モンレアル便り

第11号

カナダの経済(つづき)

経済開発の鍵であるインフラ

ケベック州の豊富な資源や産業を更に開発するには、既存のインフラを発展させる必要があります。モントリオールには、カナダの主要なインフラ関連企業の本社が所在しています。旅客列車のVIA 鉄道、貨物列車のカナディアン・ナショナル鉄道、通信のベル・カナダに加え、ナショナルフラッグキャリアであるエア・カナダ、航空宇宙産業のボンバルディアといった航空産業の本社もあります。
VIA 鉄道に乗ってモントリオール・ケベック市を往復したことがあります。直線距離にして約240km。ケベック市には通常は車で行くので、途中1回給油を兼ねた休憩を入れて約3時間。VIA と所要時間は同じですが、自分で運転しなくて済むし、何よりも車窓からゆっくり風景を楽しむことができるのが鉄道の醍醐味です。車内販売でコーヒーやサンドイッチを買うこともできますし、ビジネスクラスでは軽食もサービスされます。そうこうしているうちに、出発して2時間以上が経ち、やがて終着、となる筈だったのですが、途中から走行スピードがぐんと落ち、ノロノロ運転になりました。「貨物列車が前を走っている関係で、速度を落とします」と車内放送が流れます。話には聞いていましたが、これがそうか、と理解しました。モントリオール・ケベック間の路線は単線で、貨物と共用なため、しばしばこういうことが起こるのです。旅客列車の方がスピードが速いので、後ろから追いかける形になると、必ず追いついてしまいます。追い越すことができないので、ひたすらゆっくり後ろをついて走ることになります。遅いときは時速30kmまで速度を落とすこともあります。
ここに課題の1つがあります。ケベック州政府も高速列車の必要性を唄い、日本の新幹線やフランスのTGV に倣え、と良く言われます。ケベック版「TGV(高速列車:train à grande vitesse)」の導入もさることながら、「TGF」をまずは導入しよう、という声もあります。「TGF」とは、「train à grande fréquence」つまり「高頻度列車」のことです。貨物専用線を敷くことで、旅客列車の運行頻度を上げることができます。「TGV だと走行時間を1時間短縮できるが、技術面を含めて導入のハードルが高い。TGF なら30分しか短縮できないが、より現実的である」という識者もいます。いずれにせよ単線では実現できないので、相応の工事や資金投入が必要でしょう。

