッカーファンに多いとも言われています。あのベッカーのタトゥーは結構すごいですからね。1960年まで英国は徴兵制があり、兵隊に行くとタトゥーをするような風潮もあったようです。庶民レベルに多くて上流には少なそうですが、とにかくこれは日本と英国の価値観や風習の違いとしか言いようがない現象です。他のヨーロッパではこんなにタトゥーは多くないと思います(観察してみます)。ちなみにどのタトゥーも比較的単純な絵柄か、十字架、人の名前か宗教的な文字などが多いです。

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