第18号
政教分離
移民が増えて、出身国が多様化すると、それらの人々が信仰する宗教も当然多様化していきます。フランスからの入植が始まった頃のカナダでは、先住民を除くと、人々の多くはカトリック教徒でした。ケベック州では、今日でも多くはカトリック教徒です。その他のカナダにおいても、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教徒が多かったのですが、その構図は移民の増加により変わってきています。例えば、中東、アフリカ、アジアからの移民が増えると、イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒などが加わり、宗教の多様性が増していきます。異教徒同士の共存が地域社会の1つの課題となってきます。
政教分離の法制化
私がパリに勤務していた2004年、フランス政府は、宗教的象徴物を誇示するよう着用することを禁止する法律を採択しました。フランス議会や世論の動向を注意深くフォローしていましたが、増加するイスラム教徒に対して、キリスト教徒から、巧妙な表現法を駆使して直接的な言及を避けつつも、鋭い牽制球が投げ込まれた印象を受けました。
「(ムスリムの)スカーフがダメなら、キリスト教徒の十字架のペンダントやユダヤ教徒が頭にかぶるキッパもダメではないのか」という批判もありましたが、政府は、「これ見よがしの(ostensible)」という表現を使って、誇示するように身に着けることが問題であると説明しました。首元にちらつく程度の十字架のペンダントは問題ないが、頭にかぶるスカーフは「これ見よがし」である、という理屈なのでしょう。非常に難しい問題ですが、多様性の光と影の部分が透けて見えた気がしました。
さて、カナダに話を戻しましょう。カナダでも、イスラム教徒のスカーフの着用が問題視され、裁判に付されるケースが出てきています。カナダの中でも、ケベック州はこのスカーフ着用問題が最も厳しく議論された州でした。発端は、1994年にモントリオールの公立学校でイスラム教徒の女子生徒がスカーフを被って登校したところ、学校側が拒否したことでした。2008年には、「開かれた政教分離」と称し、公務員の中でも、裁判官、検察官、警察官といった高度に中立性を体現すべき職業のみについて、宗教的象徴物の着用を禁止する方針が示されました。公立学校の先生は、生徒が先生の顔を識別できない程に顔を覆うニカブやブルカでなければ、頭を覆う布を着用することが認められました。
続いて、州政府は2013年、公務員が職務中に宗教的象徴物を着用することを禁止する法案を発表しました。大きめの十字架を身につけるのもダメとされ、宗教間のバランスを取ったようにも思われましたが、イスラム教徒をターゲットにしているとの批判が多く寄せられ、スカーフを被ったイスラム教徒の女子生徒が中心となり、デモが行われる騒ぎに発展しました。そして2017年、ケベック州議会で、公共サービスの提供者と利用者の双方に対し、顔が隠れる宗教的象徴物の着用を禁止する法案が可決されました。ケベック州出身のトルドー首相は、野党時代からマイノリティの権利や多様性を保護する観点からこうした動きには反対してきました。北米初のスカーフ禁止法が成立した直後に、トルドー首相は「カナダ人を守る必要がある」と訴えて、この法律に反対を表明しました。
更に2019年には、2008年には除外されていた公立学校の先生も適用の対象とする法律が成立しました。この法律は、州議会で審議にかけられた際の法案の番号をとって、通称「ケベック州法第21号」と呼ばれています。
ケベックは厳しめ
2023年1月、トルドー政権は、元ジャーナリストのアミラ・エルガワビー氏を反イスラム主義対策の政府特別代表に任命しました。エルガワビー氏任命の是非を巡って、その直後から舌戦のようなやりとりが繰り広げられ、それがメディアで報じられていました。この状況について、モントリオールにあるドーソンズ・カレ