VIA 鉄道

VIA 鉄道

もう1つ、州内のインフラ開発で大きな議論となっているプロジェクトがあります。「第3リンク(troisième lien)」と呼ばれる高速道路計画で、ルゴー州首相が2022年の州議会議員選挙で公約に掲げたものです。
具体的には、ケベック市と、セントフローレンス河を挟んで向かい合うレヴィ市(Lévi)を、海底トンネルならぬ河底トンネルでつなごうという計画です。レヴィ市には、直線距離で1.5km程向かいにあるケベック市に通勤・通学する住民が多いのですが、河に阻まれているため、不便な思いをしています。両市の間にはフェリーが運航しているのですが、フェリーが運航できるのは夏の間だけ。冬には河が凍結してしまうからです。以前は凍結した河の上を車で走って渡っていたと言われていますが、現在は禁止されています。そうなると、橋を渡るしかないのですが、既存の橋は市内から8kmも離れたところにあります。これを解決するために提唱されたのが第3リンクだったのです。この地下トンネル構想、新しい話ではなく、ずっと前に計画され、日の目をみないまま現在に至っているのです。
1917年に、ケベック市とレヴィ市を連結させる交通インフラとして、それぞれの市から8kmの距離にある地点を結ぶケベック橋(Pont de Québec)が架橋されました。わざわざ市内から離れたところに橋を架けた理由は、この地点は川幅が1km未満にまで狭まっているからでした。ケベック橋は、片持ち梁の技術を用いて建設された、いわゆるトラス橋というもので、当時世界最長でした。従って、これ以上の遠距離に架橋することは技術的に困難だったのです。架橋当初は鉄道のみが通行していましたが、1929年から自動車も利用可能となりました。第二次大戦後、両市を行き来する交通量の増加に伴い、ケベック州政府は河の下を通るトンネル開発を検討しますが、具体化することなく、1970年に、ケベック橋のすぐ西側にピエール・ラポルト橋(Pont Pierre-Laporte)が架橋されました。地下ではなく、橋を2本にして交通許容量を二倍にした訳です。
1973年と74年に2回地質調査が行われ、地下トンネル構想が復活します。しかし、1980年代に入ると、予算上の制約や人口動態の見通しを踏まえ、この構想は頓挫します。また別の橋の計画も持ち上がりましたが、いずれも採用には至っていません。
2017年に州政権与党の優先事項として第3リンク計画が決定されました。その後いくつかの議論を経て、2020年に、自動車と公共交通機関並びに大型車両(トラック)が通行可能となるような、70億加ドルの地下2階建てトンネルの建設の案が提示されましたが、当時のケベック市長は反対します。2022年には、65億ドルで、(2階建てではなく)平行する2本の地下トンネル(1本は自動車と公共交通機関用、もう1本は大型車両用)の建設計画が提示されます。更に2023年には、公共交通機関のみの1本の地下トンネル建設を提示しますが、その費用は公表されませんでした。パンデミックでテレワークが増加して、既存の橋の交通量が減少するなど、状況が変化したことを踏まえ、ラッシュ時の住民の行動変容に着目して、公共交通機関用のトンネルのみで十分と結論付けたようです。野党や連邦政府は、コスト過多と温室効果ガスの排出量を拡大させる可能性を指摘して反対していました。最新のトンネル1本の計画は、これに多少応えた形となったと言えます。ところが、自動車が自由に行き来できる地下高速道路の連結を期待していたレヴィ市民が不満をあらわにしました。これに対し、車両の増加による悪影響を懸念していたケベック市は、計画の修正(縮小)を歓迎しました。第3リンクの議論は、まだまだ続きそうです。

凍るセントフローレンス河

凍るセントフローレンス河(左)

レヴィ市民の足となるフェリーに車ごと乗り込む

レヴィ市民の足となるフェリーに車ごと乗り込む(右)

電気でタクシーが空を飛ぶ

世界の航空産業界で名高い「ボンバルディア(Bombardier)」は、ケベック州の農村に生まれたジョゼフ=アルマン・ボンバルディエ(Josephe-Armand Bombardier)が1942年に創業した会社です。フランス語発音では「ボンバルディエ」が正しいのですが、日本を含めて多くの国でボンバルディアとして知られています。
幼少の頃から機械いじりが好きだったボンバルディエは、冬の深雪によって地元の交通が混乱するのを解決しようと雪上移動車両の開発に取り組みます。ある日、2歳の息子が病気になりますが、悪天候で病院に運べずに死なせてしまう悲劇が訪れます。その後、彼は悲しみを乗り越え奮闘し、スノーモービルを開発し、生産にこぎつけます。その後、バス、トラック、そして鉄道にまでビジネスを拡大します。実際に航空産業に参入するのは、義理の息子が倒産した航空会社カナディアを買収した1986年のことです。ボンバルディアの本社があるモントリオールには、3万8000人の航空業界人口が住んでいると言われていますが、そのうちの3万3000人がボンバルディア関係者です。

