【レポート】講演会『英国EU離脱 経済的影響と国際関係の展望』

第一部:
EU分裂と世界経済危機-イギリス離脱は何をもたらすか
ニッセイ基礎研究所 経済研究部上席研究員
伊藤さゆり氏

伊藤さゆり氏

ブレグジットとトランプショックの共通点、リーマンショックとの相違点

イギリスのEU離脱とトランプ氏の勝利には多くの共通点があります。
双方とも専門家の事前の予想を裏切る結果になりました。また勝利した離脱派やトランプ氏はポピュリズムに訴えるキャンペーンを展開し、その手法はメディアから批判されていましたが、結果的に多くの方に指示され勝利しました。経済的な繁栄から取り残された層を取り込んだこと、既存メディアが真実を報じていないと主張したことも共通していました。
市場の反応が事前の予想とは異なる動きをしたことも共通しています。日本市場への影響は双方とも株安が予想されていましたが、実際には大幅安後に急反発し、その後は事前の株価を上回って推移しています。

ブレグジットについては、リーマンショックのように世界経済に大きな影響を及ぼすという視点で語られることもありましたが、日本株を見ると、リーマンショック後は半年以上下落局面が続いたのに対し、ブレグジットは2週間で高値を取り戻しています。
なぜブレグジットは市場に大きく影響しなかったのでしょうか。
まず、そもそもリーマン並みの影響を想定することが悲観的過ぎたといえます。
リーマンショックでは実体経済の中で不動産バブルが崩壊し、金融システム不安を通じて混乱が世界中に広がりました。一方ブレグジットは、離脱のプロセスに入ったに過ぎず、その不安リスクだけで株価を下げ続けるには限界があります。
またリーマンショックは世界経済の中心であり、GDP世界第一位の経済大国であるアメリカを震源として発生しましたが、イギリスはGDPではアメリカの6分の1以下、世界経済に与えるインパクトはアメリカとは大きく異なります。
通貨の面でみても、ドルは成長する新興国でも使われ、基軸通貨としての影響力が益々高まっていますが、ポンドは他国に強い影響を及ぼす通貨ではなくなってきています。ブレグジット以降ポンドは二割ほど価値を下げていますが、その影響はイギリス国内やヨーロッパ経済にはあっても、世界経済全体には大きく波及してはいません。

このように、現時点では世界経済への影響がそれほど大きくないように見えるブレグジットですが、離脱プロセスを歩むなかで大きなリスク要因ともなりうるので、推移を注意深く見守る必要があることは間違いありません。

イギリスのEU離脱プロセス

今後の離脱プロセスはどのように進むのでしょうか。現時点では離脱を選択しただけで、離脱手続きも始まっていません。手続きはまずイギリス政府がEU首脳会議にて離脱を告知することがスタート地点となり、その2年後に離脱することになっています。イギリスのメイ首相は、2017年3月末までに離脱の告知を行うと発言していますので、現時点では2019年の春が離脱時期と予想されます。ただ、離脱告知の時期が後ろにずれる可能性が出てきていますので、離脱時期も伸びる可能性があります。
離脱の仕方も、EU市場への参入を維持し、一部EUの規定も受け入れるソフト離脱と、EUとは完全に手を切るハード離脱のどちらを選択するか、今もイギリス国内で議論が続いています。
2017年には春にフランス大統領選挙と総選挙、オランダでは総選挙があり、秋にはドイツで総選挙があります。関係するEU各国の中でも政権担当勢力が変わる可能性があり、イギリスの離脱がどのように落ち着くのか見極めきれない状況が続くと想定されます。

離脱決定後のイギリス経済の動向

離脱決定後のイギリス経済は意外に底堅く推移しています。
イギリス経済は世界金融危機によるダメージを5年かけて克服し、2012年以降は順調に回復していました。経済成長全体を把握するのに役立つ総合PMIの数値をみると、国民投票の翌月は大きく下げ、その報告がされたときは経済への影響も大きなものになると言われましたが、8月には急速に戻し、9―10月も堅調に推移しています。
これはこの数年足元の経済が堅調であったことに加え、ポンドが下落したことで、海外からの観光消費が促進されたこと、また輸出産業にも有利に働いたことが理由と考えられています。

今のところは離脱派が主張していたように、離脱しても経済や雇用は大きな影響を受けていないように見えますが、私は来年以降、離脱の経済への悪影響が現れてくると考えています。
その理由はポンド安です。ポンドは国民投票以降2割ほど安くなっています。
観光などには有利ですが、イギリスは輸入に頼っている国であり、ポンド安による輸入価格の上昇が国内価格に転嫁され、物価上昇が起こってきます。経常収支が赤字のイギリスではその影響が出やすく、賃金は上がらず物価が上がる、実質的な賃金マイナスが消費を抑制します。同様のことがリーマン後におこり、長期不況の大きな要因となりました。
国民投票時は経済は堅調で、移民問題がイギリス有権者の最も大きな関心事でした。今後経済への影響が実体として感じられるなかで離脱プロセスを進めていくことになるわけで、その過程でイギリス世論がEU離脱についてどのように変わってくるのかを注目していきたいと思います。