【レポート】第19回パリクラブ輝く会講演「孫だから語れる渋沢栄一の秘話」

凛とした姿から立ちのぼる、渋沢栄一の息吹き

講演終了後は、立食パーティが開かれました。

鮫島さんの著書の愛読者である栢菅さんは、
「先生の御著書には、旦那様を看取ったときのお話をはじめ、以前からとても感銘を受けていました。難しい宗教の話題なども、聞いていて抵抗なくすっと入ってくる。今日のお話も、人生のお手本になるような素晴らしいものでした」
と話してくれました。栢菅さんのお姉様の加藤さんは、
「妹に誘われたのですが、話のスケールが物凄く大きくて驚きました。戦争を経て自分はまだ人間としては未熟だと思い至るその謙虚さには、深く心を動かされました。渋沢栄一の理念をいつも頭において、自分も世界を平和にするために何が出来るだろうと精進なさっていることは、お話だけでなく、佇まいからもひしひしと伝わってきました」
と話してくれました。

栢菅さん(右)と加藤さん

栢菅さん(右)と加藤さん

IT会社の経営者の菅野さんは、
「渋沢栄一は自分にとっては神様のような存在なので、友人から誘われて二つ返事で来ました。先生のお話を聞いてしみじみ感じたのは、魂を磨くことの大切さです。経営者が忘れてならないことだと思います」
と話してくれました。

菅野さん

菅野さん

福沢諭吉の末裔でいらっしゃる中上川マリさんも、渋沢栄一から頂いたというブローチを持ってご参加くださいました。
「同じ時代に生きているので、心に残るお話に感動いたしました。私は91歳ですが、きりっと姿勢を正して講演された96歳の鮫島さんの姿に感化されました」
とのコメントをいただきました。

左から2番目が中上川さん

左から2番目が中上川さん

こうして、2時間半に渡る講演とパーティは幕を閉じました。それにしても、中上川さんも指摘したように、鮫島さんのきりっとした姿勢は、とても96歳とは思えませんでした。しかも、鮫島さんは講演中、一貫して立ったままだったのです。司会の畠山奈保美氏が気遣って着席を薦め、一旦は椅子に座ったものの、「会場の一番後ろのお客様まで視界に入れて喋りたい」という希望を述べ、再び立ち上がると、最後まで席に着きませんでした。さらに驚くべきことに、パーティの間中も、来場者と立ったまま歓談を続けたのでした。その立ち姿と凛とした声に、誰もが、“カリスマ” 渋沢栄一の息吹きを感じたはずです。

最後に、冒頭ちょっとだけ触れた、ポール・クローデル協会会長ユベール・マルタン氏の鮫島さん宛の手紙を、畠山氏の翻訳にて全文掲載させて頂きます。

Madame Samejina Sumiko
(鮫島 純子 様)

Chère Madame,
Bien que je n’aie pas l’honneur de vous avoir rencontrée, votre nom m’est connu et admiré grâce à celui de votre grand-père, tout particulièrement en cette année 2018, où nous célébrons le cent-cinquantième anniversaire de la naissance de Paul Claudel.
(拝啓、お目にかかる機会はございませんでしたが、渋沢栄一氏のお孫さんである貴女のお名前はよく存じ上げておりました。特に2018年は、渋沢栄一氏と親交のあったポール・クローデルの生誕150周年にあたり、その記念行事が沢山開催されています。)

Celui-ci, quand il était ambassadeur de la France au Japon, a voulu créer à Tokyo une institution destinée à accueillir notamment des manifestations en vue de mieux faire connaître la culture française au Japon et de développer les relations culturelles entre les deux pays.
(ポール・クローデルは、駐日フランス大使として日本に住んでいた時、日本でフランス文化の理解が深まり、二つの国の文化的な関係が発展していくことを目的とした行事を受け入れる機関を設立したいと考えていました。)

Pour réaliser ce projet, il avait besoin d’un soutien moral et financier du Japon et il a obtenu de votre grand-père, avec lequel il était lié, un généreux et efficace mécénat, sans lequel rien ne se serait fait.
(しかし、この計画を実現するためには、日本で物心両面にわたる支援が必要でした。そして、ポール・クローデルは貴女のご尊祖父様に出会い、二人の間には素晴らしい関係が築かれました。御尊祖父様はこの計画の意義に賛同し、惜しみない資金援助をして下さいました。この支援無しには、ポール・クローデル計画は成し得ず、今日の日仏会館も存在しなかったことでしょう。)

C’est en reconnaissance de cette contribution exceptionnelle, que j’ai voulu, par cette lettre, en rappeler le souvenir, toujours vivant et ému dans la famille de Paul Claudel et chez la Société Paul Claudel que je préside.
(このような類い稀な素晴らしい支援をして下さったことに心より感謝しております。ポール・クローデル家や私が会長を務めるポール・クローデル協会において、御尊祖父様の功績は今も鮮やかに生き続けております。私たちの感謝、尊敬の気持ちをお伝えしたく、このような手紙をしたためました。)

Je citerai également, pour mémoire, le prix Shibusawa-Claudel, remis chaque automne dans les salons de l’ambassade du Japon en France, et auquel j’assiste toujours avec un grand intérêt. Je vous prie, chère Madame, d’agréer, avec mes hommages, l’assurance de mes sentiments respectueux et les plus sincères.
(最後になりますが、渋沢・クローデル賞は、毎年秋に在仏日本大使館で授与されており、私も毎年参加させて頂くことを光栄に思っております。)

Hubert Martin
Président
de la Société Paul Claudel
(ポール・クローデル協会 会長
ユベール・マルタン)

94年前の事業が、この日、不思議な絆となって、出会う筈のなかった人と人の縁を結んだことを考えると、今なお渋沢栄一の理念が生き続けていることを強く感じずにいられませんでした。

講演後にパリクラブ輝く会のみなさんから、鮫島さんへ花束が贈呈されました

講演後にパリクラブ輝く会のみなさんから、鮫島さんへ花束が贈呈されました