【レポート】久保昌弘氏講演会「日仏の経済情勢の変化と食の嗜好の変遷」

グルメブームの種は、60年代に播かれていた

久保昌弘氏

これに続く1975年から1990年頃まで経済成長は続き、その後、バブル崩壊へと向かうのですが、この時期を久保氏は、日本におけるフランス料理の大きな変革期と捉えます。フランスで修行を積み、ヌーヴェル・キュイジーヌの理念と技法を培った日本人シェフたちが帰国し、また、フランス人シェフも多数来日、人材に厚みが出ると共に、グルメブームが到来します。食材面での改革も著しく、その一翼を担った輸入会社アルカンが、盛田グループの傘下であり、グルメブームの約20年前 (1966年)銀座ソニービルに本格的なフランス料理店MAXIM’S DE PARISを開業していたという歴史的な事実は、文化が一日にして生まれないことを強く感じさせます。
1990年代は日仏共に経済が停滞・減速と言える時期ですが、フランスでは比較的安定的に経済維持が続いていた、と久保氏は続けます。90年代前半は、冷戦終結で中東や北アフリカ諸国が西側諸国と交流を深めたことから、スパイスを多用した料理が流行。少量でアクセントが出せ、軽く、保存性の面でも、スパイスは費用対効果が高く、使い勝手に優れていました。さらに経済成長年平均3.2%という好景気を迎えた90年代後半は、リスクを恐れる必要がなくなったことから、設備投資の面でこれまでになかった動きが起きました。物理的・科学的に料理を開発すべく、調理場とは別に“ラボラトワール”と呼ばれる研究施設を持つレストランまで現れたのです。この時代の料理界では、物理学者を巻き込み、液体窒素を活用するなど、画期的変革が起こりました。
いっぽう、バブルが崩壊した90年代日本では、コストパフォーマンスが重視されるようになり、イタリア料理の評価が高まり、フランス料理も、大衆化したものが好まれるようになったといいます。
なるほど、今筆者が思い返すと、1000円のフランス料理のランチが目立つようになったのも、この時代でした。