ッジで歴史の教鞭を執る教師が、地元紙に「英語系カナダへのメッセージ:ケベック州民が国家に宗教を求めない理由」と題する興味深い記事を投稿していたので、さっそく話を聞きに行きました。先生は、エルガワビー氏の任命に反対する署名者リストにも名を連ねていました。歴史の専門家らしく、ケベック州の歴史に目を向ければ、宗教が国家活動に干渉することをケベック人が望まない理由が、英語系カナダ人たちにも分かるはずだと述べていました。この先生はフランス系カトリック教徒です。「プロテスタントのアングロサクソンは分かっていない」との目線からの記事にも読めましたが、先生の立ち位置はさておき、記事と説明は興味深いものでした。
「正しく理解するためには、16世紀に英国で起こった宗教改革まで遡る必要がある」と先生は語り始めました。ヘンリー8世が英国国教会のトップに立つと、その後数十年にわたって、英国は他のプロテスタント教団、特に清教徒(ピューリタン)を迫害しました。またカトリックに対しても厳しく、現在に至るまで、カトリック教徒は英国で王位に就くことができません。こうした歴史的経験から教訓を得た英国系カナダでは、「宗教は国家から保護されるべき」という考え方が根強く残っているのだそうです。従って、アングロサクソン的な政教分離は、「教会と国家を分離し、相互に干渉しない」という点に限定されていたのです。
一方、フランスでは、1789年のフランス革命までは、カトリック教会が国教であり、フランス国民に対して大きな支配力を有していました。フランス革命では、民衆を虐待してきたとして、カトリック教会が非難されました。革命後から20世紀に至るまでの間、フランスで展開されてきた政教分離に関する議論では、英国流の考え方とは異なり、「教会と国家を切り離す」ことに加え、「国家を宗教(教会)の影響から守る」ことが目的とされました。
ヌーベルフランス時代のケベック州でも(カトリック)教会は大きな影響力を持っていました。1760年代にフレンチ・インディアン戦争に勝利した英国が統治するようになってもカトリック教会の聖職者たちはフランスには帰還せず、ケベック州に留まり、影響力を維持します。そして、静かな革命が起こる1960年頃、つまりかなり最近まで、カトリック教会はケベック州の政治に影響を及ぼし、教育や社会サービスを管理してきたのです。フランス革命とは異なり、その名のとおり「静かな」革命でしたが、その矛先はカトリック教会に向けられていました。つまり、フランス同様ケベック州においても、教会は州民を管理する機関だと見なされていたのです。1964年に州政府に教育省が設置されると、教育の現場に宗教関係者ではない者が教師として採用されるようになりました。1997年には、隣のオンタリオ州よりも先に、宗派別の教育委員会を廃止し、2000年には、公立学校での宗教教育も廃止されました。そして、2019年、政教分離に関するケベック州法案第21号が可決されました。これは、公立の小中学校の教師や校長などの権威ある地位にある人が宗教的象徴物を着用することを禁止することを明文化したものでした。このように、ケベックの人々は、静かな革命によって宗教からの解放に成功したのでした。
問題はスカーフなのか?
トルドー首相がエルガワビー氏を反イスラム対策特別代表に任命したことに対し、ケベック出身の一部の議員から批判が噴出しました。また政教分離運動を推進するNPOからは、エルガワビー氏が所属するイスラム系団体がイスラム過激派集団であり、ヒトラーを崇拝し、ユダヤ人の抹殺を望んでいるとして、ケベック州法第21号に反発していると批判しました。更に、このような団体の代表者を政府の特別代表に任命したトルドー首相は、イスラム教徒からの票を欲しているのだ、と揶揄する論調も見られました。政教分離の議論から少しそれたような印象もありましたが、ケベック州における政教分離の議論に世論は敏感です。
先生によれば、一般に、カナダの政教分離政策は、フランスの政策に比べて緩いのだそうです。特に英語系のカナダにおける政教分離とは、国家と教会の役割に線引きをしただけであって、それは結果としてグレーな部分を広く残すことになります。つまり、具体的な事案に直面した場合、どう解釈して行動すべきかが明確ではないため現場が混乱することになります。一方のケベック州の政策は、フランスの政教分離法に基づいて作られており、宗教的中立性をより強く求める立場となっています。先生の説明のようにヌーベルフランスにまで歴史を掘り下げれば、当時の宗教といえばキリスト教を指すことになり、政教分離とは、つまりキリスト教と政府の整理だったと思われます。しかし、現代の議論や政策決定を見ていると、フランスの
