【レポート】講演シンポジム「ル・コルビュジエの浮かぶ建築」〜セーヌ川洪水による災害を克服しようとする桟橋プロジェクト~

セーヌ川に沈んだ船体引き上げの具体的手法とは?質疑応答も白熱

講演の後、遠藤教授、タルディッツ教授、西田社長を中心とした短い討論会が開かれました。タルディッツ教授は、「アジール・フロッタンは、コルビジェのキャリアの中でも重要なピースを形作る作品にも拘わらず、マイナーな仕事として位置付けられてきました。特に、70年代80年代には、フランスの若い建築家たちの間では、よく口端に上っても、どこにあるのかすら知る者はほとんどいない、都市伝説のような作品でした」と当時の模様を語る。西田社長は、「私どもは鉄鋼業界に属しているのですが、ステンレスは普通鋼の3%ぐらいしか占められていないというニッチな世界なわけです。アジール・フロッタンを広く知って貰うために、遠藤先生が昨年有楽町ASJ TOKYO CELLで開いた『アジール・フロッタン再生展』は、ステンレスの業界誌ではカラー写真入りで紹介され、また、海外の業界誌にも紹介されました。この浮かぶ避難所に対する人々の関心の高さに驚いた次第です。私どもが手掛けさせて頂いた桟橋が出来、将来パーティに参加出来れば最高だなと思っています」と述べました。遠藤教授は、「今、アジール・フロッタンを復活させることはどういう意味を持つのでしょうか?」という瀬藤氏の質問に対し、「アジール・フロッタンは、第一次大戦時の難民、第二次大戦移行の経済難民といったヨーロッパにおける大きな社会問題を受け止めてきました。今、難民問題は、国だけでなく、我々一人一人が向き合わねばならない問題。日本でも今後そうした事例が間違いなく増えてくるはず。我々は、いつどこで難民になるか分からない時代を生きています。そんな社会の中で、『浮かぶ避難所』アジール・フロッタンは、難民について考える手掛かりになるはずです」と述べました。これに続いて、質疑応答が行われました。最初の質問者は、「文化財に指定された時期、文化財として指定されるとどういう規制があるか」と質問。遠藤教授は「2015年、歴史あるコンクリート構造物としての評価を受けました。コンクリートによる構造は変えられません」と述べました。続いて「コルビジェ財団が管理しているか?」と質問、「コルビジェ財団は一切管理していません。コルビジェの作った建物はそれぞれ窮状にあり、特定の建物の保存に対して特別に援助することはしない方針だからです」と述べました。二人目の質問者は、提言として「具体的に船を動かすのはさほど難しくない。船の周りを厚めの鉄板、すなわちセリ板で囲んで、その中の水を抜いて、穴の開いている箇所を探して直した後、セリ板を抜くんです」と話しました。これに対し、遠藤教授は「問題は予算がないことで、特に船にたまった泥は産廃ということになるため、セーヌ川に流せないんです。陸へ上げて処理せねばならず、結構な費用がかかるんです。それが現在の大きな課題です」と答えました。会場にはコルビジェ研究の第一人者である加藤道夫東京大学教授の姿もあり、遠藤教授から感想を求められ、「1929年の12月31日という日付の入った(船体の署名)写真は今日はじめて見せて頂きました。あの頃のコルビジェは、機械をモデルに設計をしていたんです。サヴォア邸以降は人間をモデルにし始めて古典化していった。そのキワの時代にあたるものがアジール・フロッタンで、それはサヴォア邸等とはまた違うことを痛感しました」と述べました。

マニュエル・タルディッツ明治大学特任教授

マニュエル・タルディッツ明治大学特任教授


来場者の質問に答える遠藤教授

来場者の質問に答える遠藤教授