仏を視座とするドイツ論(3)

『ドイツ「一人勝ち」にしのびよる衰退』

その強さの背景と懸念される長期停滞シナリオ

(3)

(承前)

メルケルの政策に見るべきものはあるか

メルケル首相は、米国フォーブス誌によればFRBのイエレン議長を上回る世界最強女性とされているが(Forbes 2014年 5月 28日号)、現実はフランス経済誌レクスパンシオンが言うように失政もないが実績はゼロ。ドイツの日刊紙ディヴェルト(Die Welt)によれば、内政面で2009年に公約した連邦制、年金制度、社会保障、地方自治財政、法人税、付加価値税の改革は手つかず、このままでは「ドイツは破綻」していくとさえ批判している。ドイツ・モデル再構築のための最重点課題である人口政策は、経済の長期展望に決定的な影響を与える。今、ドイツで議論されているのは次の4点である。①定年退職年齢の67才への延長、②女性就労の促進、③若者の22才からの労働市場参入の奨励、④年間20万人の移民労働者の流入促進。

今後 50 年間に移民を1000万人受け入れる「移民立国」構想を提唱し、移民が農業分野や人口ヒラミッドを改善し、介護分野の労働力となると期待されている。定年と年金支給との繋がりはどこまで調整可能か。フランスと対極で日本に似た保守的な風土で女性の地位をどう向上させるか。ドイツはワイマール時代より企業内研修と職業学校という二元的人材教育訓練制度(「デュアル・システム」)を発足させてきたことで早期に多くの卒業生を仕事に就かせることに成功し、若年失業率を低位に抑えることができて来たが、高学歴教育の普及で若者の労働市場参入が遅くなって来ている。どの目標も達成は容易ではない。さらに原発停止決定と最低賃金制の導入がドイツの競争力をさらに低下させるだろう。2022年までに国内12カ所17基の原発が停止することで、ドイツはエネルギーの高コスト国になる。解体コストの増大、風力発電などの代替エネルギー推進の遅れ、4440kmに及ぶ送電線設置やスマート・グリッドの遅れなどから原発全廃の先送りは必至である。時給8.50ユーロの法定最低賃金制の2017年導入はドイツ人全労働者の2割にも影響が及び、企業経営に予想以上の巨額な追加コスト負担を強いると財界は懸念する。

メルケルとこれまでのドイツの首脳との違いは大きい。ドイツ現代史において保守革新を問わず過去の政権にはそれぞれ明確な政治経済上の目標とテーマがあった。アデナウアーには新生のドイツ連邦共和国を西側陣営に首尾よく軟着陸させること。ブラントには東方政策で戦後外交方針を転換させること。シュミットには多極世界のなかで欧州経済を相対化させること。コールには東西両ドイツの統一と欧州統合をリンクさせること。シュレーダーにはアジェンダ2010の構造改革を実行すること。それぞれ重点課題に対する取り組みがなされてきた。しかしメルケルになってからの2005年以降はこのような政策上の努力目標が全く存在しない。なにが争点であるかが不明である。次の選挙対策以外のことしか見えてこない。

人口減少や所得格差、それに貧困の拡がりなどをドイツ自身が抱える問題のほか、ドイツの輸出と成長の起爆剤である新興諸国の成長ブームが頓挫してしまった。既に中国の成長率はここ数年でそれまでの半分の7%台にまで大きく減速している。さらに中国の自動車メーカー自身が高級ブランドの乗用車を中国市場のみならず、世界中に輸出する戦略を検討している[※12]。このような競争の優位性剥落はドイツが誇る中間財や産業機械の分野でもありうる話である。[※13]ドイツ自身の経済成長率は2014年第1四半期0.7%の微増、第2四半期遂にマイナス。輸出主導型のドイツ経済成長モデルに暗雲が立ちこめ始め、多くの民間予測は1%を下回る。「表面上の経済の強さが長期的な脆弱性を覆い隠していた」とフィナンシャル・タイムズは警告している(2014年9月1日付)。

 

欧州経済危機の行方〜ユーロ危機を理解できないメルケル首相と的中したケインズの予言

メルケル首相の欧州政策はドイツ本位の単独主義の色彩が濃い。第1に欧州統合の進め方は余りにも「弱火」であり、ドイツの国家的エゴイズムと疑われても仕方ない。シュミット元首相などはこの半世紀の間、歴代のドイツ政府が成就することのできた近隣諸国との信頼関係を「濫用」するものだと怒りをあらわにしている。第2はメルケル首相の推進する緊縮政策の最大の欠点は、「すべてのEU加盟国が成長安定協定を遵守すれば万事がうまく運ぶ」という誤った考えに基づいていることである。OECDは2007年以降のドイツは加盟国のどの国よりも構造改革をしてこなかった国だと報じている。第3に問題であるのは、メルケル首相とフランスのオランド大統領の脳中には、政府間協議が唯一の問題解決の方策だという考えしかなかったことである。

