仏を視座とするドイツ論(1)

『「一人勝ち」ドイツの衰退からEUの崩壊へ』

開講の辞に代えて

2015年2月
帝京大学教授 瀬藤澄彦

 

ECBの異次元緩和期待が世界の為替・債券・株式市場を大きく左右して既に久しいものがあります。その期待の源がギリシャを始めとするPIGS(葡・伊・希・西)と最近は追随懸念がささやかれる仏の財政・金融事情であり、救済には見向こうとしないドイツの一人勝ち状態です。

ドイツ一人勝ちの状態は長続きしないと思います。2013年に米国財務省[※1]と欧州委員会が立て続け的に発表した「ドイツ型緊縮モデル批判」、それに東方パートナーシップ協定(EUとウクライナほか東欧6カ国との間の連合協定)における地政学的動揺がそれを物語っています。

このシリーズでは、欧州経済統合論を専門とする私、瀬藤澄彦がフランスに視座を置きつつ、ドイツ「一人勝ち」の要因として、低い女性の地位、人口ボーナス、ヒンターランド、域外新興国の各項に加えてメルケル首相論を展開して、ユーロゾーンの競争的ディスインフレ政策が欧州統合崩壊の引き金になる可能性について論じます。サイト・ブラウザーの方々には奮ってポレミークに参加して下さるよう期待します。

  1. ドイツ「一人勝ち」はなぜ
     (1)    女性の地位の前近代性
     (2)    一時的な人口ボーナス効果
     (3)    ローコスト・ヒンターランド
     (4)    域外新興国のニーズ
     (5)    ユーロゾーンの低金利・ユーロ安効果
  2. ドイツモデルの基盤的ゆらぎ
     (6)    低出生率がもたらす人口オーナス効果
     (7)    中国の停滞
  3. メルケル論
  4. ユーロゾーンのディスインフレ政策と欧州統合崩壊の芽

『ドイツ「一人勝ち」にしのびよる衰退』

その強さの背景と懸念される長期停滞シナリオ

(1)

はじめに

欧州経済の機関車、ドイツ経済に黄色信号がともり始めた。経済成長を支えてきたドイツ・モデルの基盤が次第に綻びを見せ始めた。時代遅れの女性観を背景とする人口減、人口ボーナスの切れ始めた少子高齢化、新興国市場依存の輸出主導型製造業。昨日までの競争優位が急速に揺らぎ始めた。衰退の前兆か。ユーロ経済圏が長期デフレ経済の様相を強めつつあるなか、中東欧における地政学的動揺で混迷深まる東方パーナーシップ政策、100年前のベルサーユ条約にさかのぼる反インフレ体質の帰趨、3期目のメルケル政権の真価が今、問われている。日本で言われる「ドイツ一人勝ち論」は性急な指摘である。米国の財務省[※1]と欧州委員会[※2]から立て続けに発表されたドイツ型緊縮モデルに対する批判がそれ物語っている。

 

1 なぜドイツは『一人勝ち』したのか

(前近代的な女性の地位が男性主導の製造業を支える)

ドイツ産業の競争優位はドイツの非常に伝統的なジェンダーの役割分担の影響が大きい。戦後、ドイツ連邦共和国はキリスト教民主党勢力によって再建された。この党派の考えは多少社会的な性格があるものの、価値観は非常に保守的で、とりわけ女性の地位についてそれが著しい。日本ではまだ十分に紹介されていないが、ドイツでは女の役割は子供とともに家庭のなかにあり、男は世帯主として家計を立てるものという考え方が支配的である。確かに68年5月危機世代の影響の点ではドイツの女性解放運動はフランスよりも前衛的でさえあったが、今日のドイツ社会では女性は、モデルというにはまだまだ不十分と思われるフランスに比べて遥かに男性に従属的な地位にある。これは、単なる社会的な問題にとどまらず、ドイツとフランス両国の経済のあり方に直接大きな影響のある大きな問題である。ドイツでは女性は職業を選ぶか、母親になるかの2者択一の選択を迫られる。このことが結局は低い出生率となってこの国の将来に大きな脅威となっている。

