Rencontre avec un amoureux du Japon, l’écrivain et poète Jean Pérol

【ご報告】

プロローグ

2013/12/03 photo01Le soleil se couche à Nippori.の著者、ジャン・ペロル氏が日仏会館で講演を行うことをパリ・クラブのHPで知り家内と胸を躍らせた。思えば99年5月、帰任を控えたリ ヨンでKeiko夫人のご紹介でペロル氏にお会いし著書[Tokyo]を戴いた。その折に[Le soleil se couche à Nippori」という題の本を執筆されるご予定と伺った。唐突に「日暮里」という懐かしい地名が出てきたので驚いた。あの時のPerol氏が来日され た!家内と出かけ半信半疑で会場のドアを開けると氏が見えた。傍らにはKeiko夫人も!
61年来日以降、20年以上日本に滞在。九州大学で6年間教えた外、84年から89年には東京日仏学院学院長としてフランス語普及に貢献した。[マラルメ賞受賞の詩人・作家]
講演会はギイ・ブラック氏(翻訳家)をアニメーター、Keiko 夫人を通訳としてインタビュー形式で進められた。

(日本との出会いは?)

叔父がルクレール将軍の幕僚として戦艦ミズリー号上での日本降伏調印式に立ち会った。当時12歳の私は叔父の話を通じて日本に深い関心を抱いた。アルジェリア戦争時に、九州大学の教員ポストの募集を見て、兵役義務の代わりに渡りに船と応募し、来日した(70年)。

(日本の文壇との交流は?)

九州大学勤務時代に川端康成と知り合い可愛がられ、家に何度も招待された。そのころルイ・アラゴンから日本ペンクラブを通じて、日本人作家紹介シリーズ執筆の依頼があり、川端先生から三島由紀夫、安部公房、村上春樹等を紹介して貰った。彼らとのインタビューを通じて日本についての理解が深まるとともに、日 本人の諸相を知ることが出来た。三島由紀夫にとって九州が、彼の文才「ますらお振り」の発端の地(源泉)であることも分かった。86年に野坂昭如に会った が、彼によると「日本人には市民意識が無い。インターナショナルな市民になれない」そうだ。村上龍はベストセラーの作家かも知れないが、「violent な日本」には眉を潜める。作品の感想を問われれば“Loin”(遠い)の一言だ。東京日仏学院長の時代に川端先生から小説を書くように勧められ、 [Tokyo」を書いた。その中でも触れているが、ロベール・ギラン氏が東京のあちこちに連れて行ってくれた。[Le soleil se couche à Nippori」は2007年の作品だが、50年間に亘る私の人生の集大成であり、自分の身をロベール・ギランに置き換えて書いたものだ。

Q&A

(今までに詩集は何冊出していますか?)
今までに本は25冊出版したが、詩集は16~17冊だ。

(フランスでの詩や文学の現状はどうか?)
本は読みながら考察するもの。現代人は外から帰ってきて分厚い本を読む余裕が無い。テレビにしても(お金の取れる)ゴールデンアワーには文芸番組を流さなくなっている。N.L.F(ガリマール発行の文芸雑誌)の編集部門も今ではエレベーターも無い最上階の部屋の狭いスペースに蛙(グルヌイユ)のように押し 込められている(笑い)。
問題は作家と読者間の断絶だ。詩や本を書いても読んでくれる人がいない。

(詩人が小説を書くとは、ペロルさんにとってはどのようなことか?)
詩人・外交官のポール・クローデルが1923年にOiseau Noir(黒い鳥)という詩集を出しているが今読んでも古くなっていない。詩と小説の違いは無い。表現する内容の違いだけで、vibration de mot(言葉の響き=胸を打つ度合い)は同じだ。
詩人は言葉を選ぶ。ロンサール、ヴィヨン、アラゴン・・・。詩や文章は歳を取らない、言葉が時を超えて響き合い、心を打つ・・。
詩人の口から珠玉のような言葉が迸(ほとばし)る。
最後にペロル氏による詩の朗読が行われた。フランス語の調べの美しさが心地良い余韻となった。

エピローグ
魯迅の短編「藤野先生」をお読みになった方はお気付きだろうが、冒頭部分に、「魯迅が仙台の医学校に入学すべく、上野駅を発った列車の最初の停車場「日暮 里駅」の駅名を見て、遠い故郷を偲んだ」と書かれている。筆者は[Le soleil se couche à Nippori.]は初見だが、ペロル氏にとって日暮里は「心の故郷」といえよう。私事にわたり恐縮だが、筆者の実家はJR日暮里駅西口前の寺院であり日暮里の歴史と深い係わりを有する。ペロン氏夫妻との今回の「東京での出会い」に縁(えにし)を感じる由縁である。
約30人の参加があり、質問も活発に出された。終了後の懇親会もワインを囲んで和やかに行われた。

パリクラブ会員 加茂光司

 

【イベント概要】

日本に20年以上滞在し、1984年から1989まで東京日仏学院院長としてフランス語の普及にも貢献したマラルメ賞受賞作家、詩人、ジャン・ペロ ル氏を迎えて講演会を行います。フランスジャポンエコーでペロル氏にインタビューしたペロル氏の大ファンの翻訳家のギイ・ブラック氏がアニメーターを務め ます。まだ邦訳は出版されていませんが、「Le soleil se couche à Nippori」, 「Tokyo」など日本を描いた小説が有名です。

日時 2012年12月3日(月)
場所 日仏会館501会議室
http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/access.html
主催 Paris Club
共催 CCIFJ(申請中)
協力 日仏会館
司会 M. Guy Blaque (翻訳家)
スピーカー Mr. Jean Perol
使用言語 フランス語と日本語
会費 無料
定員 30名
お申込み締切 2012年12月3日(火)15:00まで
※締め切り後のキャンセルはreservation@ccifj.or.jpにメールでお願いいたします。
お問い合わせ先 予約確認のメールが届かない場合や、イベントに関してご不明な点がございましたら、下記メールアドレスまでお問い合わせください。
bonjour@parisclub.gr.jp
プログラム
18:00 受付開始
18:30 – 20:00 Guy Blaque氏との対談によるジャン・ペロル氏講演会
20:00 – 21:00 懇親会