【レポート】久保昌弘氏講演会「日仏の経済情勢の変化と食の嗜好の変遷」

2010年代、フランスでも日本型ミニマリズムが主流に

久保昌弘氏久保氏によると、ホテルのレストランがミシュランで三つ星を取るようになったのは、90年代に入り、モナコでアラン・デュカス氏によってもたらされてからだそうです。その後、EU統合の進みによって会議が盛んに開かれるようになり、その結果、ゼロ年代にかけて、高まったのがホテル需要だった、というのが非常に興味深いところ。ミシュラン評価の栄枯転変には、社会や経済の流れと大きな関係があったのです。
2000年を境に、フランス国内では経済が再減速し、アンチテーゼ型のビジネスモデルが顕著となったとか。席数わずか24席でメニューは全てお任せという「カルトブランシュ」を始めたパスカル・バルボ氏、ミシュラン三つ星を返上し、値段をかつての半額に切り替えたアラン・サンドランス氏など、数多くの料理人がラディカルな試みに挑戦。
また、リーマンショックによりさらに経済が沈滞化したゼロ年代後半は、高級レストランとビストロの中間であるビストロノミーが活況を呈しました。ミシュランの評価にもこれまでになかった動きが現れた、と久保氏は言います。地方のレストラン、魚料理を得意とするレストラン、女性シェフが高く評価されはじめたのです。ジャーナリズムの中には、この動きについて、経済の沈滞化によって外出控えが予想されるタイヤユーザーの足を、なるべく遠方へ向けようというミシュランのマーケティング戦略だと深読みする声もあったとか。「料理を正しく評価する」というミシュランの理念を考えると、その真意は果たして?といったところではあります。
この時代は、日本もまた経済の低成長期にあたります。ビストロやカフェが盛んとなる一方、国外に活路を見出す料理人が増えたといいます。しかし、ゼロ年代、平松氏が上場し、アラン・デュカス氏が日本に進出するなど、本格的な企業間・国際間コラボレーションが始まったのは特筆すべきこと、とも久保氏は話します。そういえば、ミシュラン・ガイドブックの発刊が日本でもスタートしたのも同じ頃(2008年版より)でした。
2011年からフランスでは、いわばエスコフィエ時代から一貫して進み続けてきた素材重視の料理の行きつく先ともいえる日本的ミニマリズムが主流となっていきます。経済適合を必要とした三つ星レストランでも、安価な素材を、鮮度重視とそれを活かす技術によって、高級料理として表現しようという動きが始まったといいます。
いっぽう所謂アベノミクスによる再成長の兆しが始まった2010年代の日本は、美食の国として世界的評価を確立。東京は、ミシュランの恩恵もあり、世界最高の美食の街として認知されるに至りました。
これについて、「日本の技術力の高さと自然敬愛を裏付けとした食材の優れたクオリティーから、料理の価値とその真なる力を自他ともに感じれることは大変興味深いこと」と言う久保氏。また、カヌレだけ、エクレアだけ、と単品で勝負する専門店が活況を呈していることも、ある種のミニマリズムの現われで、これは、日本文化への新たな自覚の芽生えといえるのではないでしょうか……。
――そんなふうに、久保氏は60年代以降の日本とフランスにおける食の変遷を話すのでした。