アンゲラ・メルケルはハンブルグ生まれだが、ベルリンの壁崩壊まで東ベルリン郊外1万7千人の小都会テンプリンで過ごし、化学物理学修士号を持ちながら同時にCDU(キリスト教民主同盟)と合併した東独のプロテスタント教会の考えに近い「民主主義の出発」( Demokratischer Aufbruch)という政治運動のスポークスウーマンであった。当初、コール政権のCDU内での東独出身の「操り人形」と形容されたが、ショイブレやコールの不祥事などから彼女が急浮上して2005年にCDUトップに上りつめた。戦後の首相のなかでアデナウアーもコールもカトリックでフランスに親和的な精神構造を持ち地理的にもフランスに近いラインラント(ライン河のドイツ領沿岸地域)出身だったが、プロテスタントで東独育ちのメルケルになってから、ドイツは中東欧(Mitteleuropa)寄りに大きく舵を切り替えたのである。ここからフランスに対して従来よりも慎重でかつやや「敵対的」、さらにカトリック的伝統の強い南欧諸国との関係に距離を置くようになったのである。

このような宗教的非対称性に加えて、生まれてから35才まで欧州連合の国に足を踏み入れたことのなかったメルケル首相には、欧州的な「フィーリング」や西ヨーロッパ的センスの欠如を否定できない。欧州市民という現実感覚は幼少時代や青春時代の人間関係によって培われるもので、首脳会談のような儀礼的な外交的な接触だけでは育まれない。このことの重要性は、メルケル首相の率いるCDU・FDP中道右派連合政権がバーデン・ヴェルテンベルグ州選挙で敗北を喫した後に発表した原発ゼロという衝撃的なエネルギー政策転換ニュースの裏に隠れて、十分に理解されないままである。

ユーロ経済圏が日本型の長期停滞デフレ―ションに向かうのかどうかが大きなテーマになってきた。今後、インフレターゲットを視野に入れた政策目標に対して問題となるのは、ドイツ人に特有な「聖なるインフレ恐怖症」である。このインフレ恐怖症はインフレ容認的なフランスや周辺欧州諸国と全く軌を異にする。インフレ恐怖は、単なる感情を超えてドイツの政治指導者が第2次世界大戦の時から意図的に労働組合の合意を背景にして掲げてきた国是とも言える。今、これがユーロ圏経済を崩壊に導く可能性として現実味を帯びてきた。

すべては1923年に始まった。その日の朝、ドイツでは誰もが想像もしなかったような激しいインフレに見舞われた結果、誰もが身に余るような札束を抱えてパンを買いに行かざるを得なくなった。1919年に調印されたあのベルサイユ条約によってドイツはフランスを中心とする戦勝国の側から天文学的な賠償金を課せられた。ドイツは巨額の賠償金支払いに対して最初は持ちこたえたが、ドイツ・マルクの価値は1922年以降急速に失墜し、その信用は瞬く間に崩壊。1922年に対米ドル420マルクだった為替レートは1923年には4200マルクに暴落したのだった。通貨の流通速度が自己増殖して止まらなくなった。このとき和平条約締結の交渉メンバーの一人であった英国のケインズはすかさず、「もし我々が巨額賠償金要求でドイツを過度に苦しめるなら、その復讐は恐るべきものになると敢えて予言する」とその著『和平の経済的影響』[※14]のなかで予言したのだった。想像を絶するハイパー・インフレーションはドイツ国民を窮乏に陥れた。ヒットラー時代の経済大臣H.シャハトが新通貨レンテンマルク(Rentenmark)[※15]を導入して事態は収束したが、その代償はドイツ人が保有していた金融資産をほぼ完全に失わせるものであった。このエピソードはドイツ人の心に深い傷跡を残すことになった。それでも第2次世界大戦後に実行された通貨改革によってその精神的トラウマが呼び起こされなければ、あの時から1世紀たった今、現在のドイツ人の精神と行動に引き続き影響を与えることはなかったかもしれない。

ドイツの物価上昇に対する異常な警戒心や根強い反インフレ感情は中央銀行のブンデスバンクの政策効果だけでなく、ドイツ社会を支配するコンセンサスになっているのだ。とりわけ労働組合は産業別賃金交渉においても自発的に賃金引上げを抑制することで物価と賃金の連動性を断ち切っている。この構図は賃金コスト・プッシュ・インフレが日常茶飯事の仏、英、伊には見られない。フィリップス曲線[※16]の方程式が通用していない。もう60年以上も労使間で成立してきたこのような合意が今後も継続するのは、ドイツがこれから利益を得ているからである。ドイツ産業界はなによりもコスト面での国際競争力の優位をこれによって享受し続けている。他の国はドイツとのコスト格差に耐えられず度重なる切り下げに追い込まれた。1960年から1987年までの間にフランの対マルク相場は2.9倍も切り下げられた。この切り下げが過去の実勢を正しただけで、実際に長続きする効果を与えるには程遠いものであった。ドイツ・マルクの安定は、低い金利、投資環境、堅実な貯蓄率などに結びついて、反インフレというデフレ政策が資産の保証を確かなものにして年金生活者を中心に多くの支持を得ているのである。