このような女性の地位に関する非常に前近代的な実態がほかの欧州国諸国でも見られないようなドイツ労働市場の2重構造を形成する要因になっており、さらに男女間の所得格差拡大対する無関心となって現れている。重要なことは、これがドイツ製造業の国際的価格競争力の強さの背景であることだ。すなわち、非常にコストの低い女性労働力が圧倒的に支える第3次サービス産業を介して、ほとんど男性労働力が占める製造業部門の国際的なコスト優位が可能となっている。戦後の1949~63年にかけてのK.アデナウアー時代は奇跡の経済成長、独仏関係の修復、欧州統合の準備などの時期として知られているが、実はキリスト教民主同盟のアデナウー時代は戦後のドイツ社会は「重い鉛のような」保守主義で覆われていた。皇帝ウィルヘルム2世が20世紀のはじめ、ドイツ社会における女性の地位を3Kと表現した。3Kは育児(Kinder)、料理(Kueche)、教会(Kirche)のドイツ語の頭文字である。戦後のアデナウワーも女性に関しては3Kに固執した。1960年代以降、ドイツでも女性解放運動が活発になったが、男女関係に関してはフランスに比較した場合、はるかに保守的で不平等である。全体として女性の雇用率はドイツがフランスより高いものの、25才から54才の労働力人口における女性の割合はわずかにフランスが上であるが、問題はその数字の実態である。女性の期限付きの不安定な雇用がフランスではここ15年間30%台で安定しているが、ドイツでは1995年に30%だったのが45%に、その後も急上昇しているのである。

 

(急速な高齢化の一時的なプラスの影響)

人口構造の高齢化がこれまではドイツの人口ボーナス[※3]に繋がってきた。15才以下人口の割合は1999年から2011年の間にドイツでは15.8から%13.3%へと200万人の子供人口の減少があった。この間、フランスでは逆にこの子供人口は60万人増加したのである。増大する若者人口はフランス経済に富をもたらすものであるが、当面は教育、住宅、余暇施設など公的支出がかさむ。すでに老齢人口はドイツがフランスを上回っているが、非労働力人口の負担はこの幼少人口の多さからフランスにより重くかかっている。ドイツの15才から64才の人口が2000年~2012年にかけてドイツでは170万人も減少したのにフランスでは280万人も増えているのである。このため同期間にドイツでは失業率は100万人以上減ったのに、フランスでは70万人の増加となっているのである。総人口全体でもドイツ37万人減少、フランス49万人増加。このような人口構造の違いが実は企業と家計の双方のコストに無視し得ない大きな影響を与えているのである。例えば1996年~2010年にフランスの不動産価格はスペイン同様2.5倍高騰したが、ドイツではほとんど値上がりしなかったのである。2011年、フランスの1M2当りの不動産価格は3800ユーロ、ドイツのそれは1300ユーロという何と3対1の開きがある。大都市のパリとフランクフルトの間では1M当り8000ユーロと3000ユーロと2倍以上の違いとなっている。不動産価格を巡る独仏間の信じられないような乖離こそドイツ産業のコストの低水準、及び賃金コストの抑制に直結しているのである。

欧州委員会の予測によると50年後の2060年にはドイツの人口は現在の8300万から6700万に急減する。フランスの人口はその間、6500万から7400万となるが、2045年に独仏の人口の逆転が起こる。ドイツでは15才以下と65才以上の非労働力人口は2030年よりフランスを上回るようになる。人口ボーナス[※3]のおかげで2000年代のこれまで有利に動いていた状況は、製造業雇用者であったベビーブーマー世代の定年退職によって生じる雇用者の空白を埋めるには十分な労働人口ではなくなり続かない。さらに高齢人口負担が増大するにつれて、すでにフランスの水準と余り変わらないドイツの公的債務水準はフランスを確実に上回るような高い債務レベルになる。2010年以降、ドイツの国庫債券の利回りが格付け評価されたことによって実質マイナス水準となり、このことがドイツ経済に実態以上の恩恵を与え、それが欧州における政治的なリーダーシップに繋がっていったでのである。

 

(中東欧諸国という「安上がりな」工場)  

