日仏経済交流会(パリクラブ)主催
在日フランス商工会議所(CCIFJ)共催
日時 | 2005年11月9日(水)18時30分~ |
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会場 | メルシャンサロン |
パリ在住の作曲家、吉田進氏による「パリからの演歌熱愛書簡」と題する文化講演会が、11月9日メルシャンサロンにおいて、パリクラブとCCIFJの共催で行われました。
吉田進氏は、慶応義塾大学経済学部を卒業後1972年に渡仏、在仏33年。パリ国立音楽院終了後はフランスの有名な音楽家オリビエ・メシアン氏に師 事、「ファンタジア」「カタカナ」「縄文」など数十作品を作曲してきました。著書には、フランス国歌ラ・マルセイエーズを音楽的に分析し、その成立と変容 を綴った「ラ・マルセイエーズ物語」(中公新書)や「パリからの演歌熱愛書簡」(TBSブリタニカ)があリます。又日本のテレビにも登場し「題名のない音 楽会」や「地球に好奇心」などに出演したこともあります。
ビデオや音楽テープを使っての講演は、椅子席を開講後増設するほどの盛会でした。52名の出席者は、普段テレビで聴いている演歌を西欧音楽の立場か ら聴くとどう解釈されるか、との吉田氏の説明に興味深く拝聴している様子でした。何時もの講演会より女性の来場者が多く、日本舞踊・藤間流の藤間藤藍さん や山田流筝曲教授の内山紗賀能さんなど、舞踊家音楽家のお姿もみられました。
「演歌」とは? フランスで十数年音楽の研究をした後、吉田氏が自分独自の音楽を思考した時、演歌が自分のハートのなかに流れるのが聞こえた。西洋音楽が数学 的であるのに対し、なにか割り切れない「演歌」が自然に心に響いた。それは歌謡曲とは違う。歌謡曲は心地よく耳にはいるだけのものにすぎない。しかし、こ の歌を演じる「演歌」は、ヨーロッパにはない独特の音楽として、フランスで受けたのだった。
「演歌」は歌詞のなかで演劇の世界を演じる。寒い、暑いという歌詞を曲のなかに演じるのが「演歌」である。歌謡曲と演歌の違いは歌そのものにあるのではなく、歌手が演じるか否かにあるのだ。
浜圭介作曲、荒木とよひさ作詞の「心凍らせて」では、浜圭介が歌うとき、
あなたの愛だけは こんどの愛だけは
他の男とはちがうと 思っていたけど
抱かれるその度に 背中が悲しくて
いつか切り出す 別れの言葉が恐くて心 凍らせて 愛を凍らせて
今がどこへも 行かないように
心 凍らせて 夢を凍らせて
涙の終わりに ならないように
この「恐くて」を歌うとき小声で恐ろしさを表現し、「凍らせて」と歌うとき本当に寒いように歌う。ここに歌を演じる「演歌」の素晴らしさがある。
石川さゆりも歌を演じるという点では「演歌」の名歌手だった。
浜圭介作曲の「霧のわかれ」
思い出 半分
あなたに 返します
ひとり 抱くのは 重すぎる
もうなにも 言うことはありません
追いかけて すがってみたいけど
あの影は あとも見ないで
私だけ 霧が 霧がふります
特に、平成元年の紅白歌合戦のとりで石川さゆりが歌った、なかにし礼作詞、三木たかし作曲の「風の盆恋歌」は歌を演じる「演歌」として素晴らしかった。
蚊帳の中から 花を見る
咲いてはかない 酔芙蓉
若い日の 美しい
私を抱いて ほしかった
しのび逢う恋 風の盆私あなたの 腕の中
跳ねてはじけて 鮎になる
この命 ほしいなら
いつでも死んで みせますわ
夜に泣いてる 三味の音生きて添えない 二人なら
旅にでましょう 幻の
遅すぎた 恋だから
命をかけて くつがえす
おわら恋歌 道連れに
一般的に、心が技術を上回ると、“下手”との評価を受ける。素人のカラオケが典型的な例だが、山口百恵は、技術そのものは相当高いレベルにあったにもかかわ らず、さらに心(感情移入)が上回った歌手だったため歌が下手だとの評価があった。しかしなんと言っても、美空ひばりは高いレベルで「心と技術」が一致し た名歌手だった。
吉田氏が考えるに 世界で最も優れた歌手を三人挙げるとすれば、マリア・カラス、エデイット・ピアフ、そして美空ひばりだ。1978年、師である古 賀政男が亡くなった時、美空の公演の最後に歌った「悲しい酒」。涙ながらに歌ったのだが、涙を歌の中にいれながら、しかし技術的には少しの狂いもなく歌わ れた名演であった。
ひとり酒場で 飲む酒は
別れの涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ酒よこころが あるならば
むねの悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため一人ぼっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
五味文三記