イベントレポート“ケベック州:世界に開かれた北米のフランス語圏社会”開催

世界に開かれたケベックにもっと関心を

「ケベック州は人口約800万人を擁し、その80%がフランコフォン。カナダの中では特異ですが、世界に広く開かれているという大きな特徴があります。どのようにケベックが世界に広がり、世界とつながっているか、この機会にぜひ知っていただきたい」とクレール・ドゥロンジエさんは話します。

まずはその背景となる歴史的経緯から。ケベック州とフランスとの関わりは、1534年航海家ジャック・カルティエが東部沿岸に到達、数回にわたる探検後、その一帯にフランス国王の名のもと、ヌーベル・フランスを誕生されたのが始まり。ヘンリー4世の時代、1608年にはカナダのフランス文化の発祥地であるケベックの町が作られ、以降フランス領土として発展してきました。1763年のパリ条約によってイギリス領となりましたが、1867年「英領北アメリカ法」によってカナダ自治領となり独自の自治権を獲得。1960年の「静かな革命」と呼ばれる社会大改革によって近代化が進み、現代のケベックの基礎が築かれました。

2014年4月の総選挙ではケベック自由党が勝利、新たな政権が発足しています。この選挙結果については、講演後、フロアから「独立志向のケベック党が敗れたのはなぜか」との質問が及びました。ドゥロンジエさんは「ケベック党政党内の連携が不利に働き、結果2位に終わったが、現在は協力しながらさまざまな問題に取り組んでいる」と回答。
その抱える課題は、財政赤字、税制の見直し、雇用創出や輸出拡大など山積みとのこと。ドゥロンジエさんは政府の予算編成を外科治療にたとえて「難儀なオペレーション」と表現、その問題の深さが垣間見えました。

ケベック独自の「インターカルチュラリズム」とは

お話しの途中、ケベックを紹介する映像なども流されました

お話しの途中、ケベックを紹介する映像なども流されました

ケベック州の世界への開扉のひとつとして挙げられるのが移民政策です。ケベック州では1967年に外務省を設立、独自の海外ネットワークを築いています。ケベックが受け入れている移民は毎年約5万人。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなど移民の国籍もさまざま。そのうち約70%の人々が良質の労働力としてケベックの社会・経済発展に貢献しているそうです。ケベックと日本との人口比率で換算すると、日本では約80万人という数に相当。いかに多いかが実感できます。そうした移民へのフランス語教育は無料で行われており、ケベック社会への同化と雇用促進に寄与しています。

移民政策のベースとなっているのが、ケベックが提唱する「インターカルチュラリズム」。これはフランス語の文化を基調としながらも、移民それぞれが有する文化を維持、大切にしながら、多文化共生社会の構築を目指そうというもので、多民族が暮らすケベックの社会統合モデルとして機能しています。

移民政策について、講演後、フロアからカナダ政府の移民政策の違いについて問われると「移民の人々は社会の中で役割分担がなされており、質の良い労働力としてケベックに定着してもらうことが重要。また北米の中ではマイノリティではあるが、多文化共生という点で意義がある」と説明されました。

航空機産業や生命科学研究で世界の先端を走るケベック

気品あふれる雰囲気でお話しされるクレール・ドゥロンジエさん

気品あふれる雰囲気でお話しされるクレール・ドゥロンジエさん

そんな優秀な労働力に支えられてケベックでは世界的な産業が発展しています。その一つが航空機産業。モントリオールは、ボーイング、エアバスに続く、世界第三位の航空機メーカー、ボンバルディア・エアロスペース社の生産拠点となっています。関連企業は234社、専門労働者4万人が就労しているとのこと。

もう一つ重要な産業が生命科学・健康医療関連。「生命科学の研究分野はGDPの2.6%を占めており、今後も成長が見込まれる分野。これからもさらなる改革を進めていく方針」とドゥロンジエさん。さらに「IT産業・ビデオゲーム」も成長分野で、その開発ではカリフォルニア、日本に続いて世界第三位を誇っています。その背景には、マルチリンガルな労働力や熟練技術者、そしてそういった人々を生み出すハイレベルな養成ブログラムの存在があると説明。雇用促進にも寄与しており、2000年から2012年の間では712%の雇用を創出したとのことです。