 

競争的ディスインフレ政策は欧州統合崩壊への「劇薬」

1999年の共通通貨ユーロの導入は経済政策の前提を大きく変えた。ユーロ加盟国は為替レートの調整という経済政策運営に係わる自由裁量権を喪失することになった。マンデル・フレミングの開放経済モデルから閉鎖経済モデルへと逆戻りしたのである[※17]。そして98年にゲルハルト・シュレーダー社会民主党政権の登場によって、競争的ディスインフレ政策が一層強化した形で打ち出された。ドイツの国際収支は経験もしたことのない巨額の黒字を計上、赤字の拡大する近隣諸国は通貨切り下げもできず対外不均衡の是正が不可能なままだった。ユーロ統一通貨圏という新たな経済環境において、ドイツの競争的ディスインフレ政策は、共通通貨と欧州統合そのものを崩壊に導く「劇薬」になる可能性を秘めているのである。ユーロ通貨システムという制約条件下にあってはドイツの物価政策アプローチの修正は、政治的にもっとも難しい命題である。要はドイツが3~4%のインフレ、ギリシャ、イタリア、スペインが1%のインフレを実行すれば不均衡は修正できるのだが、あの日以来、60年間、成功裏に続けてきた競争的ディスインフレ政策を変更するのは、言うなればかつてのローマ法王に「地球は太陽の周りを回っている」ということを認めされるのと同じ位、現時点では不可能に近い話なのだ[※18]

金融危機の収束を見越して想定された「出口戦略」は発動されることなく、財政緊縮政策一辺倒の局面が延々と続く。欧州連合(EU)ではギリシャ、アイルランド、ポルトガルなど公的債務超過による破綻危機が連鎖するなか財政緊縮政策が金科玉条の選択とされた。EUの経済政策についてはいくつか解明すべき課題がある。①債務処理によるバランス・シート回復が果たして首尾よく「平時の戦略」としての経済政策復帰を可能にするか。②2009年1月15日以来金利引き下げが続いて2014年9月以来0.05%という史上最低水準にある政策金利は、果たしてEU国民所得水準の引き上げにつながるのか。③金利水準が低位で推移する最中の財政出動は民間部門の投資行動抑制につながらないのか(クラウドアウト)。④米国では「財政の崖」回避のために財政出動が取られるのではないか。

ユーロ圏のインフレ率は目標の2.0%に遠い0.7%で推移、2014年の成長率も1%に下方修正され、2.0%インフレ目標の達成は2016年以降に延ばされた。足元を見れば今やGIIPS(ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペイン)に代わってユーロ経済枢軸国のFIG(フランス、イタリア、ドイツ)にデフレの赤信号が点滅し始めた。欧州中銀の政策金利0.05%という低金利によって現金需要が無限大になり金融政策が効力を失う「流動性の罠」の定着が懸念される。今こそドイツ一人勝ちが危険なゲームであることに気づき、インフレ目標がターゲットとなるようドイツの経済政策の転換が期待される。了

 

※12 「第一汽車グループの経営戦略及び海外進出の可能性に関する分析」2013年 帝京大学経済学部経営学科 修士論文 張其

※13 太陽光パネルの中国の対欧州輸出額は2011年すでに210億ユーロにも達している。

※14 The Economic Consequences of the Peace by John Maynard Keynes 1919

※15 ドイツにおけるハイパーインフレからの経済立て直しのため、1923年から発行された臨時通貨で不換紙幣。

※16 賃金上昇率と失業率との間に存在する負の相関関係。アルバン・フィリップスが英国で1862年~1957年に発生したその関係を1958年に論文として発表。サムエルソンはより失業率と密接な関係がある物価上昇率と失業率との関係として解釈、これらが「フィリップス曲線」と呼ばれる。インフレが起こると失業率が下がり、失業率が上がると物価が下がる。しかし、1990年代以降先進国では極端なインフレが起こらない「ディスインフレーション」の進行にもかかわらず失業率は上昇するという現象が起きてフィリップス曲線では説明が難しい状況。

※17 R.マンデルとM.フレミングが開発したモデル。ケインズ経済学の国民所得の決定に財政支出IS曲線と貨幣供給量LL曲線を利子率を介在して固定相場制と変動相場制のそれぞれのケースに照らし合わせて説明しようとするモデル。

※18 Made in Germany LE MODELE ALLEMAND AU-DELA DES MYTHES、 Guillaume Duval、 Seuil 、 Janvier 2013 P.61

 

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