ドイツ経済は人口高齢化のボーナス現象に加えて、崩壊した旧ソ連邦とEUに加盟した中東欧諸国から最大限の利益を得ている。確かにドイツ統一の経済的なコストは旧西独にとり巨額であったが、これら旧ソ連・中東欧諸国[※4]は実は旧西ドイツの産業に対して新たな市場と投資先としてまたとない企業立地空間を提供した。1600万人の東独に比較して1億100万人に上るこれらの国々は歴史的にドイツとの暗い過去の関係を残しているが、ドイツ産業がここを市場支配するのに時間はかからなかった。西独企業は買収した旧東独企業の持っていたネットワークを最大限利用した。ドイツ産業はこれらの地域をヒンターランド(後背地)として位置づけて、コストの安いコンポーネントや部品を生産する供給基地にすることによって国際競争力を高めることが可能となった。供給基地となったこれらの国に対してはドイツから産業機械など資本財の輸出が急増した。ドイツ経済は1990年代に輸出主導型経済へ大きな変換を遂げた。それまでGDPの23.7%(1995年)だった輸出が2012年には約2倍の51.9%にまで上昇した。ドイツの貿易収支は巨額な黒字を計上するようになった。ドイツの輸入も中東欧諸国を中心に急増し、その対GDP比は同期に47.4%に達した。すでに2001年よりこれら中東欧諸国の対独輸出はフランスを上回るようになっており、さらに2009年には中国がフランスに代わってドイツの第1位の貿易相手国になった。ドイツの海外直接投資もこのような貿易構造の変化を反映して今や中東欧諸国がフランスを上回る第1位の投資先になった。すなわち1995年のドイツの対外直接投資先国の順位はフランス(190億ドル)、中東欧(73億ドル)、中国(11億ドル)であったが、2009年には中東欧(830億ドル)、フランス(630億ドル)、中国(300億ドル)と中東欧諸国が第1位に躍り出ている。ドイツの貿易と投資の最重点地域がフランスから中東欧諸国に移行した。しかし2004年と2007年の中東欧諸国10カ国のEU加盟はこのような競争優位をフランスから奪い去ってしまった。ドイツィ企業が進出するルーマニアやポーランドと5倍もの人件費の差がつく新たな現実のなかで、ほかの欧州諸国は国際的な競争優位を失ってしまった。ドイツ経済の労働コストの低い中東欧諸国との関係が深まっていくことについて当時、ドイツ産業の空洞化が心配された。しかし結局は中東欧へのドイツ企業の工場進出はドイツ経済にまたとない順風となった。中東欧地域圏に生産拠点を拡大するという経営戦略はドイツの共同決定方式に負うところが大きい。ドイツの労働組合は労使共同の経営協議会(Bertriebsrat)の協議を通じて最終的に中東欧に生産をアウトソースすることが長期的に産業空洞化につながらないという認識から反対に回らなかったのである。(以下次号)

 

※1   米財務省は2013年10月30日、為替報告書を発表、ドイツの輸出依存度の高さが欧州経済の安定を阻害し、世界経済に悪影響を及ぼしているとの認識を示した。ドイツなど輸出依存度の高いユーロ圏諸国に対し、国内経済の拡大にさらに注力して、欧州経済の安定度を高めるべきだと主張。ドイツの内需の伸び悩みと輸出依存が(ユーロ圏経済の)リバランスを妨げているとし、この結果、ユーロ圏と世界経済にデフレバイアスが生じていると指摘した。

※2   欧州委員会は2013年11月13日の報告書のなかで、2013年は対GDP比7%に上ったドイツの貿易黒字は、2014年は6.6%、2015年には6.4%へと若干下落するものの、これが「マクロ・インバランス」規則違反であることには変わりない。欧州委員会はドイツに、EUのパートナー国の負担で過剰な貿易黒字を出し続けていることに対して制裁される可能性があると警告、ドイツ政府がヨーロッパの不況脱出支援に殆ど貢献していないとの批判において米財務省に賛同。EUオッリ・レーン経済・通貨担当委員が欧州委員会の四半期報告書公表後に発言。ドイツの経常黒字は2015年まで看過出来る水準を超えると。

※3   人口ボーナス(Demographic Dividend)とは、人口動態が経済活動に及ぼす影響のうち、特に人口構成の変化が「経済成長にプラスの影響を与える状態」のこと。子どもと高齢者の数に比べ、働く世代(生産年齢人口:人15~64歳)の割合が増えていくことによって経済成長が後押しされる。教育・医療・年金などの社会福祉の負担が少ない一方で、税収が増えて財政負担が軽くなり、インフラ整備や税制優遇に資金を回しやすく、その結果、産業の国際競争力が強くなり、内需も拡大する。日本では1960~1980年代に生産年齢人口がピークを迎え、人口ボーナスの影響を日本経済が享受できたとされている。人口ボーナスとは逆に人口構成の変化が経済成長にマイナスの影響を与える状態のことを「人口オーナス」という。金融用語集より。

※4   2004年にポーランドなど中東欧8カ国、2007年にはルーマ. ニアとブルガリアがEUに加盟した。中東欧諸国の11カ国でフランス国立経済社会統計研究所(INSEE)がPays d’Europe Centrale et Orientale / PECOと呼んでいる国々である。ブルガリア、クロアチア、エストニア、ハンガリー、リトアニア、ラトビア、ポーランド、ルーマニア、スロベニア、スロバキア、チエコの国々。

 

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