例を持ち出すまでもなく、イスラム系移民の存在が意識されているのではないでしょうか。機微であることは承知の上で、そうした質問を投げかけてみたところ、先生は、確かにケベック州において具体的な判断が求められる事案の多くは、イスラム教徒のスカーフ着用の是非であるとした上で、公立学校の教師がスカーフを着用している場合、生徒の親たちは、自分の子供に強い影響を及ぼしうる立場にある教師の言動についてどう受けとめるべきか、きっと悩むだろうと言っていました。いつもは自分の子供に「先生のいいつけを守るように」と言っているのに、「スカーフを被った先生の言うことは聞かないように」と告げるのでしょうか。そのようなことで困るくらいなら、子供を転校させようとするかもしれません。
連邦最高裁を巻き込む事態に
モントリオールで大学の教育課程に所属し、教師を目指すイシュラクというイスラム教徒の女子学生が、州法第21号に対する反対運動を行いました。彼女の活動は、全カナダ・ムスリム協会と全カナダ自由市民協会に支持されました。また、モントリオール英語教育委員会は、この法律が、少数派言語で教育を受ける権利を保護するカナダ憲法に違反するとして、裁判に訴えました。その後、連邦の教員組合も、この法律の無効を訴え始めました。連邦政府は、この問題が司法論争として長期化することを避けようと手を尽くしたようですが、結局は全国レベルの大論争にまで発展しました。2021年4月に、三審制の第1審にあたる高位裁判所は、同法の適用は有効であるとしつつ、英語系教育委員会と州議会議員には適用されない、と判断しました。この決定には支持派と反対派の双方から不服が申し立てられ、第2審にあたる控訴院に上訴されました。第1審の判決を受けて、ケベック州のルゴー首相は、フランス語系学校では教師のスカーフ着用が禁止され、英語系学校では着用が認められるのは「非論理的だ」と不満をあらわにしました。
翌2022年、連邦政府は、この問題を連邦最高裁に委ねると宣言しました。これに対しルゴー州首相は、連邦政府のこの宣言は、ケベック州への配慮を欠く行為だと批判しました。
2024年2月29日、ケベック控訴院は、同法を全面的に支持する決定を下しました。つまり、英語系公立学校も含めて、厳格なケベック州の政教分離法は有効と判断されたのです。ルゴー政権は「大勝利」を宣言しましたが、それから2か月とたたない4月11日に、モントリオール英語教育委員会は、この判決に対する異議申立を連邦最高裁判所に行うと発表し、連邦の教員組合もこれに続きました。
奇しくも同じ日の4月11日、ケベック州を訪問中のフランスのアタル首相は、ケベック州議会で演説を行いました。そこでは、ケベック州とフランスが共有する価値である「政教分離」の重要性について述べ、満場のスタンディングオベーションを受けました。フランス語の重要性について語り、翌12日には、ルゴー州首相と共に、デジタル空間を含むフランス語の保護と普及に関する文書に署名しました。
多様化する価値観への対応が鍵
移民や宗教の問題が社会で表面化する1つの現象として、いわゆる「ヘイト」や「ハラスメント」の問題が指摘されています。イスラエルとハマスの関係悪化に伴い、モントリオール市内のユダヤ教関連施設に破壊行為が行われるといった事例がありました。今は殆ど見られませんが、コロナ禍の時期にはアジア系住民が嫌がらせを受けたこともあったようです。これは宗教そのものというよりは、ビジブル・マイノリティに対する差別的な感情や行為ですが、宗教を初めとする価値の多様化によって生じている課題と言えるでしょう。
少子高齢化を解消するための1つの対策として移民を受け入れることについて、ある程度は許容する必要はあります。一方で、一度に大量の移民が流入することが治安の悪化をもたらし、社会の姿そのものを変える危険があるといった指摘があります。私が話を聞いた歴史の先生は、少子化対策は、本来なら自国民の出生率を上げることでカバーする努力が必要だと言いつつ、妙案は浮かばないようでした。また、移民と治安の関係などに必ずしも明確な関連性は見いだせないとしつつ、欧州の状況を見れば明らかだ、とも言っていました。何事もバランスの問題、と言ってしまえばそれまでですが、日本の課題を考える上で、カナダの状況は非常に示唆に富むものだと思います。
(了)