モントリオールで開催された有識者が集まる会合で、国際ビジネス航空協議会(International Business Aviation Council:IBAC)の会長が、ビジネス航空の世界について話をしました。IBAC は、モントリオールにある国際民間航空機関(International Civil Aviation Organization:ICAO)の事務局内に本部を置く、ビジネス航空に関する非政府機関(NGO)です。会長は、ビジネス航空の特徴として、4万もの多様な仕様の航空機体、数千の種類のヘリ、複数のカテゴリー(個人所有、会社所有、オンデマンド、チャーター等)といった「多様性」を挙げました。また、スケジュールに縛られた商用便にはない「いつでも、どこへでも行ける」という自由度を強調しました。ケベック州におけるビジネス航空の割合は、カナダ全体の15%以上を占め、年間130万米ドルの収益を上げているため、経済的な貢献度についても注目が集まっています。産業が成長すれば、安全性や環境への配慮といった責任が伴ってきます。ビジネス航空業界は、安全面ではICAOの国際基準を満たすことが求められています。騒音については、40年間で40%削減。燃料効率も上げてきています。更に、機体の軽量化や航空力学的な効率性への取組も行われています。ケベック州政府は2050年までに温室効果ガスの排出量をゼロにする目標を掲げています。航空業界も例外ではありません。
これに見合うためには、新技術(クリーンなエネルギー)、運航システムの効率化(直行便の増加)、オフセット(環境に資する活動とCO2 排出の相殺)といった措置を採っていく必要があります。ケベック州だけが頑張ってもだめで、産業界全体での取組が不可欠です。また、米国や中国で試験飛行が行われている、電気を動力とする「空飛ぶタクシー」が実用化すれば、環境にも優しく、モントリオールの渋滞が解消されるし、アマゾンなどで注文した商品が迅速に届くようになるだろう、とも述べていました。

モントリオールで航空業界団体のトップを務め、引き続き航空関係の新事業に携わっているケベック出身の方から、異なる観点での「空飛ぶタクシー」の話を伺いました。ドローン型ではない航空機としての運用を

念頭に、コロナ禍で少し遅れをとったものの、数年後の実用化を目指し、まずは医薬品などの物資の輸送を目指しているそうです。もちろん、将来的には人の輸送を視野に入れて開発を進めているようです。「空のタクシー」と言うと、都市部で混雑を避けるための活用がイメージされやすいですが、本当に必要なのは、都市部と地方(遠隔地)をつなぐルートを確保することで、想定している活用はそこなのだそうです。ケベック州のように広大な地域において、インフラが不十分な特に北部地域へのアクセスを拡大することを可能にする、との説明を聞いて、なるほど、と思いました。
この方が率いるチームが取り組んでいるもう1つのプロジェクトは、持続的航空燃料の開発です。技術的な詳細は明かされませんでしたが、化石燃料を燃焼する際に生じるCO2 を吸収する仕組み作りに取り組んでおられるようでした。イノベーションを可能にするには知の交流が不可欠なので、日本と連携したいと力強く仰っていました。日本の優れた研究成果に関する論文の多くが日本語で書かれていることが残念だ、とも。
なお、水素で飛ばす飛行機の開発と実用化について尋ねたところ、技術的には可能であるとした上で、燃料補給用の水素関連施設を構築する必要があるが、それを既存の空港に設置するのは、コストの面も含めてなかなか簡単ではない、と指摘されました。航空業界は裾野が非常に広い業界です。こういったことも含めて、産業全体で、しかも世界の主要なハブ空港などとも連携しながら進めないと、一足飛びには行かない課題であることが分かりました。簡単ではないからこそ、チャレンジのしがいがあるということでしょう。

AI やライフサイエンスでも世界をリード

ケベック州は、エネルギー分野だけではなく、人工知能(AI)、生命科学(ライフサイエンス)、量子コンピューターといった新技術・イノベーションの分野でも進んでいます。強みは、産官学が連携して取り組んでいることです。新技術の研究のためのMILA というモントリオールAI 研究所があります。ここの科学ディレクターは、モントリオール大学の計算機科学・オペレーション・研究学科の教授を務め、「AI のゴッドファーザー」と呼ばれる計算機科学者のベンジオ(Yoshua Bengio)教授です。国際的な賞をいくつも受賞していますが、最近では2023年に、情報通信分野における研究や開発に貢献した人に贈られる日本の大川賞を受賞し、そのために訪日しました。
2024年4月にモントリオールで行われたライフサイエンスに関する国際会議の関連イベントの一環として、参加者がMILA を視察しました。視察に参加された方によれば、MILA の現在の活動の約半分は、AI を使った新薬の開発に向けられているそうです。

