【レポート】久保昌弘氏講演会「日仏の経済情勢の変化と食の嗜好の変遷」

久保昌弘氏講演会「日仏の経済情勢の変化と食の嗜好の変遷」

政治・経済・観光・交通・ジャーナリズムが、料理を変えた

さる11月30日、赤坂の日本財団ビルにてパリクラブ理事で辻調グループに所属する久保昌弘氏の講演会が開かれました。講演タイトルは、「日仏の経済情勢の変化と食の嗜好の変遷」。EU解体危機が叫ばれる中マクロン政権がスタートして間もないフランス、2年後にオリンピックを控えた日本……と、両国経済の歴史を“食”という切り口で横断的に俯瞰しようというタイムリーな企画だけに、会場には予定の定員数を超す受講者が詰めかけ、静かな熱気に包まれました。

久保昌弘氏食に関して、経済状況はどのような影響を及ぼしているのか?それを語るには、人・モノの動きが食に与えるある種の新しい変化に注目する必要がある――と語る久保氏。氏の話す「経済」とは、「人の動きが食に及ぼすダイナミックな影響」と言い換えてもいいのかもしれません。
久保氏が、まず大きな例として挙げたのは、ミシュラン・ガイド。今では誰もが知る、タイヤメーカー発行のこのガイドブックは当初、車が故障したとき、修理のために立ち寄るガレージやガソリンスタンドの情報誌として配布されたいわゆるフリーペーパーでした。後に有料化され、それに伴い、車で立ち寄れるホテルやレストランの格付けを掲載するようになったのは1931年のこと。元々パリから南仏に抜ける街道筋には多くのレストランやホテルがひしめいており、そう考えると、モータリゼーションと結びついたジャーナリズムが、まっさきに着目したのが“食”の格付けであったのは自然ななりゆきといえます。それが交通網の爆発的な発達で“世界標準”として広がった結果、レストラン評価の社会認知を高め、興味深いことに、大衆化もまた加速されたのでした。
フランス経済における戦後から1974年までのいわゆる“栄光の30年”で、久保氏がフランスの食文化におけるターニングポイントとして挙げるのが、1968年です。五月革命がもたらした政治的・文化的ケミストリーは、学生の主権や女性の自立を促すと同時に、料理にも変革をもたらしました。近代料理の祖といわれるオーギュスト・エスコフィエ氏(1846~1935)以降も、なおバターを多用し重いものだったフランス料理に、新鮮な素材を重視し、加熱時間を短縮させるという動きが起きます。それによって始まった、「盛り付けは斬新に、料理は軽さ追求」という革新は、「ゴー・ミヨ・マガジン」誌上でヌーヴェル・キュイジーヌと名付けられ、大きなムーヴメントとなりました。そして、伝統食文化保護の立場から、食材や工芸の原産地統制呼称の認定も進み、地方料理の尊重提言もされました。
いっぽう、戦後から1974年までに年平均9.1%という類を見ない高度経済成長を果たした日本では、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、本物志向・海外志向が高まりを見せます。また、フランス人シェフに感化され、多くの料理人がフランスに渡り始めたといいます。