ケベック州での新薬開発に日本の企業が関わった事例があります。ケベック市のラヴァル大学から育った新薬開発ベンチャーに、日本の大手製薬会社と外資系たばこ会社が出資して2013年に事業化が始まりました。この事業が優れていたのは、植物由来のワクチン開発だったことで、新薬として商品化されれば世界が驚くニュースとなったことでしょう。たばこ会社が出資したのは、たばこの葉からワクチンの原料を採っていたことと無関係ではないと想像されます。しかし、カナダ政府はワクチン申請を認めましたが、世界保健機関(WHO)はたばこ企業の株主参加を理由に申請を却下。その後、日本企業が残りの株を買い取り、100%子会社化したことでWHO も認可を下しました。事業化した当初はインフルエンザのワクチン開発を目指していましたが、その後コロナ・ワクチンの開発に舵を切りました。しかしながら、十分な検体の確保やウイルスの変体への対応など、様々な困難が伴い、2023年2月に、日本企業はついに撤退を発表しました。ケベック州政府は、これまで行ってきた研究の成果や施設を無駄にしないように買い手を見つけるなどの協力を行い、ケベック発の新開発を引き続き活かしていくこととしています。日本企業が撤退したのは、日本人として残念でしたが、ケベックのベンチャーと組んで新薬の開発を行ったこと自体は素晴らしいと思

います。撤退には当然従業員の解雇を含む困難が伴うのですが、会社側は社員の再就職を手伝うなど、最後の最後まで面倒を見ていました。そのため、労組の問題になったことはありませんでした。また地元の文化活動を支援したり、桜の木を寄付するなど、事業以外にも素晴らしい足跡を残していきました。日本とケベックが育てた芽が立派に育って大木になる日が来るのを期待したいと思います。

ビデオゲームや東京五輪で活躍した映像技術

AI やライフサイエンス以外にも、ビデオゲームのコンテンツやオーディオビジュアル系の技術でも力を発揮しています。日本に進出しているケベックの企業の中に、モーメントファクトリーというマルチメディアの会社があります。プロジェクトマッピングなどの映像技術を駆使してグローバルに活躍しています。2023年にニューヨークのマディソンスクウェアで行われた、伝説のハードロック・バンド「KISS」のファイナルコンサートでは、バンドのメンバーがアバターになって映し出され、会場のファンを沸かせました。
東京オリンピック・パラリンピック2020の閉会式でもモーメントファクトリーが活躍しました。無数の光の粒が上昇し、集まってやがてオリンピックのシンボルである重なり合う5つのリングが完成するという場面を覚えていますか。これに携わったのが、世界最高峰のデジタルアート集団のこの企業でした。

カナダの技術が日本で活かされています

博多湾の人口島「アイランドシティ」で2019年から運行を開始したAI 活用型オンデマンドバス「のるー と」を御存じでしょうか。カナダのスペアラボ社の配車・運行管理システムを使った乗り合いバスです。現金 や交通系IC カードに加え、アプリでも支払いが可能。好評により、全国展開中です。

ケベックの玄関口のちょっと困った話

モントリオール港は、バンクーバー港に次ぐ国内第二位の規模の港湾施設です。2023年の1 年間で、170万個のコンテナがモントリオール港を通過し、カナダで生産された輸出車両の70% がモントリオール港から積み出されているそうです。まさに、東カナダのゲートウェイと言えます が、最近、ちょっと不名誉なニュースがありました。それは、盗難車を詰め込んだコンテナが大量 にこの港に集められ、輸出拠点になってしまっている、という内容です。2023年12月から24年3 月に実施された抜き打ち検査「プロジェクト・ヴェクター(Project Vector)」によって、400個のコン テナから598台もの盗難車が発見されそうです。 カナダでは車両の盗難事件が多く、ケベック州でも例外ではありません。保険会社が2024年 に発表した、2022年版の自動車盗難ランキングによれば、盗難件数の第1位は、SUV タイプの 日本車でした。全国で5600件以上、ケベック州だけでその約半数に及ぶ「人気」の高さです。な お、コンテナの中身を検査するためには令状が必要で、たとえ自分の車が盗難にあって、港に運 ばれたことが分かったとしても、すぐに捜査員が立ち入ることができる訳ではないそうです。

(了)

pdfのダウンロードはこちらから